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女の長風呂40

时间: 2020-06-25    进入日语论坛
核心提示:痴  漢痴漢の季節になった。痴漢というと私は「教育勅語」を思い出す。「教育勅語」というのは明治二十三年十月に、明治天皇が
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痴  漢

痴漢の季節になった。
痴漢というと私は「教育勅語」を思い出す。
「教育勅語」というのは明治二十三年十月に、明治天皇が日本の根本的教育理念として下賜した勅語で、終戦までは、たいへんな権威をもつものだった。若い人たちのためにいうと、祝祭日、学校で式のあるときは、必ず校長先生がモーニングを着て白手袋をはめて恐る恐る「教育勅語」を両陛下のお写真の下段の棚からとり出し、捧げもって、震え声で長々と読む。ノリトのような節《ふし》をつける。
生徒たちは直立して首を垂れてきく。あたまを下げっぱなしなので、必ずそこここで、ハナをすする音がきこえる。
文句は子供にはチンプンカンプンである。たとえばこうだ。「朕《チン》オモフニ我ガ皇祖皇宗国ヲ肇《ハジ》ムルコト宏遠ニ徳ヲタツルコト深厚ナリ……」こういう文句が延々とつづく。子供には苦役である。私なんぞは上眼使いに校長先生の顔を見たり、隣の子の靴の先を踏んづけたりしてた。
ところで、その「教育勅語」と痴漢の関係だが、私は娘のころ七年ばかりも女事務員をし、大阪へ通勤したので、じつによく痴漢にやられた。やっぱり、夏が多いようであった。
私は小太りで肉付がやわらかく、ポチャポチャしていた(昔は)。それに色白だったし(昔は)間のぬけた顔をしていた(とくに昔は)。こういうタイプは痴漢にねらわれ易うおます、と知り合いのお巡りさんはいっている。
満員の車内、汗びっしょりになり、無念無想で揺られていると、どこからともなくオシリを撫でる手が忍び寄ってくる。ふり払ってもふり払ってもまたくる。じつに執拗である。驚嘆すべき粘りである。不撓不屈《ふとうふくつ》の精神力である。それを仕事に廻したら、何とかモノになるだろうに、それは廻す気にはならんらしい。
体の向きを変えるとこんどはスカートの前へ手をのばしてくる、斜《はす》かいにすると、更に図々しく、私の手をにぎって、自分のズボンのジッパーの前へもっていこうとする。危うし、おせいさん、さて、そこでだ。
見上げてごらん、夜の星ならぬ痴漢の顔を、だ。男の手から腕から、肩から、見上げていくと(その頃も今も一五〇センチに満たないチビである)痴漢の顔付きというものは厳粛崇高なものなのである。「教育勅語」を拝読朗誦していた校長先生の顔にソックリなのである。
「朕オモフニ我ガ皇祖皇宗国ヲ肇ムルコト宏遠ニ……」
というような、荘重な顔なのである。痴漢は、一技一芸に達した人のもつ悟りのようなもので、顔は澄みきっているのである。戸田白雲斎のような、大悟解脱《だいごげだつ》の仙人みたいな顔をしているものだ。
私は必死にモゾモゾする。当然、周りの男たちはチェッ! という顔で、私を見おろす。私はニューヨークのビルの谷底から青空を仰ぐ人のごとく上向いて、
「すみません、|けったい《ヽヽヽヽ》なおっちゃんがいてはるんです」
という。それでウヤムヤに痴漢は作業を中止する。しかし、周囲の男たちのあいだには私の言葉によって一種の苦笑とも|照れ《ヽヽ》ともつかぬザワメキがおこり、それは今にして思えば、仲間の不始末をかばいだてするような、ある連帯感のザワメキであったと思うのだ。
女の子が口|尖《と》がらせて、訴えているのを、(まァ、ええやんか、かんにんしたりイな)とかばうような、無言の共感を、男同士はもっているらしいのだ。
してみると、男には、みんな痴漢の要素があるのだ。大久保清までいかなくても、その卵ぐらいは一つずつ抱いているのだ。
あの男たちの苦笑まじりのザワメキの連帯感がクセモノだと、私は思う。男の中に放たれた女の子はみな、狼にねらわれる子羊で、その純潔は風前の灯《ともしび》ともいうべく、ことに困るのは、「けったいなおっちゃん」らが、童女・幼女をうかがうことで、これは憂慮すべきことである。
私たちの童女時代にも町内に一人ぐらいは「けったいなおっちゃん」がいたと思う。おっちゃんは子供たちを遊ばせると見せて仲間に加わり、大阪のわらべ唄に、
「紺屋《こうや》のお鼠《ねず》が、藍|食《く》て糊食て、|すまんだ《ヽヽヽヽ》(隅っこ)ヘコーチョコチョ」
という遊びがあるが、こう唱いつつ相手の子の掌《てのひら》をつつき、コーチョコチョで急に相手の腋の下をくすぐる。相手の子はキッキッキと笑うのである。おっちゃんは腋の下の代りに、スカートのオシリをじわッと撫でたり、抱いたりする。
町内の風呂屋「あけぼの湯」へいくと、おっちゃんは番台の横に立ち、全裸で大股ひろげて体を拭き拭き、女風呂を偵察している。たいがいの男たちは、番台に金を払うときは、女風呂のほうを見るが如く見ざるが如く、一瞬のあいだに通りすぎるが、おっちゃんは仕切りの|のれん《ヽヽヽ》の間からじっと眺めるのだ。
小学一、二年まで私はこっそり裏の露地《ろうじ》の溝でオシッコをしていた。家の便所まで走ってかえるのはじゃまくさいからである。
友達のサッちゃんと向きあって溝にまたがり、オシッコのかけあいをする。私のよりサッちゃんのほうが射程距離が長くて、私の小さな下駄《かつか》は濡らされた。二人でキッキッ、クククク、と笑っていると、そういうときに、けったいなおっちゃんはそば近く突立って凝視しているのである。そうして、そういうときの顔は、おしなべて、
「朕オモフニ我ガ皇祖皇宗……」
という厳粛な顔なのである。決してニヤニヤなんか、してないのである。ニヤニヤしてながめてるのは、痴漢でもけったいなおっちゃんでもないのである。ニヤニヤするのは、これも昔の町内に一人二人は必ずいたのである。マトモなオトナの男は「こらッ、ミミズにオシッコかけたら腫《は》れるぞ!」と叱るのである。
しかるに、けったいなおっちゃんは、ニヤニヤもせず、おごそかな、ひたすらまじめな、求道者のきびしさをたたえた顔で見るのである。私は童女ながらに、そのおごそかな凝視の不自然さを知っていたと思う。
「教育勅語」は昭和二十三年十月、国会で失効を宣告されたが、私にあっては張りボテの権威の空しさと、人間性の暗黒部分とで、何か結びついてる感じである。
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