「入れ墨を 消す気になれば 夜《よる》が明け」
という川柳があるそうである。入れ墨というのは、腕なんかに、たとえば、
「カモカいのち」
とか、
「おせい命」
なんて彫ってるアレである。この際の入れ墨は背中の金時や自来也ではないのだ。ナニがすんだあとは、愛を契ったはずの入れ墨さえ消したいくらいだという意味らしく、しかし私は女ゆえ、使用前、使用後のちがいはよくわかる。そんなにちがうものだろうか。
「すんだあとは入れ墨どころか、女まで消しとうなります」とはまたカモカのおっちゃん、えげつない奴。
「ではたとえばお金なぞは事前にもらっとかないと、あとではもらえなくなる恐れがありますね」と私は女の側に立っていった。
「まあ、そうですな。前やったら二十万円でも払うが、すんだあとは二十円でも払いとない。こっちがもらいたいくらいや」
「ようそんなこと……」
「朝見たらオバケみたいな奴で、側でいつまでもいぎたなく眠りこんでるのん見たら、枕、蹴っとばしとうなる、やった金も取り戻したい」
「そんなこといって、またしばらくすると、恋人のそばヘヒョコヒョコかえっていったり、商売女だったりすると、また金をもって出かけたりする。そうして、入れ墨は二つ並んで入れたりするのとちがいますか」
「そら、わかりまへん。そこが男というもんです。すんだあとは、もうこんりんざい、ごめんと思うが、また暫くするときれいに忘れて一からはじめます。そやからこそ、商売女というもんが、いつまでもすたれへんとつづくのです」
ちなみにいうと、私は金でセックスを買う男というものが、どうしてもわからない。しかしこれは私だけのハンチクな考えかもしれない。何となれば近頃は女でも男を買っている。
私の知人の美しき婦人、団体旅行で香港へ出かけ、人数が半端のため、二人用の部屋に彼女一人寝ることに相成った。すると夜、ボーイが来て、
「奥さん一人いるか?」という。
彼女は女一人と侮《あなど》られては如何《いか》なる理不尽なことをしかけられるやもしれぬと狼狽《ろうばい》し、
「ノー、二人、二人!」と叫んだら、
「二人いるか、よろし、二人なら安くする」
といったそうで、これで以てみるに、かなり女が男を買っているのだ。その実績あればこそ、ボーイが独り寝の女のドアを叩いて注文を取って廻っているのだろう。彼女はよけいあわてて、「いらない、男は不用!」とどなったら、ボーイはにやっと笑って出ていったそうだ。
あるいはこの女、自分だけでこと足らしてるのかと思ったのではあるまいか、と彼女は腐っていたが、男を買う女があんがい多いと知って私もびっくりである。ことほどさように私は世間知らず、物知らずである。
「まあしかし、女が男を買うよりは、男が女を買う方が多いでしょうな、女はすぐ愛の恋のと、モヤモヤムードが出て、金で片付かん、そこへくると男はパッと金を出し、サッとやり、スカッとする、これで一巻の終りです。パッ、サッ、スカッです。まァ、ラジオ体操みたいなもんでんな」
しかしねえ、何が悲しくて金出してラジオ体操しなけりゃいけないのです。家へ帰ればタダのがあるのに。
それは、家で飲めば安いのに、わざわざ外で高い酒を飲みたがる、不可解な男の習性と似ている。ともかく男はすることなすこと矛盾だらけでありますよ。
「いや、それは、家やとあとが煩《うる》そうてかなわんからだ、ラジオ体操やと、あと床を蹴って飛び出してくりゃしまいです。しかるに家ではどうか。ベタベタムードがついてまわっていやらしィてかなわん」
「といいますと……」
「男は入れ墨を消したいくらいの気であるのに、却って女房はひっつき廻ってくる。女房やと枕を蹴っとばすわけにもいかん、やった金を取り戻すわけにもいかん、しかしもう顔見るのもいやな心持」
「そこがわからない、いやなら、はじめからするはずないでしょ」
「わからん奴やな、おせいさんも。はじめは、やな、男はカッカしてるから女やったら誰でもええねん、この際、女房でも致し方ないと思う。しかし、すんだあとはげんなりする、見るのも|しんどい《ヽヽヽヽ》」
「そうかなァ」
「しかるに女房のほうはイソイソして朝っぱらから鼻唄の連続、いつになく早起きしてメシの支度なんか念入りにしよって、起しにくる顔みたら化粧なんかしよって、こっちは、家まちごうたんか思うてびっくりする」
「結構じゃありませんか」
「男のそばへ寄りたがってさわりたがって、今日は何時ごろかえるの、ごちそうしとくわ、あらパパまたネクタイまがってる——、ベタベタするな、ちゅうねん」
「そこが女の情《じよう》の深いところよ」
「いつも、そう情が深ければよろしいよ。しかし少々御無沙汰するとどうですか、ブーとふくれた顔をこれ見よがしにつき出してのし歩き、つんけんと子供に当りちらし、芋の煮っころがしに目刺のオカズをあてがい、夜はふてくされて一人先に寝こみ、ことさららしきためいき、泣き寝入りというのがあるものなら、女房のは怒り寝入り、夢の中まで怒り声の寝言、いがみ合いの歯ぎしり、腹立ちまぎれの屁《へ》こく。それがいっぺんナニすると、打ってかわって朝はランランランの鼻唄で、化粧の、しなだれかかりの、今晩何時ごろかえるの、という鼻声です。これがぞっとせずにいられますか。てのひら返すというがあまりといえばあんまりですわ」
おっちゃんはひといきにいい、しばし瞑目《めいもく》、
「男は万人ひとしく、すんだあとは入れ墨を消したい気持、同じことなら、パッ、サッ、スカッとしたラジオ体操を好む所以《ゆえん》です」