キリストというのは、時にいやなことをいう人である。
「汝《なんじ》らパリサイびとよ、汝らは白塗れる墓窟《はかあな》のごとし、外は美しく飾れども内は汚辱にみつるなり」
私は、これは、アンネのときの女のことを、あてこすって、いうてはるのだと思う。それはヒガミだといわれればそうかもしれないが、いつもここを読むとき、何か落ちつきがわるい。きっと、キリストの皮肉だと思う。しかし全くその通りで、残念ながら認めざるをえない。
そして女は、「白塗れる」外の美しさを書くことはできるけれども、「墓窟のごと」き内の汚辱を書くことはできない。
いつか、私に、小説の注文がきたとき、
「こんどは何書こうかな」とつぶやいてたら、
「アンネのことは小説になりまへんか」と助言した編集者がいた。
そんなことが書けますか、夏の暑い日はむれてすごい異臭を発して、犬が鼻を鳴らしてどこまでもついてくるとか、現在市販されている生理帯《バンド》はみんなどこかが不備で、人によって前へずれたり後へずれたりして、万人ひとしく困っているけど、国会へもち出して論議するわけにはいかないとか、バンドは薬局に売っており、婦人が店番してたらいいと思うときにかぎって男の店員がいるとか、男のバンドは、現今はベルトといい、これは洋品店に売っているとか、そういうたぐいのことは、いやしくも淑女たる私には書けない。
まして昔は脱脂綿で、これはすぐぼとぼとになって困ったけど、今のアンネならびにその類似品は女性史上、画期的な発明であるとか、そういうことは私が書くわけにはまいらない。どうしてそういう「汚辱にみつる」内側が小説になり得ようか。
ただ、私がこの際、うたた感慨に堪えないのは、現代っ子かたぎの変遷である。
図表にするとこうなる。
私。昭和三年生まれ。はじめてのアンネは女学校二年生。〈感想〉ゆううつ。一生涯、毎月こんなにじゃまくさいことがあると思うと、目の前がまっくらになった。
妹。昭和六年生まれ。女学校三年のとき。オイオイ泣いてた。
「やっぱり、オトナになったと思うのが、淋しくて悲しかったんやないかしらん」と、オトナになってから妹は注釈している。
私の知ってる女の子。昭和三十二年生まれ。小学六年のとき。
「やったァ」と舌を出した。「うん、知ってるよ、クラスの子もう、たくさんあるもん。ね、私のあれ、どこ。用意してあるんでしょ。でもいややな。おとうちゃんにいうたら、あかんよ。夫婦って、ほんとに、いやらしいんやから」
もう一人、私の知ってる女の子。昭和三十四年生まれ、まだない。
「ね、私のも用意してあるんでしょ、見せて」
とたんすをさがす。
女親は、かねての用意に、可愛らしい小さなバッグに詰めた、それ用のピンクのパンティや花模様のナプキンを見せる。女の子は、
「フ、フフフ」なんて、まんざらでもないようす。
「ふーん、こうなってんのか」などとちょっとひろげ、「これ、使うのね」なんて楽しみにしてる。
二、三カ月して、また、
「ね、用意してあるの、見せて。どッこもやってないでしょうね、ちゃんとしまってあるね」なんて念を押す。
「どうしてかな。ウメモトさんと私だけよ、クラスで。ウメモトさんに負けたらくやしいな、ね、どうしたら早くなる?」
また数カ月後、がっかりした顔で帰宅してきて、
「きのう、ウメモトさんあったんだって。くやしいな、負けちゃった。どうしてやろ、なんで私だけ、ないのかな、腹立つな、タベモノのせいかな。間食しすぎるからとちがう? ってウメモトさんにいわれた、くやしいな」
また、数カ月。
「もう一生ないのかもしれへんね。私、いいの。アフリカの奥地の無医村へ医者になっていって、シュバイツァー博士のあとつぎするんだ」
この女の子は変りものだということだが、私にはそうは思えぬ。アンネがないから、シュバイツァー博士のあとつぎになるという発想も、それほど突拍子もない無関係とは思えぬ。そういえば、「いま、何時?」ときいたら、
「何時やったらええのん?」ときき返すのも、「国語辞典」を調べていて突如、天を仰いで笑い出し、
「国語辞典に、〈国語辞典〉いうのん載ったァる」と笑い出すのも、さほどおかしいとは思えぬ。しごくまっとうなセンスである。
また数週後。やっと、あった。
しごく事務的な態度。
「うん、これがそうか。うん、わかった」
あっちこっちに散らかしたりする。女親はついてあるいて注意する。
「そうか、じゃまくさいもんやね、意外と。めんどくさいな、あんまり、よくないね」
いいものだとでも思ってたのかしら。
「おとうさんにいうたら、怒るよ、私」
そうして、いまや、三十二年生まれも、三十四年生まれも、もう何十年もおんな商売つづけているごとく、ものなれた手だれになってビクともせぬ。私たちのころは、その前後になるとメソメソ、くよくよ、ゆううつになり世をはかなみ、この世の憂苦を一身に担《にな》った顔になっていたのに、いまは恐れげもなくミニスカートで走り廻り、惜しげもなくアンネを費消し、脱脂綿を洗って乾かして使ってたヒトケタ世代とはえらいちがい、ただ一つ同じなのは、
「おとうさんにいうたら、怒るよ、私」
というセリフと、その日のうちに女親が男親にいうてしまう、その「夫婦のいやらしさ」。
これはもう、太古このかた変らぬすがたであるらしい。