男と女とは、どちらが未練たらしく執着つよく、情深いだろうか。人による、などといってたのでは話にならない。
大ざっぱな話でいこう。
新聞を見ていると(私は社会面しか見ない)「復縁を迫ってもとの妻を刺す」あるいは「刺そうとして、それを止めた義父を殺す」などというたぐいの犯罪記事がよくのっている。
「復縁を迫る」のはたいてい、男に多いようである。女がもと亭主に「復縁を迫り」切りつける、あやめる、どなりこむ、ヒステリーになって乱入する、というのは、ないではないが男より少ない。女は、縁が切れる前に修羅場を演じつくす。切れたあとで、つなごうとしてわるあがきしない。
中には十三年間、別れた夫に恨みを抱きつづけ、その子供に恨みを吹きこんで、子供がついにもと父親の再婚家庭に刃物をもって押しこみ一家を監禁、人質にとって暴れるというような極端なのもあったが、これは例外、それとても当のあいてに「復縁を迫る」という未練たらしいものはないのである。
なぜ男の方が「覆水を盆にかえし」たがるのであろうか。一代の碩学《せきがく》、カモカのおっちゃんにきいてみよう。
「それは、女は何ぼでもホカのモンで間に合うからええが、男はそうはいかんからです」とおっちゃんはいった。
「ホカのモンとは何ですか」
「似たようなモンです」
「その、|モン《ヽヽ》というのを、くわしくいって下さい」
「うるさい!」
おっちゃんはイライラし、
「女はつまり、伸縮自在なところがあるから、何でも間に合う。しかし男は、ピッタリくるのは少ないように思う。要するに、やたらそのへんのもんでええ、いうわけにいかん。いろいろ心当りをたずねても、も一つピッタリせん。すると、かつてのサイズピッタリのモンが、こよなくなつかしく慕わしく未練が出てくる。狂気の如く復縁を迫る、肘鉄をくらってもあきらめきれへん……哀訴嘆願してきかれへんなんだら、ついに刃傷沙汰となる。これはもうカルメンの昔からで、いかにもあるべきことですな」
「しかしいまどきの男の人やったら、手をのばせばどこでも代りはあるのんちがいますか」
「いや、男でもあんがい不自由なもの、マジメ人間や貧乏人、中年、老人というのは、じつに不自由なもんで、そうおいそれと、あてがいがあるわけではない。そこへくると女は気楽ですが、男は不便です。芸がないようやけど、やっぱりもと女房を思い出して、復縁を迫るようになる」
そうすると、ケンカばっかりしながら子供をつくってる夫婦があるが、あれも毎日「復縁を迫って」いるのかもしれない。毎日、夫婦の縁を切り、夜毎「復縁」しているのかもしれぬ。しかし翌朝、「離縁」するにしても、夜毎「復縁」するのは、私は、まあ、めでたいことであると思う。そんなことやってるうちに、一生すんでしまうから、退屈しなくてよろしかろう。
しかし「復縁を迫る」とき、どういって迫るのだろうか、刃物をふりかざして乱入するというのは、人をあやめ、新聞ダネになり、下々の下である。たぶん、夜毎、復縁している人は、かなりありふれたやりかたでやってるからこそ、新聞ダネにならないのであろう。私としては、その、ありふれたヤツを知りたいと思うものだ。カモカのおっちゃんのところはどうか。
「それはまァ、腰を揉んでくれ、とか何とかいいますな」
「ハハァ」
「腰というのは、裏とおもてがあります」
「なるほど」
「はじめはもちろん、裏を揉んでもらう」
「でしょうね」
「そのうちに何となく甲羅をひッくり返されて表むけにされてしまう。そうして、——何となく復縁する」
中年のいやらしさだが、まだしもおっちゃんから、もちかけるところがいい。
いったいに、男はえらそうにいばっている奴が多く、これが中々、復縁を切り出せない。それぐらいだから、縁が切れる前に、何とか手を打つということができない。
もう、どうしようも手の打ちようがなくなって縁が切れ、そのあげく、辛抱たまらなくなって、復縁を迫ることになる。なさけない。
日本の男には、手の打ちようを、もっと幾通りも教えなくちゃいけない。そうして復縁の迫り方もいろんな手くだを教えてあげなくては、刃物沙汰一すじというのでは、あまりにも単調で芸がなさすぎる。
ふだんの行ないが大事なのだ。
つまり、復縁しなくてもいいように、ふだんから仲よくする、これ、一ばん(当り前だ)。たとえ、朝、縁が切れても、ひとすじの糸はのこしておいて夜、復縁できるようにつなぐ。
そういう配慮が、日本の男にはちっともない。むろん女にだってないけれど、女がいくらその気になったって男がプーとしてれば、しようがないでしょ。
それで以て私は、夫婦、恋人というものは、いつも「復縁」できるような仲でいなければいけないと思う。あんまりいばりすぎたり怒りすぎたりしたら、あと、糸をつなぐときにてれくさい。デリケートな人には堪えられない。
いや、オレはてれくさくない、といばる人もあろう。「若旦那、昼は叱って夜おがみ」という川柳は、若旦那が下女を昼間叱っていばり、夜は手を合わせて復縁をたのんでいる図だが、これは男の通性だとはいうものの、私は日本の男に、こんな空疎な威厳やプライドをもってほしくないのである。——男というものは、女から見て、いつでも復縁をもちかけそうな、あたたかみを失ってほしくないのである。
また、女はというと、男に復縁をもちかけられたら、すぐほだされそうなやさしさをもっていなければいけない。
「つまり、双方、いつでも抱く、抱かれまっせ、というムードをもつことでっか」
とおっちゃんはいう。何ていやらしい。そういうこととちがう……いや、そうかな、やっぱり。