私が膀胱炎の持病があるというので、津村節子さんがカイロを入れたらよい、と忠告してくれた。そこで私はさっそく荒田町の横町の、太子筋商店街へいって、カイロを買ってきた。
機械によわい私は、カイロにベンジンを入れるさえ大ごとである。説明書を熟読玩味し、部品を点検し、とみこうみして、引きぬいたりさしこんだり、
「アッ、このカイロ、不良品や、この説明書通りになってない!」
と叫び、よく見たら逆さまにしとった、というようなことがあって、やっとベンジンが入り、火がつき、あったまった、バンザーイ。一人でできた。
夢中で熱中、集中していたあまり、私の口もとがゆるみ、ヨダレが思わずたれ、あわてて袖でこすって、誰も見ていないかと見廻すと、運わるく、カモカのおっちゃんにみつかった。
「やれやれ、ヨダレたらすまで、口をゆるみっぱなしにしてること、ないやおまへんか、色けのない」
といったが、おっちゃんは妙に同情的な口ぶりになり、
「まあ、おせいさんならしようがない、京唄子かおせいさんか、という大口ですからな。しかし唄子はんは大きゅうても口もとがしまっているが、あんたはゆるんでるからヨダレがでても、さもありなん」
私の口もとがゆるんでるのは、笑い上戸で、いつもよく笑うせいだ。
「そうかねえ。……笑うせいかねえ。エヘン……その、おせいさんは聞いたことはおまへんか」
とおっちゃんは意味ありげにいい、疑わしげにあらためて私の顔を見る、こうなると男の底意はあきらかである。
「何をですか」
「つまりその、顔の造作の一部分と、体の造作の一部分との関連、あるいは、類似性について、ですなあ」
「知りませんねえ」
「女ならまず、口ですな、口の大きさ、口もとの恰好、きゅッとしまってるか、ニタニタとヨダレのたれそうなほどゆるんでるか、その具合でございます」
「それがどうしました」
「それがつまり、口よりもっと下についてる部分と関連があるという。口が大きいと、その部分も大きいとか。口もとが小さくて、かつ、ひき緊まっていると、その部分も小さく緊まっているとか」
「その部分というのはどこですか」
「これはたいへん大事な、それがなかったら生きてられへん部分です」
「あ、心臓ですね。心臓の形が口に関係ありますか」
「だまれ、カマトト。心臓は中へ蔵《しも》とく部分やないか——ちゃうちゃう、渉外部、受付、つまり、お客さんを迎える部分ですな」
「すると、足ですね、足の文数と口の大きさと関係ありますか」
「ええかげんにせえ」
「さっぱりわかりません」
「女はわからんでもええけど。これが男の場合は口では無《の》うて……」
「鼻になるわけですね」
と、私はついいい、
「知っとるやないか」
と、とっちめられる。
私は、たいていの男が(老若、教養の有無の区別なく)、口および鼻と、照応比例する部分のことに関して、信念をもって語っているのを聞き、心から驚倒するものである。
そんなものに、医学的根拠があるとはどうしても信じにくい。
また、いくら何でも実証しにくい。川上宗薫センセイは実証学の大家であるが、それとて、どこまでほんとうか、眉ツバといわなければならぬ。
更に、男は鼻の高さ、長大ぶりを寸法ではかり、また、下の部分も脱がせて寸法をとればわかるから、かなり手間ヒマかければ実証しやすいが、女はそういうわけにいかない。脱がせりゃ一目瞭然、というわけのものでもないのだ。いちいち、試してみなきゃわからんのだ。
そんなことを、だから、実証できるはずがなく、たんなる好色的|聯想《れんそう》にすぎないと私は思うものだ。而して男は好色精神を有し(有しない人もあるが)、たいていヒマ人である(こういうことを考えるヒマは、いかに多忙な男でもあるのである)。つれづれなるままに渉外係や、受付のことばかり、あれやこれやと考えていると、つい怪しき気になり、すると目につくものことごとくが、みな、それを暗示するごとく思われる。
そう思ってみれば、女の顔の中で、ただ一つ、自由自在に伸縮し、それ自体イキモノみたいにうごいていて、なめらかでやわらかで、ヌメヌメとぬれていて、つい、視線がそこへいってしまうもの、それはやっぱり、クチビル、口もとである。
つい、じーっと、女の顔を見ていて、見られた女、不快げに、
「あたしの顔に何かついてますか?」
「いえ、いえ」
と狼狽して視線をそらせる。こんなときの男は、きまって、相似形の部分を考えており、ついには、ソコとアソコは、相関性があるという、牢乎《ろうこ》とぬきがたい、迷信、俗説が、男どもの頭の中に根深くゆきわたったのではあるまいか。男の方のそれだって、ずいぶん、いいかげんなものであるが、世の大方の諸姉はいわず語らず胸にしまいこんでいるから、それですんでるのだ。
もし女たちが、「鼻とナニとは何の関係もない。私が実証します」とてんでに叫んで立ち上ったら、この俗説の誤謬はたちまちに是正され、革命が起るのであるが、女はそんな、はしたないことしないからね。
私が読んだ運命鑑定の本の中で、いちばんリッパな本は、「女の口と男の鼻は各自、ある部分の大きさに相当するはず」とあった。この本の筆者は、たいへん良心的である。「はず」は男の期待であろう。カモカのおっちゃんもいう、
「そう思うた方が楽しおまンがな」