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女の長風呂56

时间: 2020-06-25    进入日语论坛
核心提示:はずかしさについてこの頃は、無智《ムチ》・無恥《ムチ》した男女が多いが、人はどんな場合にはずかしく思うのだろうか。私が「
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はずかしさについて

この頃は、無智《ムチ》・無恥《ムチ》した男女が多いが、人はどんな場合にはずかしく思うのだろうか。
私が「はずかしい」という言葉で連想するのは、私の知人の姉さんの友人の話である。彼女はまだうら若い乙女の身で、痔《じ》の手術をすることになったが、手術前夜、はずかしさに堪えかねて自殺してしまった。
昭和二十年代の終りのことである。二十年前には、こんな乙女もいたのだ。
カモカのおっちゃんは、このあいだ知り合いのお巡りさんと、ウソ発見器であそんでいた(あそんでいたもおかしいが)。
お巡りはおっちゃんに機械をしかけておき、質問した。
「オマエ、ゆうべ女房《よめはん》とやったやろ?」
「いや、やらん」
とおっちゃんは答えたが、ピピピピ、と針はふるえ、ウソがばれて、おっちゃんは、いたくはずかしかったという。バカじゃなかろうか。べつにウソつくこともないじゃないか。
私の場合は、締切りにおくれ、いろいろ、いいわけを考える、それがバレる。はずかしく思う。一回につき、半年ぐらいは寿命がちぢまる気がする。ひと月に三、四へん、締切りにおくれるから、ひと月で二年ほどずつ、寿命がちぢまってゆく勘定である。
それから、小説を読んでいて、はずかしく思うこともある。尤も、すごいポルノ場面があってはずかしく思うのではないのだ。そんなウブなおせいさんでは、もはや、ないのだ。そういう場面は面白くて喜んで読みこそすれ、はずかしい、というものではない。
私がはずかしく思うのは、大上段にふりかぶった小説、たとえば、三島由紀夫サンの小説のあるものははずかしいですね、「午後の曳航」なんか、はずかしいですね、わかりきったことをていねいに書いてるのがはずかしいですね、三島サンの文章から「……のような」という形容詞を抜いたら何ものこりませんね、無ですね、美しい空虚ですね、それを大見得切って仕立てあげてる「午後の曳航」ははずかしいですね、穴があったらはいりたい気がしますね、サイナラサイナラサイナラ……。
尤も、三島文学についていうと「金閣寺」はりっぱ、これがピークである。
「潮騒」もはずかしい。これにくらべると左千夫の「野菊の墓」のほうが、自然である。この方が、ニホン人男女の恋である。
私のはずかしいのは、自分自身のことでもう一ついうと、写真がはずかしい。
いや、ブスだから写真がでるのがはずかしいのではない。醜貌をはじるようなウブなおせいさんでもない、マジメな顔でとられるのがはずかしいのだ。
私は下らない小説や戯文しかかかぬ女だ。それが、国会で討論するような、まじめな顔にうつるのがはずかしい。
この点、新聞社・雑誌社の猛省をうながしたい。
私は先般、某新聞社に小説を連載するに当り、にっこり笑った顔写真を提出した。
しかるにくだんの新聞社はそれを断固拒否し、急遽《きゆうきよ》、カメラマンを派遣して、私のマジメな顔をパチリととっていった。紙上に掲載されたるそれは、全く、ヅカガールに入れあげて使い込みした女横領犯人の手配写真の如くであった。私の友人は、某新聞社を告訴せよとすすめたほどである。
マジメな顔の写真をのせたからって、それで新聞に箔《はく》がつくものではないのだ。どだい、私にマジメな顔が似合うかというのだ。
もちろんこれは人それぞれであり、五木寛之おにいさまが哄笑している写真を本の広告に使ったりしたら、読者はとまどうであろう。その反対に、井上ひさしおにいさまが風に髪をなぶらせ、コートのポケットに手をつっこんで、憂愁にみちて海に向いている写真などを本の広告に出したら、これまた、読者はとまどうであろう。
私の場合、マジメな顔の写真をとられるとはずかしい。
私の知人のミセスは、体の影の部分の毛に白いのがまじっているのを、夫や恋人にみつけられるのがはずかしいといっていた。
あたまの髪は、何ともないのに、影の毛(もうひとつのカゲという字は、私はきらいだから使わない)のほうが先にきて、がっくりくるといっていた。「老色蒼然として来《きた》る」という奴である。
また、世間には、影の毛は何ともないのに、あたまだけ白いものがまじっている奴があり、これが、反対のと、いい合いしているのをきくとおもしろい。
「ぼくは上のほうはあかんけど、下は青年なみやで。まだ若い証拠や」
「あたしは下は、そら何やけど、上はこんなに美事に黒いのよ、これがほんとの若さよ」
カモカのおっちゃんは、双方のいい合いに困り、なだめるごとく、いった。
「まあまあ、ともかく、よう使うからシラガになるのとちゃいまッか。あたま使う人はあたま白うなるねんやろし、アレ使う人は、あそこ白うなるやろし……」
双方の顔をたてるのはむつかしいのだ。
ところで、夫や恋人にみつけられてはずかしく思う人は、どうしているのであろうか。
抜くのだろうか、剃るのだろうか、ハサミで切るのだろうか。知人のミセスはハサミだといっていた。
しかし私からみると、切ろうという気持のほうがはずかしい。
自然の趨勢《すうせい》だから、何もかも自然に生えるままにしておいた方がしゃれているように思われる。ブタクサやキリンソウとちがうのだ。
粋な紳士や、しゃれた淑女が、裸になると、ちょっと「自然の趨勢」を見せているなんて、おもむきふかい。花も実もある感じ。
「自然の趨勢」は、性的エネルギーの大小と、関係ないものである。全然、そっちの欲望を卒業して仙人になってる人でも、あんがい、若いままでいることがある。
私が、それを摘んだり切ったりして除去する気持《ヽヽ》のほうがはずかしいといったら、カモカのおっちゃんはいった。
「僕は、そんなんやってる恰好《ヽヽ》のほうがはずかしい。女の人なら尚更、はずかしィて想像もでけまへん」
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