私の子供のころ、玉錦という横綱がいて、この人のオナカがすごく大きいので、何が入ってるのか、ふしぎでしかたなかった。
玉錦が盲腸になり、手術した。
すると、そのオナカは大部分脂肪であると新聞に書いてあった。私の疑問はそれによって解けたが、玉錦は死んでしまった。
しかし男のひとのオナカの出ているさまは、玉錦のせいかどうか、私には押出しがよくりっぱな感じで印象せられた。
かつまた、オナカの出てる男はりっぱで堂々として、毅然《きぜん》としてゆるぎなく見えていながら、内実は、あるいはもろい、やわらかい、たよりない中身ではないかとも思い、何かしら気の毒げな、いたわるべきモノのようにも印象せられた。
これも玉錦のオナカの印象のためである。
男の出っぱったオナカは、イイダコの中身にプリプリと詰まっている|イイ《ヽヽ》のようでなく、ふにゃふにゃの脂《あぶ》ら身《み》であるように思われてならぬ。
便々《べんべん》たる太鼓腹、という形容は玉錦のものだったが、りっぱで、堂々としていながら、どこかもろい、庇護《ひご》すべきものの感じ——そんなものがまぜ合わさって私には考えられる。
たよりになりそうでありながら、また、たよられてみたい、という気にもなる。
私は、男のひとのオナカの出ているのは、だからきらいではない。そういえば、私は、男のひとのあたまの禿げてるのも薄いのも、きらいではない。初手からきらいな感じの男なら仕方ないけれど、もし好きになった男なら、オナカの出てる人でもあたまの禿げてる人でも、そばへいったらドキドキするほど嬉しくなる。
どうも考えてみるに、玉錦のオナカに親愛感をもったせいであろう。
男の容姿にも、こうでなくてはいかん、という注文はない。好きになった男なら、小男でも大男でも好きになる。男のひとは、女に関する好みがあるだろうけれど、少なくとも私にはきまったタイプはない。
ただ、ほかの女のひとはちがうらしくて、中年の女のひとで、あの青年の首すじがどうだ、とかこの若者の腰つきがよいとか、脚がすらりとしてる、顔のかんじがどう、などと夢中になって取沙汰し、品さだめしているひとがあるけれど、私は変人なのか、若い男の美しさというものに、うつつをぬかしたことはまだない。
若い男を見ても、若い娘たちを見るのと同じ、ちょうど花が咲き鳥が飛んでるのを見るように自然の現象の一部にしかかんじられない。どうかなったのかしらん、と不安になることがある。
それどころか、若い男が近ごろの広告写真なんぞで着物を着て写ってるのを見ると、じつに醜悪に見える。あれはじつにぶさいくである。細身にたけばかりたかくて、まるでふんどしを長々とひきずって歩いているよう、私は若い男というのにあんまり、美をかんじないのである。
着物というものは、腰骨が張ってオナカが出ている、横太りの男に似合うので、やっぱり、中年ぐらいから|さま《ヽヽ》になる。
服を着てれば恰好いいかというと、たけだけしく細い容姿は、若者の唯我独尊のシンボルのようで、あわれさがない。
私はどうも、男のすがたというものにあわれさがかんじられないと、好きになれない。
軍人サンにはそんなものは要らないという人があるだろうが、三島由紀夫サンの楯の会に悲壮美がないのは、みんな若者で細すぎてオナカが出てないからだ。
三島サンも、もう少しオナカが出てくるまで生きていて、オナカの出た体に楯の会の制服を着たら、あわれさが出てステキだったのに。
すべて男は、ある程度、オナカが出て、あたまが薄くならないと、いい情感を身辺に漂わせるに至らない。
ゴボーみたいに細長いのだけが取り柄じゃないんだよ。
この間、海上自衛隊へいったら、幹部の将官たちは、みんな押出しよく、ちょっとオナカが出てあたまが薄くなっていた。
昔はこの人々は、女学生あこがれの的の、海軍兵学校の生徒サンたちで、颯爽としていたのだが、さすがにお年がらである。そういう私のほうもいい年になっており、さながら、
「うら若き君がさかりを見つるわれわが若き日の果《はて》をみし君」
という歌の通りだったが、それでも、
「若き日の果」の男たちには、じつにえもいわれぬ味わいがあった。
軍服をまとっていてさえ、そういうオナカの出た男にはやわらかみのあるいい味が添うのであるから、まして普通の服では尚更のこと、それを男たちはオナカの出たのを恥じ、女たちは貶《おとし》めていうのはあさはかな見解というべきである。
中年の男でせっせと体力づくりにはげみ、というときこえはいいが、オナカの出ないように年よりのひや水ともいうべき鍛練にいそしんでいるのは、いやらしい心がけと申さねばならぬ(この際、同業者の範例ははぶく)。
私は何でも自然のままになってるのが好きだから、「いや、この頃、もう年でオナカが出てあきまへんわ」とうそぶいているようなのが、ほんとのプレイボーイではなかろうかと思う。
若いヤツが年よりの風をまねるのもいやらしいが、年よりが若いものとはり合うのも見ててしんどい。オナカの少々出てる男に嗜好をもってる女もこの世の中には多いはずで、女を見ればむりしてオナカをひっこめ、姿勢を正そうとするなんぞ、愚の骨頂である。
カモカのおっちゃんにいわせると、
「しかし、やっぱり女はスマートな男を好むのとちゃいますか」
「いや、そんなこと、決してないわよ。男は強そうで弱そうで、憎らしそうでやさしそうな、そんなところがあってこそ、りっぱなんです。それがオナカにあらわれてるので……」
と声を嗄《か》らしていってたら、おっちゃん憮然《ぶぜん》として、
「しかし、そない慰めてくれるのが、若いきれいな女の子ならええけど、えてして、そういうのは中年のお婆ンですからな」
とぬかした。