婦人生活社の社長・原田常治氏は商売柄、女、男の習癖に通じていられる愉快なモラリストである。氏がつねづねいわれるのに、男を落ちさせるには(つまり買収、収賄、籠絡、陥落させる手は)五つあるそうだ。
いわく、抱かせる、飲ませる、食わせる、握らせる、いばらせるの五つで、氏はこれを「五せる」とよぶ。
五せるのどれかを組み合せたり、五せる全部で総攻撃したりしたら、落ちない男はないそうである。
このうち「抱かせる」は、わかりそうな気がする。女に弱い男は多いであろう。
「飲ませる」もわかる。
「食わせる」というのはおかしいが、畏友(胃友か?)小松左京氏など見てると、さもありなん、とうなずける。
「先生、明日までに原稿をなんとか……」と山海の珍味で攻撃すれば小松ちゃんのことだ、
「ムシャムシャ……ムムム、何とかする」などということになろう。
「握らせる」も、普遍的弱点であろう。
「いばらせる」というのはちょっと思いつかないが、男の平均的弱点であるにちがいなく、人によってはこの上にまた、「反対させる」「いやがらせさせる」「どならせる」などとあろうし、もしそれ、わが大先輩野坂昭如センセイならば、「からませる」などいかがであろうか、|五せる《ヽヽヽ》に加えて、この|六せる《ヽヽヽ》で攻めれば畢竟《ひつきよう》、彼とて人の子、メロメロに落ちるのではあるまいかね。
ところで私が思うに、男の通常的特質として「教えたがる」というのがあると思う、よって男を籠絡せんとせば、この特質を逆用して「教えさせる」という、これぞ「六せる」ではあるまいかと思うのだ。
いったい男というものは、(カモカのおっちゃんをみてもわかるが)自分で知らないものはないように思っている。何かというと、
「イヤ、それはそんなもんやない」
とか、
「うんにゃ。そうにきまってます」
とか、重々しく断定する。
説教というのではないが、教わるのがきらいで、教えるのが大好き。
そうして少しばかりの知識を勿体ぶって重々しく披露し、あるいは教えしぶり、あるいは指示教導し、仰げば尊しわが師の恩、と、未経験者に尊敬のまなざしでみつめられるのが大好き。
私、思うに特に男というものは、セクシュアルな事柄に関して、女に教えるのが好きなようである。
男が男に、つまり先輩が後輩に教えるのはこれはふつうのことだが、男が女に教える、そのたのしみがこたえられない、というのが大方の男の特性ではなかろうか。
男が処女を好むのもそれと関係があるのかもしれない。処女はもの知らずだから。
処女にかぎらない。性の道は奥ゆき深いから、教え教えられることは無限にある。人間だって最初はセキレイに教えられたのだ。ところが古川柳によると、「セキレイも一度教えて呆れはて」というほど、人間は切磋琢磨、たちまち出藍のほまれの名をあげることになる。
太古からいかに男が知ったかぶりして女に教えてきたかと思うとほほえましい。しかしまあ、それだから安定感があるので、これが反対だったら、ずいぶん、みっともないことだろうと思う。
「心配せんでもエエて——な、痛いことないさかい」
などと男が、そめそめと女の耳にいい、女は羞ずかしさと不安と何とはない悲しみやら怒りやらで、ぷんとして横を向いて返事もしない、さればといって逃げ出すでもなく、わめき立てるでもなく、うすい冷や汗なんかじっとりと額ににじませて上気して頬が桃色になっている、などというのは、ちゃんと型にはまってよいが、
「大丈夫よ、あたしに任しときなさい」
などと、女にくどかれている男は、どうもぱっとせず、もひとつ、しまらない。
それが若い男と中年女ならまだしも、たとえばカモカのおっちゃんなどが若い女にささやかれている図なぞは、|けったい《ヽヽヽヽ》を通りこしてうす気味わるい、やっぱりこれは、重々しく、
「いやいや、そうやるのではない、もっとこう……そうです、そうそう、それから、こうやって」
などとカモカのおっちゃんが教えるほうがぴったりくるようである。
しかし、男というものは、相手が未経験者であってもなくても「教えたがリン」なのだ。どういう根拠でそう信じてるのかしらんが、女より男のほうがもの知りで、性に関しては練達者であると思いこんでいる。だから気の利いた女は男に気に入られようとすると、カマトトにならざるをえない。
そうして、男に「教えさせる」たのしみを与え、こっちの思うつぼにはめてゆくことになる。
だけど、知ってて知らないふりをするのも辛いよ、これは。
非処女が処女のごとく装いふるまうのは、これはこの際はぶく。こういうふうなのは全くの詐欺であって、いうなら破廉恥罪、七つの大罪のうち、ウソツキの罪である。これは男と女のいろごとのかけひきの遊びからいうと邪道で、マヤカシ、ニセモノ、イカサマの臭味があり、淑女のとるべき道ではない。男は紳士らしく、女は淑女らしくふるまうのが、いろごとの楽しみの奥義だ。
私のいうのは双方、一人前のオトナとしてである。
オトナの淑女ならば、〈ヘタクソ。もうちょっと何とかならないものかしら〉などと思っても、そんなことはけぶりにも出さない。あるいはホテル・モーテルの設備に通じていて、どのボタンを押せばベッドが動くとか、どの紐をひっぱればカーテンがあがって鏡が現われるとか知悉《ちしつ》していてもおくびにも出さない。
そうして男が、心得顔に得意満面でやってみせると、ビックリして身も世もなく、
「あら」と恥ずかしがってみせたりする。
この頃はこういう風になってんのだ、驚いたろう。まだまだ驚くことがあるよ。まあ、ほんとによくご存じね、と女は恩師を仰いで殊更、尊敬のまなざしでみつめる。生徒もいろいろと辛いよ。苦労するんだ。