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女の長風呂66

时间: 2020-06-25    进入日语论坛
核心提示:ダ マ す 女カモカのおっちゃんはいう、「エー、僕の友人に、かなり遊びニンの男がおりまっけどいや、僕やおまへん」当り前でし
(单词翻译:双击或拖选)
ダ マ す 女

カモカのおっちゃんはいう、
「エー、僕の友人に、かなり遊びニンの男がおりまっけど……いや、僕やおまへん」
当り前でしょ。おっちゃんが遊びニンなんてことが、あるべきはずがない。この世代(四十男)、真の遊びニンなんてほんとにいるのかしら。遊びにあこがれてる奴はいっぱいいるだろうけれど。
「その遊びなれた友人がいうのに、いかな彼でも、女にはつねに一杯くわせられる、ト。てっきり処女と思っても、そうでないのがいて思わずウームとうなる、ト。しかもこの頃の若い娘だけでなしに、昔から女とはそういうもんや、ト。なんとなれば、だいたいオノレの女房《よめはん》からして、そうであった、ト。いうとりました」
やっぱり男って、結婚するとき、相手がはっきり非処女と知ってえらぶ場合(離婚者、未亡人、同棲経験者)はともかく、ふつうの娘さんなら、処女と信じて結婚するのでしょうね。
「それはそうでっしゃろ、大地を打つツチははずれても、この予想ははずれまいと思うのが、はずれるのです。——いや、僕は恋人の場合、よくはずれますです」
じゃ、はじめに、いちいち、たしかめたらどうなのかしら。
女は経験ずみや非処女であることをかくすものだという社会通念は、今どきだけでなく、昔からウソなのである。
今はむろん、昔も、正直・闊達・自在な女はいて、尋ねられればあっさりと、
「うん、あたし、知ってる」
とか、
「あたしスミ、よ」
などと答えたりしたものだ。たずねないから、いけないのであります。
これは何も、露悪趣味やトトカマでいうのでもない、また、不当表示で、ウソをつくような子供っぽいことはしない女も多いもので、たずねれば素直にいいますよ。
もってまわって、処女でないのに処女や、といったり、処女なのにあばずれ風に見せたり、そんなわずらわしいことはしませんよ。
ちゃんとした女なら、ちゃんとした男から、
「あなた、ナンですか、その、もう経験ありますか」
といわれたら、「ありますわ」とか「まだですわ」という。ひねくって答える女もいないではないけれど、それは相手や聞き方がわるい。
「しかし、まさか、そんな、いちいち聞いてられまっかいな。あんた、処女ですか? なんて失礼なこと、聞けまへん。これでも男は淑女に対して敬意をもってますからな」
おっちゃんもまた、女房はともかく、処女の恋人ができたと思ったらつねにしばしばだまされるそうだが、ではどうやって処女だと確信するのだろうか。
「いや、それは向うがそれらしくふるまうのを、こっちが勝手に推察するんですな。男には、オノレの女房なり、恋人なり、しようと思う淑女に対しては、どうか処女であってほしいという願望がありますから、何を見てもそれらしく結びついてしまう。希望的観測というヤツですなあ」
しかしそうすると、あとから処女ではなかったことがわかったといって憤《おこ》るのは、おかどちがいというものではないでしょうか。だましたの、だまされたの、というもんではないでしょ。はじめにたずねへんのがいかんのやから。
「いやそう、詰めよってせせら笑われても困りますが、べつに、男は、相手の女房や恋人が処女やなかったからいうて、憤ってるわけやおまへん、これは遊びニンの友人がそうやし、僕としてもそうですなあ」
この年代の男、あんまり「処女に限る!」と絶叫はしないそう。
そのへんが、モヤモヤと、あやしき風情なのだそうで、経験・未経験を問わず、というハリ紙が軒先の求人広告の如く風にひるがえってはいるけれど、どちらかといえば、未経験の方がよい、しかしそれとて、どうしてもと固執するわけではありませぬ、ただ、あいなるべくは、という、ほのぼのとした期待、熱望、あこがれ、悲願みたいなものがあるそう。だから裏切られたからといって、ウヌ! と赤眼吊ってたけり狂うことも、手のひらかえした如く足蹴にするというのでもないのだ。
しかしながら、男は真実を教えられて、
「フーン!」
という、感嘆あるのみだそう。
ではその、いったい、妻なり、恋人なりが、処女でなかったのを遊びニンの友人なりおっちゃんなり、が、なぜ知ったのであろうか?
期待を裏切られたと、いかにして悟ったのであろうか?
「いや、それは向うがいうた、グハハハと笑いもって」
こういう、しまらない男だ、カモカのおっちゃん及びその年代は。
「そら、かめへん、いうねん。しかしこっちは処女や! と思い込んでるんですからなあ。そしてまた、そう思い込ませるほど、態度がじつにそれらしいのです、こっちがそう思い込むのはむりないのですわ。そやから、よけい、感無量です、しかも、それがべつに作為的に隠したりダマしたりしてるのではない、あれはどういうのですかね」
女の側からいうと、つまり、そういうことはノミにかまれたほども、考えていないせいではなかろうか。
あっけらかんとしているから、男をダマしたとも、男が勝手に美しく妄想しているとも思わない。もしグハハハと笑いながらいわなかったら、男は一生、そう信じつづけていただろうが、べつにそれだからとて、幸せなこともない。だから捉われないで、思い出したら、
「ア、そうそう、私、処女じゃないのよ、グハハハ」
と笑って男を憮然とさせるのであろう。
女は、男みたいなものをだますつもりなんてないのだ。そんなこと、気にしてなんかいないのだ。
経験がたとえあっても、それが女の心にも体にも何ほどの痕も残さない、(もしくは残すほどの男にまだあってない)そんな女はたくさんいるのだ。そういう、あっけらかんとした女を処女というので、そんな女を捉えて、自分の好みに染めかえてしまうのが、男の仕事ではないのだろうか。
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