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女の長風呂73

时间: 2020-06-25    进入日语论坛
核心提示:トーフ屋の妻辺陬《へんすう》で思い出した。神戸にお住まいの作家、白川|渥《あつし》先生は、その人生の出発を、教師からはじ
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トーフ屋の妻

辺陬《へんすう》で思い出した。
神戸にお住まいの作家、白川|渥《あつし》先生は、その人生の出発を、教師からはじめられた方である。白川青年は若々しく、教育の使命感に燃えていた。いやしくも世俗の名聞《みようもん》には耳も藉《か》さず、教育の情熱に身を捧げようと決心していた。師範学校卒業の際、希望の任地先を書類に書きこんで提出するとき、白川青年は、そのみずからの気負いに照れ、頬をぽっと赤らめつつも、しかしキッパリした字で、
「いかなる辺陬の地をも厭《いと》わず」
と書いたのである。
私はこの話が好きである。こういうのが青年の青年たる所以《ゆえん》であって、求人広告をとりよせ、初任給の多寡や将来性ばかり考えているような若者は好かないのである。
青年というのは情熱に燃え、理想がなければいけない。辺陬の地でたとえ一生を埋めようとも、真の教育者たらんと白川青年は意気込んでいたのであろう。
ところが、書類をうけとった関係者は、眼鏡ごしに、しばしうち眺め、ふしん気に、
「辺陬て、何県や?」
と聞いたそう、いや、これは、ほんまの話——。
近時、住宅事情が悪化するにつれ、じつにもう、辺陬は何県にもできて、ことに大都市周辺なんかひどいもの。いや、人が住み、家が建つという点からは、辺陬でなくなったが、そこから都心の職場へ通おうとすれば、たいへんな辺陬の地である。片道二時間、二時間半、なんてのもある。
尤も、大阪は、東京よりマシで、都会周辺に私鉄が網の目のようにはりめぐらされているから、辺陬の地に住んでも、わりに交通時間は少なくてすむ。それに、これは私の実感だが、大阪人は、東京人よりはマイホームに対する執着が少ないみたい。何が何でもマイホームを、という気はないようで、都会のアパート、郊外の文化住宅、団地に住んで、コトをすましているのが多い。大阪近辺の公害もひどいが、まだ東京よりは住みよいということかもしれない。
それはともかく、どんどん地価が上る一方だから、もしマイホームでも建てようという気になれば、|辺ぴ《ヽヽ》であろうが辺陬であろうが、厭うていられない。
辺陬の地では、奥さんもたいへんである。七時前に亭主を家から出そうと思えば、六時ないし六時半に奥さんは起床しなければならない。
「豆腐屋の女房それからすぐに起き」
という川柳がございますが、辺陬のマイホームでは、女房はみな、豆腐屋のおかみさんになってしまうのでございます。
だいたい、男が夜、帰ってくるのがおそい。ちょっとゆっくり都心を出ても、帰宅は九時、十時、一杯飲んだりしていると最終電車になったりして、(また、辺陬の地は終電、終バスの時間が早い)駅へ着くとバスはもうない。山賊、追い剥ぎの出そうな山道をトボトボとたどりあるくころはもう、すでに十二時《よなか》、上弦の月が山の端にかかったりして、木々の葉ずれ、風のわたる音も「いと物凄し」という風情。こういうところは、花鳥風月を友とするような「徒然草」の作者あたりが住むべきもので、東京なら丸の内・大手町、大阪は本町・淀屋橋あたりへ通おうという人間の住むところではないのだ。
家へやっと着いたら東海道五十三次を踏破した気分、ワラジならぬ靴をぬいで、
「長の道中、よくまあつつがなく」
と先祖に感謝し、神棚にお燈明でも上げたい思いである。
「るす中、変りなかったか」
と女房にいい、
「お前さんもお達者でよう帰ってくれはった」
と女房も涙ぐむ。もう寝入ってる子供をのぞきこむと、しばらく見ぬあいだに、だいぶ育った感じ、
「親はなくても子は育つっていうが、ほんとうだなあ」
などと思い入れよろしくあって、
「やっぱり自分のウチというのはいいもんだ。——それにつけても、長のるす中、お前にゃ苦労させたなァ」
「なんの、お前さん」
なんていうと、まるで、江戸十里四方お構いの股旅者が何年ぶりかで帰ってきたようであるが、ほんとにやっとたどりついた家に数時間いるだけで、うとうとしたらもう、出かける時刻になっている。
遠距離通勤者というのは、何をたのしみに生きてるかと思えるが、数時間しか居らぬ家にやっぱり帰るところに、私は男の帰巣本能の強さを見るのである。
しかも、マイホームをたてるころは、たいてい中年前期か、後期、初老前期というところである。只でさえ、しんどい年代なのである。
そういう年代の人々が、家へ帰って数時間後にはまた出なくてはならぬ、ストップウオッチ片手に女房と親しみ合おうというのだから、涙なくして見られない。もうゆっくり味を吟味してなんかいられない、もし朝、寝すごしたら、あとのバスは三十分おき、ともかく早くすまそうということで、
「早く早く、何してるんですッ!」
と女房に文字通りお尻を叩かれたりする。そうして、昔の豆腐屋は朝が早いものであったが、その女房なみに「それからすぐに起き」という気ぜわしさ、私は、遠距離通勤者ならびに彼らの妻になり代り、政府の土地政策、住宅政策の貧困を憤らずにはいられぬのである。
それにそういうところはどうしてもタクシーを使う回数が多いが、これが当今、たかくつく。遠距離通勤者には、政府はタクシー代を税金から引くべきである。
カモカのおっちゃんもよく終電に乗りはぐれ、タクシーで帰るが、この間なぞは豊中へ廻って人をおろしたりしていたので、(おっちゃんには関係ない話だが、大阪キタのホステスはよく、豊中、十三《じゆうそう》、塚本などに住んでいる)家へ帰るとタクシー代一万円近く、女房《よめはん》に頭ごなしに叱られたそう、
「そんな高いのやったら、いっそホテルで泊ってきなさい! どうせ帰っても用事あれへんのに!」
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