私の遠い親戚に道楽者の老人がいて、妾の家で死ぬという大往生を遂げた。私の子供じぶんの話である。
女学生の私にはすでに、妾というものがどういうものかわかっている。
それはよろしい。しかし次に、オトナたちが、
「妾いうたかて、あんた、もうあのおっさんは早うから、門口《かどぐち》でオジギしてはンねンから……」
といい、入れ歯もはずれんばかりに、
「フャッ、フャッ、ヒッ、ヒッ」と声を合せて笑い、私はいたく不審であったのをおぼえている。
門口というのは大阪弁で、玄関という意味である。玄関へ訪れてゴメン下サイとあたまをさげるのは当然ではないか。どこがそうおかしいのかと私は思いつつ、寝そべって「少女倶楽部」の「どりこのどりちゃん」のマンガなぞ見ていた。
しかし、何か、ワイセツの匂いをかぎつけたから、今なお、記憶にあるのであろう。オトナというものは、いみじくもワイセツなものだと、子供心に私には深く印象されていた。
私のウチは大阪下町の商家で、使用人を入れて二十何人の大家族であった。而《しこ》うして女連中は、矍鑠《かくしやく》たる八十歳の曾祖母を筆頭に、大奥とでもいうべき、一大勢力圏を形づくり、曾祖母のトグロを巻いてる隠居所は一家の中枢で、大蔵省、人事院、文部省、厚生省、新聞社放送局を兼ねていた。
「門口でオジギする」などという話を交すのは、たいがいこの大奥幹部である。未婚の若い叔母や、若嫁である私のお袋なんかは列席をゆるされない。
もっぱら元老級のご老女たちで、あたまを剃《そ》って頭巾《ずきん》をかぶってる曾祖母、入れ歯の祖母、続き柄《がら》のしれない掛《かかりゆ》う人《ど》の老婦人、千軍万馬といった親類筋の老女、シャベリの女中、そういう妖《あや》しきお局《つぼね》たちが集まって、あけすけな話を交す。そうして私は子供であるとお目こぼしにあずかって、隅っこにいても、彼女たちは平気である。
「ネソがコソする」などという大阪弁も、そこで教わった。ネソはねっそりだと、牧村史陽氏の「大阪方言事典」にある。「おとなしさうにみえる人が、かへつてかげでこそこそと、とんでもないことをしてゐる」という意だと、この本にはあるが、私はすでに子供のときに、この語感を知っていた。
裏通りのメリヤス問屋の手代、実直そうなまじめな男がひそかに主人の娘と通じていて、「娘のオナカを大きゅうしてしもた。あれがほんまに、ネソがコソするや」と曾祖母は歯ぬけの口でフガフガといい、私はまた「なんじゃもんじゃ博士」など読みつつ、あたまの中では、どこからかクダで息を吹きこんでせっせと「娘のオナカ」をふくらませているまじめな手代を想像していた。そうしておとぎばなしにある、オナカをふくらませすぎてパーンと破れた蛙のイメージをそれに重ねたりした。同時に「ネソ」の男はゆだんならぬとも子供心に思ったりした。「ネソ」の男は、おとなしそうに見えるが、人知れず、後手にクダをかくしもっていて、人のスキをみては息を吹きこんでオナカをパーン! といわせようと、ねらっているように印象せられた。それが、「コソする」ということであると、子供心に深く、うなずくところがあった。
長じて私は、「ネソがコソする」を標準語に翻訳しようと試みたが、むつかしい大阪弁の中でも、ことに翻訳しにくい語感であるようである。
東国には「むっつりSUKEBE」という名詞があるが、「ネソがコソする」という、淫靡な動詞のかんじにはあてはまりにくい。
ましてや、どこからかクダをさしこんで息を吹きこんで、オナカをふくらませようとする意味をあらわすのは至難である。「ネソがコソする」は、所詮、「ネソがコソする」としか、いいようのない、あやしの語感である。他語に置きかえにくい。
そういう語感を、私は大奥のお局たちからちゃんと教わった。
また、新聞の広告なんかを子供のころに何気なく、声を出して読む。
「ハナヤナギ病……てなんの病気?」と一ペんきいたことがあるが、そこにいたお局たちはいっせいに、
「フャッ、フャッ、ヒッ、ヒッ」と笑いさざめき、曾祖母は咳《せ》きこんで痰を懐紙にとりつつ、
「そないなことは、大きな声でコドモがいうもんやおまへん」とたしなめる。
「月やく、いんきんたむし」なんて大きな広告が、「蛇姫様」の新聞小説の下にのっている。私が声をあげて読むと、
「これ、そないなことは……」とたしなめられる。従って私は、人前で声に出してはいけないこと、いいことを自然に教わるわけである。
しかしながら、語感はともかく、「門口でオジギする」なんてことは、かなりのちになるまで、わからなかった。
たいがいの女学生は、よっぽどヘンな育ちかたをしたのでないかぎり、通常の家庭の女学生なら、男女のことわりは知識として仕入れるけれども、それでも、「門口でオジギする」ということの何たるかがわかるはずはないであろう。
ずうっと、ずうっとあとになって、やっと長年の疑問、一時に氷解、ということがある。
それからまた更にあとになって、また更に一時に氷解、ということもある。人間というものは長く生きてりゃ生きてるほど、アトになって思いあたることが多いらしい。
「イヤほんま、そういうことはありますな」とカモカのおっちゃん、「僕は聯隊旗、という言葉でしたな」
「聯隊旗——って、あの旧軍隊の。兵隊が捧げ銃《つつ》をして、旗手がおごそかに捧げているヤツですか」
「さよう、名誉の聯隊旗というヤツ。少年倶楽部の写真なんかでみたヤツを、いま、この年になってシミジミと思い出しますなァ」
「と、いいますと——」
「聯隊旗みたいな女がふえました。老いも若きも、ですわ。フサだけ残って中身はボロボロです。イヤ、あとになって思い当ることは多いもんです」