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女の長風呂32

时间: 2020-06-25    进入日语论坛
核心提示:拝観女の姿態カモカのおっちゃんが疑問を提出した。栄光あるコレクターたちの不能うんぬんについてである。カモカのおっちゃんは
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拝観女の姿態

カモカのおっちゃんが疑問を提出した。栄光あるコレクターたちの不能うんぬんについてである。
カモカのおっちゃんは、コレクションが先生を不能にしたのではなく、先生が不能ゆえ、コレクションを始めたのだという。ニワトリが先か、タマゴが先かというたぐいであろう。どっちでもええやんか。
ところで、コレクションを見せるほうは居丈高になっとればいいが、見せて頂くほうも、これでなかなか、むつかしいところがあるのだ。
とくに、女が見る、これ、作法がむつかしい。
なんでこうも女は目立つのか。じつに女というものは、男より生きにくい、おんな商売を張るのも大抵ではないのだ。
男なら、大っぴらにコレクションを見て、
「ハア!」
と感嘆したり、
「なるほど」
と感に堪えたり、
「へえ!」
と悦に入ったりできるのだ。
しかし女はあからさまに面白そうな顔をするわけにはいかない。
とくに、中年女の進退はむつかしい。
若い女は、はじめからそんなものは見たがらない。また、たとえ見たにしても、
「キャア! いややわァ」
「いやァ! よう見んわ」
などと羞ずかしがるか、もしくはそのふりをしてたら恰好はつく。
婆さんとなると、これはもう矢でも鉄砲でももって来い、という、胆《たん》、甕《かめ》のごとき豪傑が多く、
「ほんにまあ、ようでけとること……」
としげしげうち眺めて、皺《しわ》んだ口もとをにんまりほころばせ、ホホホ……と笑っていたとて|さま《ヽヽ》になるのだ。いかにも適切で見よい眺めである。
しかし中年女は何としようか、しげしげ見るも怪体《けつたい》なり、羞ずかしがるのもカマトトじみ、さも汚らわしそうにするなら、はじめから見に来ねばよいと人のヒンシュクを買うであろう。あまり熱心にうちこんで探究調査するのもいかにももの欲しげで、眼がらんらんと光ったりしてりゃ、ざまはない、じつに女というものはことごとく、やりにくい。女同士うちつれての鑑賞もなまぐさい感じ、男の中にただ一人、紅一点でまじって見るのもおちつきわるい。
しかしむしろ、どちらかといえば、男の中にまじって紅一点で見るほうが私としてはマシである。
男の中へはいって見にいくと、紅一点といっても私如きドブネズミ級の中年女は、半分もう男みたいな外見、先方も、拝観者もさして気にならないらしく、おとなしくしてりゃ、どうということはない。
ヘンな嬌声をあげたり、ひとりだけうつむいてもじもじしてるから目立つのだ。
だまって、忍者のごとく、ひっそりと坐ってる、この呼吸が大事。
忍者は山田風太郎センセイや村山知義センセイや司馬太郎センセイの如きその道の権威によれば、そこに居て居ざるごとく、身を消滅させる術は、自我・自意識を任意に消すことであるそうだ。火遁《かとん》、水遁《すいとん》にくらべて、空遁《くうとん》とでもいうか、空気中に大気と化して、空々漠々と消滅する。そういう術を身につけた|くノ一《ヽヽヽ》となって、私は見るごとく見ざるごとく、半眼に見ひらいて拝観する。よって、同行の男性どもは、空遁の女忍に心ゆるし、いっこうに気にならず、おおっぴらに鑑賞するのである。そして私もそのおかげで、ゆっくり見ることができるというものだ。
これが、同行女性ばかりのグループだとどうか。
第一、向こうが手心して、いいかげんな奴しか見せてくれない。ウーマンリブは、なぜこんなときに立ち上がってくれないのだろうか。女だとタカをくくってみくびり、いいかげんなニセモノの絵や、ありきたりの写真や、デパートでも買えるようなシロモノしか出さないのである。
しかしながら世間知らずの婦人たちは結構それで肝っ玉をでんぐり返し、
「まあ、どうでしょう、おくさま、これ……」
「あら、いやだ、これと同じものを宅がもっていましたわ、何をするもんですかときいてもハッキリ答えないで……」
などとかまびすしく、いったん堰《せき》が切れるともうあとは恥も外聞もなく殺到し、欲張って一つでも多く見ようとし(無欲な女でも、群れると欲深になる)、人おしのけて踏ンばってのぞきこみ、いつまでも独占していて放さず、人より先に走っていき、もう疲れることおびただしい。
もし然らずんばいやにていねいで、まるでお茶の稽古でもやってるよう。
にじり口から入るごとく、扇子をひざ前においてふすまをあけ、両手をついて席中のようすをうかがって、にじってはいり、床に目もあやに散乱した極彩色の秘画に向かって、一礼して拝見したり、してはる。
さながら、棗《なつめ》や茶杓を拝見するときのごとく、両肘をひざにつけてセンセイから拝観者に廻されてくる、古ぼけて汚ない箱に入った「りんの玉」なんぞを拝見し、
「けっこうなお品でございます」
などという。これもくたぶれる話ではないか。よって私はそのたぐいのものを見るときは男といくんだ。そしてもっぱら、
「空遁の|くノ一《ヽヽヽ》でいくねん」
とカモカのおっちゃんに自慢してたら、おっちゃん、にがにがしく遮《さえぎ》り、
「どだい、女がそんなもん、見ることはないやないか。だいたい、この頃の女は、何でそう男と同じことをしたがるのだ。おまけに近頃の娘ときたら、何を見せても羞ずかしがらず、矢でも鉄砲でももって来いというシタタカぶり、却って六十七十のお婆ンが顔赤うして羞ずかしがったりして、もう、どっちへ転んでも女はいやらしい。女はそんなもん、見んでもよろし。女は黙ってやらせとりゃ、ええのだ!」
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