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女の長風呂63

时间: 2020-06-25    进入日语论坛
核心提示:ビビンチョあるおしゃべりの席、社交場裡において、ある人がいった。「エー、尾籠《びろう》なお話ですが、オナニーというものは
(单词翻译:双击或拖选)
ビビンチョ

あるおしゃべりの席、社交場裡において、ある人がいった。
「エー、尾籠《びろう》なお話ですが、オナニーというものは、ですね……」
瞬間、私はとてもおかしかった、「オナニー」という語より「尾籠」という語の方が、私にはより「尾籠」に思えたんだもの。
「尾籠」というのは「をこ」の当字である。だからもともと、不作法、無礼、不敬などの意であった。そこから転じて、きたないこと、けがらわしいこと、の意になった。
私は、尾籠という語になじみがないせいか、あまり使いたくない、へんに汚ないことばに思える。それはワイセツという意味ではない。——汚ないという語感である。だから、
「尾籠なお話ですが、オナニーというもの」
というコトバは適切を欠き、見当はずれで、悪印象が相乗作用をもたらす。
私たちの子供のころ、ワイセツな言葉はむろん、「×××」という三字であった。それを口にする子供は、ガキ大将の内でも、いささか品下《しなくだ》れるクラスの奴で、私の初恋のあいての坊ちゃんタイプの少年なんか、とても口にできないコトバだった。女の子はむろん、口にしない。品の悪いガキ大将は、
「タナベの×××!」
と叫んで追っかけてくる。私は坊ちゃんタイプに聞かれてはたいへんだと思って、逃げながら切なくなった。坊ちゃんタイプも、それが聞こえたのか、まっかになって逃げていた。まわりにいた女の子もみな、逃げた。そのくらい、強いタブーのワイセツ語であった。
しかし今にして思えば、そんなコトバをわざと発して追ってくるガキ大将は、女の子にもてなくて淋しかったのではあるまいか。ガキ大将の淋しさを誰も知ってやろうとせぬのだ。
いま野坂昭如センセイなどが、酒場でわざと「×××! ×××!」を濫発するのは、センセイがもてなくて淋しいからではなかろうか、黒メガネの淋しさ誰か知る。ヒヒヒ……。
それはともあれ、ワイセツな言葉と、汚ない言葉はちがう。
汚ないのは(尾籠なのは)、
「ビビンチョ、カイチョ、カイチョ持ってはしれ!」
という言葉であった。
これは汚ない品のわるいコトバではあっても、私たちが口にも上せられぬ、というコトバではなく、何か、汚ない、グロテスクな|こと《ヽヽ》や|もの《ヽヽ》に対し、
「あ! ビビンチョ!」
などと使う。意味は全然不明である。
カモカのおっちゃんに、先日、その話をしていたら、
「ビビンチョは、下痢の状態を示す。カイチョは浣腸なり。浣腸を施して下痢状の便を出《いだ》す。おのずと字句あきらかなり」
と教示をたまわった。
なるほどそんなものかと私は感心し、家へ帰って念のため、牧村史陽氏の「大阪方言辞典」をひもといてみたら、
「ビビンチョはピンショより来る」
とあった。ピンショは「ピンからキリまで」のピンで賽の目の一である。つまり、一升のことで、「米一升をもって情を売る」意であるとしている。船まんじゅう、つまり沖の船へ、小舟をこぎよせ、船頭、水夫《かこ》あいてに春をひさぐ舟女郎のことであるという。
この売女たちは「守貞漫稿」という嘉永ごろの古本によると、二、三人で小舟にのって河口に碇泊している船を巡り、
「紙張の籠に渋を塗りたるを携へ、大船の下に寄つて、いれてんかといふ」
すると船から白米を入れてくれる、そのとき注文に応じ、女たちは船へ上って売色するという。
「価は専ら米一升或は二升を以てする由、これをピンショといふ。此《この》ピンショ、皆綿服にて紅粉を粧《よそほ》ひたり。三絃もひく。総嫁《そうか》にいささか勝れり」
カイチョは、「開帳」であると史陽氏は説く。
「彼女らは、船に呼びあげられると共に、自分の無病であることを示すために、立膝して前をあらはし対坐するのを例としたといふ」
これでわかった。
ビビンチョというのは、何だか、汚ならしい印象を与えると思ったのは、そのせいであったのだ。きっと、昔の船まんじゅう、ピンショ女郎が、病毒もち、瘡《かさ》っかきであるのを忌んで諷した語感が、そのままに伝えられていたのにちがいない。
それで、ワイセツ語としてよりも、たとえば糞便、泥濘、犬猫の死骸、腐敗|糜爛《びらん》といった、そういう汚ならしさ、穢《けが》れに対する罵詈《ばり》として口碑に残ったのである。
私はカモカのおっちゃんをつかまえ、
「ええかげんなこと、いうなッ!」
と怒ってやった。おっちゃんははじる風もなく、
「しかし、当らずといえども遠からずやないかいな、カンチョしたら、下痢になるのはきまったことです。下痢したら汚ない、どこが通らん。ちゃんと筋は通ってる」
実は私も、内心、おっちゃんのいう説を信じていたのだ。ほんとはそうではないかと思っていたのだ。いや、長いこと、そう思っていたのだ。
私は「浣腸」という語には思い出があり、それは女学生のころ、私の友人が、
「夫婦やったら、浣腸でもできるねんてなあ」
といったのである。
「ワー、そんなん、うそやろ」
と私はじめ、みんな、そういった。
「ううん、ほんまやねんて」
と友人はいい、一同、ハアーとためいきつき、赤くなって、
「うそや思う、うそや、うそや」
といい合いした。
ありうべからざることを聞いたと思って、みんな、|しん《ヽヽ》とした顔をしていた。
その記憶があるから、ビビンチョの歌を聞くと、私は、いつも、おっちゃんの解釈を考えていたのだ。
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