例によって例の如くである。「カモカのおっちゃん酒提《さ》げて、やってきましたおせいさん」
「あーそびーましょ」
「ダメよ、今日は。�長風呂�のシメキリだもん」
「バカ、あほ、すかたんのクソ婆あ。オマエ何のために仕事しとんねん、洒飲んでエエこンころもちになって男といちゃついて、生きててよかった! という気になるためとちゃうのんか、人生すべてそれだけじゃ」
「ラーラーララ」
と私は大いそぎで声はりあげてうたい、おっちゃんの言葉をかき消そうとあわてたのであります。わが家には思春期の少年少女がたくさんいるのだ。おっちゃんの言葉を聞いて彼ら彼女らは学業を放擲《ほうてき》し、非行に走らないとも限らない。——おっちゃんはしようのない奴だ。ない奴だが、私もどちらかといえば、仕事よりは酒の方がよい。で、酒盛りになる。かくて締切りは更におくれるが、よくしたもので、飲んでると「明日という日がないじゃなし、ソレ、ヤットンヤットンヤットンナー」という気になる。
但し、カモカのおっちゃんの煩《わずら》わしいところは、ヘンな合の手を、のべつ幕なしに入れるところである。
私が徳利をもち上げてつごうとする、
「そこ、そこや、ソレ、ぐっと尻あげて、ハイ、まだもち上げて、まだまだ——」
おっちゃんの|ぐい呑み《ヽヽヽヽ》は特大であり、なかなか満タンにならぬ。
「ぐうっと入れる、ハイ、根元まで——」
うるさい。
「おや、なみなみと入れましたね。おつゆがこぼれました」
「知らない」
「知っとるやないか、何でも」
何の話や、それは。甚だ猥雑な酒盛りの雰囲気。
「ねえ、おっちゃん、もっと口少なに、こう、まじめに、酒の色、コク、香り、味わいをたのしむという、風雅心、清廉なる聡明さ、というのはないの」
「いや、そういう風にしようと思うと、緊張して、たのしく飲まれまへん」
「たまには緊張もいいことダ」
「緊張すると固うなります、ご存じではありましょうが」
何の話や、それは、と何度でも腹が立つ。しかしこの腹立ちは、酒の酔いを早めるには役立つようである。その上、おっちゃんは声張りあげて小学唱歌をうたう。しかしその歌は少々歌詞がもじってある。「浦島太郎」であるが、下の句がみなヘン。
「昔々 アレシテル
助けた亀と アレシテル
竜宮城で アレシテル
絵にも画けない アレシテル」
そうして、「帰ってみれば アレシテル 元いた家で アレシテル 道でゆきあい アレシテル 顔も知らずに アレシテル」
とつづく。これは、悪友・阪田寛夫がおっちゃんに教えこんだ歌である。
「そういうことしか考えられへんの、おっちゃんて。日中国交の将来とか、ベトナム戦争を放棄しないアメリカの意図とか、そんなことはしゃべれないの、浦島太郎と乙姫がアレシテルなんて歌を歌《うと》てる場合とちがう」
「アレシテルが何がわるい、僕はただアレシテル、というただけです、おせいさん勝手にかんぐっとるだけやないか」
のべつ幕なし、ひっきりなしに、こんな話ばっかりしてる人間は、実地はダメなんじゃなかろうか。
「猥談上手はお床下手《とこべた》、という気がしてしようがないわよ」
「なんでですか」
「つまり、しゃべることで発散するのとちがいますか」
「だまれ。いうとくが、女のくせに、さかしらな批評家づらしたらあきまへんで。女ちゅうもんは、何にも物知らんと、男のいうことに、ホー、ハァ、と感心して聞いてるのがよろしねん。わかったか」
「ハァ」
「男が猥談好き、あるいは言葉で遊ぶのが好き、というのは、つまり、道《ヽ》をつけてるのです」
「ホー」
カモカのおっちゃんによれば、いつも何かかんか、下がかった、エロめいた話をしていると、いつかしら、心持もうきうきと陽気に、実地では微力ながら、その陽気に扶《たす》けられて、おのずとそれらしく自信ができ、活力が添う心地がする。それを、おっちゃんは、「|ミチ《ヽヽ》をつける」というのだそうだ。
「風雅、清廉で、一切、そういうことを考えず、口にせぬ人間は、しまいにどうなると思うねん、その家は|むぐら《ヽヽヽ》の宿ですぞ。あるいは『雨月物語』ふうにいえば『浅茅《あさじ》が宿』というか、たずねる人もわけ入る人もないままに、草ぼうぼうの過疎村の廃屋になってしまう、どこがその道やら、丈《たけ》なす草が生いしげって、指を、いや足を入れることもできん」
「ホー」
「池の水も涸《か》れはてて、蛇口をひねっても一滴も出ず」
「ハァ」
「枝折戸《しおりど》をあけようと指で押してみても、銹《さ》びついてあかず。カギをいじくってみても緑青《ろくしよう》がふいていたりして、十年来、手入れがしてないとわかる」
「ホー」
「顔にかかるクモの巣をはらいのけはらいのけ、してたどりついてみれば、人の気配もなし。ごめんやす、と声かけても、ようお越し、とイソイソ出迎えてくれる者もおらん」
「ハァ」
「ちと軒先借りてもよろしおまっか、というても、うんともすんとも応《いら》えせず。『遠い道をようたずねてくれはった、まあ、笠とって一服しなはれ』となぐさめてくれる者もなし、しおしおと、戻らにゃならぬ」
「ホー」
「な、ほっといたら、こういうむぐらの宿になる。おせいさんも気ィつけなはれ。口でいろんなこというてるのは、これは景気づけの賑やかし、こんなことでもいうてると、おのが持ち家もいつか手入れよう、草も刈って池の水も流れるようになる。やっぱり人間、風雅、清廉では立っていきまへん」