名器というものにはふた通りの説がある。
一つは先天的に、肉体の構造上、あるものだという説である。
もう一つは、女が愛情をもったとき、誰でも名器の状態になるのだという説である。
川上宗薫氏などは、前者の説をとっておられるようである。而して、おおむねの男性は、そうらしい。
この世に名器があり、いつの日かそれにめぐりあうことを、見果てぬ夢のごとく思い描いている男たちは、その存在を疑いたくないのである。
これに対し、女たちはたいがい、後者の説をとるようである。
女には自分が鈍器だと、信じたくない気持がある。
もし鈍器だとすれば、それはタマタマ、そういう風にさせた相手がわるいのだという気がある。ほんとうに愛情こめて、愛を交わすことができたら、みんな名器のハズだと信じている。
この考えは、経験の少ない男性も、時に抱いていることがある。だから、この質問を男に試みると、彼の女に対する経験の有無がわかる。
カモカのおっちゃんをためしてやろうと思う。
「名器はほんとにあるものだと思いますか、それとも女が、相手の男をほんとに好きになり、身も心も、という調子で燃えたとき、名器になると思いますか?」
おっちゃんは酒をひとくち、すすり、しばし小首をかしげ、
「そら、どんな女も燃えたときは名器です」
これで、おっちゃんには女の経験が貧弱だとわかった。ほかの道具を知らず、あてがい扶持《ぶち》で満足していれば、それを名器と思いこむこともあるわけだ。そうしていっとき、ほんのちょんの間の、刹那的な美しい錯誤の愛を、ホンモノの名器と信じているのだ。
しかしまた考えようによると、それでもええではないか、と思われる。
男でも女でも、その生涯に豊富多彩な性体験を思いのまま積むことのできる人が何人いるだろうか。
環境、経済力、体力、だけでなく、性格的にも、できる人とできない人といるであろうし、名器が先天性か、愛情の結果か、という論争は無意味である。
ただ、おおむねの男たちは名器願望があるらしいのに対し、女には名刀願望はないのである。あっても、ごく少ない。
男は東に名器ありと聞けば、名物に美味《うま》いものなしと思いながら、走っていってこれをためすところがある。西に名器自慢の女あれば、ほんまかいな、とひやかしながら、大いに心そそられたりするところがある。
しかし女は、名刀、ワザモノ、剛刀、稀代の逸物《いちもつ》と吹きこまれても、ピンとこなくてもどかしい。
ナゼカ、名刀には興味ないのである。女は情緒的なムードの方によわいので、たとえワザモノでなく、|なまくら《ヽヽヽヽ》であっても、竹光であっても、ムード的なほうに比重が掛ってしまう。
男は名器をもっているというだけで、その女に存在価値をみとめてしまう。
しかるに女は、名刀に目鼻をつけただけでは困るのである。いかな名刀所持者であろうとも、それに加えるに男の魅力がなくては、名刀が名刀にならない。
男みたいに、名器さえあれば、目鼻もいらぬ、口が利けなくともよい、というのではないのである。
そこが男と女のちがうところだ。
ほんとうに、男と女はくいちがいだらけだ。これでは永遠にわかりあえっこない。
男たちはわが身にひきくらべて、女にも名刀願望があると思い込んでるから、女をくどくときに、わが名刀自慢なんかする奴がいるのである。相手がつつましい女なら殊更、
「いっぺん、試してみい、て。そら、びっくりするわ」
なんてけんめいに売り込んだりする。
女は気乗りのしない顔で、あんまりうれしそうでもなく、男はよけいカッカして汗かいてサイズを説明したりして、見てたら、名刀自慢の男、バカはバカなりの可愛さがあるものの、見当ちがいもいいとこで気の毒になる。
よっぽど飢えてるか、未経験かの女でない限り、あるいは女ばなれした好奇心をもち、むしろ男の領分に近づいた、経験のありすぎる女でない限り、名刀自慢にくどきおとされることはないのだ。
たとえ名刀に手をもちそえてさわらされ、これ、この通り、とやられても、
「ハァ」
と気のぬけた返事をしてきょとん、とし、あとで私に向ってひそかに、
「鉛筆かと思《おも》た」
と告白し、あらためておのが亭主の方が剛刀であると見直したりして、
「男の人ってみな同じじゃないのね、千差万別ねえ」
とふしぎがっている女もあるのだ。男があんまり見境なく名刀自慢をやらかすと、恥をかくだけであるから、つつしまれるがよかろうと存する。
ところで私はというと、名器、名刀にも相性《あいしよう》というものがあるのではないかと思う。それがすなわちムードや情緒や愛情というものかもしれないが、私にいわせれば「相性」である。いや、名器には相性なんてない、万人ひとしくみとめるからこそ名器なのだ、と男はいうかもしれぬ。それでは百歩譲って、名器はともかく、名刀は絶対、相性のものですよ。
相性があわなければ、名刀もあたら宝のもちぐされである。よき相性をもった、よき相棒にめぐり合うことがすべてであって、万人ひとしくみとめる名刀なぞ、なんの女がうれしいものか。女の欲しいのは、相性のいい相棒だけ、それも自分だけの相棒である。
「ふん」
とカモカのおっちゃんは鼻を鳴らし、
「相棒《ヽヽ》か、愛棒《ヽヽ》か知らんけど、どだいそれが何ぼのもんやねん、長い人生、色ごとは束の間の夢ですよ」
と悟ったことをいった。これは近来衰えたる兆《きざ》しであろう。