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女の長風呂31

时间: 2020-06-25    进入日语论坛
核心提示:コレクターの栄光世に、性科学研究家と称する人は多く、またそのコレクションも、スケールの大きいのから小さいのまで、種々雑多
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コレクターの栄光

世に、性科学研究家と称する人は多く、またそのコレクションも、スケールの大きいのから小さいのまで、種々雑多である。
私も三、四、それらのコレクターとコレクションに出あったことがある。そして、これらコレクターたちには、一種、独特の雰囲気があることに気付いた。
尤も、私はこの方面の第一人者、高橋鐵氏にお目にかかる光栄に浴することはついにできずじまいだった。かつ、氏の有名なコレクションを拝見する機会も得られなかった。そこで、私のいう、コレクターの中に一括して、高橋氏をくみ入れることはできない。氏は別である。
私のいうのは、村々町々にいる、ごく庶民的な性研究家たちである。
彼らはそのコレクションを、金をとって誰にでも見せる——といったら、怒るであろう。誰にでも見せるのではない、ツテに紹介されてくるとか、予約をしないと見せないのだ、という。また、俗人に見せるのでなく、その道の研究家にしか見せないのだ、という。そしてまた、金をとるのではない、向こうが研究費を寄附するのだ、というであろう。
しかし予約すれば必ず見られるのであり、予約は誰でもできるのだ。かつまた、俗人は見せてもらえないけれども、この道にかけては俗人は必ず研究家になる素質があるのであり、研究費に至っては、それを払わせられるような仕組になっているのだから、仕方がない。——しかし簡単に、金を払えば誰でも見られる、というと怒るのである。かくの如く、彼らの第一の特徴は、気むずかしいことである。
おしなべて、不羈狷介《ふきけんかい》、ムスッとした顔をして坐っている。
尤もこれは、そのほうがコレクションに権威を与える意味からも、妥当なように思われる。
歌麿、英泉、国貞といった目もあやな秘画の前で、にこにこと揉《も》み手をして、
「さァ、どうぞ、どうぞ、一つごゆっくりとご覧になって、どの態位がいちばんお気に召しますか、とっくりご研究のほどを。さァ、いらはい、いらはい、今晩すぐ役に立つ世紀の大コレクション!」
などと愛想よくやらかしたら、せっかくのコレクションがあたら泣こうというもの、やはりこういうものは、お上の目を掠《かす》め、世間に憚《はばか》り、窓にカーテンひき雨戸をしめ、息をつめて見入らねばならぬように思われる。
気むずかしい所有者は、いずれも眉間に縦じわ、
「これそこらへんのものを勝手に触っちゃいかん、触るな、ちゅうのに!」
とどなるくらいは朝飯前で、
「私の説明に従って見てゆく。そもそも、太古よりこのかた、イザナギ・イザナミの二神が、成り足らざる処《ところ》に成り余れる処を……」
なんて、気の遠くなるようなところから話が始まってくる。これも共通している。
みんなウワのそらで講義をきいて、目はひたと絵や写真に見入り、古ぼけた土俗の木彫品など有難げにひねくり廻して手から手へ渡される。講義がすすむにつれ、ブルーフィルムなどのレッスンもあるが、こういうときのは真打は出さないようで、さして目あたらしいフィルムでもなく、このあたりから、東南アジア専攻コースと、欧米専攻コースなどに分かれるようである。
だいたい、神主、坊さんのたぐいは東南アジア、インド、中国あたりのコレクションが多くなり、民間の町の先生はデンマーク、アメリカあたりのものを専門になさる。
しかしコースの違いはあれ、これらコレクター兼研究家の諸先生の第二の特徴は、おおむね、ご自身は不能者らしき態であることである。
神経質そうな、かつまた、水に洗い晒《さら》しすぎたような、あるいは、山のてっぺんで風に吹かれすぎてしまったような、よくいえば、毒気のぬけた、わるくいえばしぼんで萎《な》えたような御仁が多い。
そしてその分、骨にまわって、骨っぽくなり、気骨稜々《りようりよう》、人を人とも思わず、男も女も屁のかっぱ、意のままに大喝し、うそぶき、頭ごなしに叱りつける。
「これが絵金《えきん》の絵巻、この筆勢を見よ、わかったか!」
「ハハッ」
と平伏させられてしまう。しかし、そうやってコレクションに権威をもたせられればもたせられるほど、それを強調する先生の憑《つ》かれた眼に、こちらは不能者の匂いを感ぜずにはいられない。
しかしこれは私の、浅い人生経験のカンであるから、当りはずれはご容赦ねがいたい。
だが、おびただしい秘画、春画、猥画、さまざまな性具、性的彫刻、リアルな奴あり稚拙な奴ありの中に取り巻かれ、人は現実の世界にひき戻されることがあるであろうか?
汗牛充棟《かんぎゆうじゆうとう》もいいとこ、まるで家中、足の踏み場もないほどに、性的情報の洪水、その中で男は現実の性になおかつ興味をもつものであろうか?
しぜんに風に吹かれ、水に洗い晒されてしまうのも仕方ないことではあるまいか。
次に第三の特徴としては、研究の対象が対象だけに官憲の圧力が強く(先生方の気骨はそれによって培《つちか》われたのかもしれないが)、ことに逸品を押収《おうしゆう》されたりした先生の、お上への怒りは深刻である。
警察も検事も、その逸品をどう処分したか、かつて明らかにしないという。一応焼却したというが、ではその現場に立ち会わせろといっても取合わないという。先生は声涙ともに下る調子になってお上を罵《ののし》り、官憲の横暴を呪詛《じゆそ》なさるのである。
しかしながら、反・お上であるとともに、諸先生方はわりに有名人ごのみであられるらしいのも共通している。たいてい、コレクションを見た内外有名人直筆の手紙や写真やらが、額に入れて飾られてあるのも同じ。和文・英文の讃辞にかこまれて、先生ご自身が有名人と写っていられる写真がまん中にあるのも同じ。
わが研究・蒐集《しゆうしゆう》の成果を人に問い、人に認められる、それは至難の道であると共に、何ものにも代えられぬ深い喜びであろう。諸先生方が、気むずかしく、不能者になられる所以《ゆえん》である。——と見たはヒガ目か。
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