朝鮮服というものには、私はなじみふかく、なつかしい。大阪の下町そだちの身には、子供のころの思い出に、かならず朝鮮服が点綴《てんてい》されている。昔、浪花の下町に、朝鮮人はたくさんいた(いまでも大阪・神戸には多い)。
だから、大阪の歌、つまり浪花をテーマにした流行歌というもの、私の場合、気に入るものはあんまりない。私にとっての大阪、浪花情緒というものは、「こいさん」や「船場」や、「金もうけのど根性」なんかじゃないのだ。
大阪人て、そんなもんばっかりとちがいまっせ。
世間に知られない大阪人の一面というと、一方では、たいへん知的水準のたかいインテリ遊び人、学者、作家などもいる。
こんな手合、金もうけのことなんか考えてるもんか。大阪人だというと、金もうけに狂奔するように思う馬鹿が多くてこまる。大阪人は私の見るところ、儲けるのに熱情を感ずる人と、使うのに熱情を感ずる人と、半々である。
また、「こいさん」だの「お家さん、ご寮人《りよん》さん」など、あれはテレビ紙芝居向きのお伽話で、いっぺん、大阪の鶴橋、今里、猪飼野、(釜ヶ崎はいわずもがな)天王寺区や浪速区の下町で飲んでみるがよい。また、神戸は新開地から、ガスビル前、長田、丸山あたりで一ぱいやってごろうじろ、「こいさん」も「ご寮人さん」もふっとんでしまうムードだ。
だから、私は、こういうムードが出る大阪の唄がうたいたい、また、うたってほしい、と思うものだ。
そこには、必ず、朝鮮人がいなければいかん(韓国人といったのでは、なつかしみは半減する)。ニンニクの臭い、ダイナミックな発音の朝鮮語、そういうものがごたまぜになり、ある種の大阪下町のムードが出る。私はそういうのがとても好きだが、それはやはり、幼時の記憶からであろう。
朝鮮服の形が、私はとても好きなのだが、幼ななじみのなつかしさでいえば、色あざやかなチョコリやチマよりも、断然、白である。
爺さんも婆さんも、白を着ていた。
そうしてふしぎや、私の記憶にある爺さんは、かならず、長いキセルで一服している。
小さな長屋の門口に腰かけて、ゆったりと煙草を吸いつけている。
朝鮮のお爺さんというものは、のんきなものであると、子供ごころに深く印象づけられた。
婆さんの方は、これはしごく働きものぞろい、私の家へ裏口からいつもモノを売りにくるのは、白服の婆さんである。
紐に通した亀の子タワシと、脱脂綿を売りにくるのである。
私の家は、電車通りに面した方はモルタル塗りで洋館ふうになった大きな写真館で、ガラスのショーウインドーがぴかぴかしている。裏は路地の奥のゆきどまりで、溝があって土間があって、女中衆《おなごし》さんや、祖母、母、叔母らが、四六時中、たちはたらいている台所である。大人数なので、酒も醤油も樽で買う。女中衆さんが、片口へトクトクトク……などと受けたりしている醤油や、酒のにおい、グツグツとたえず何かをたいているにおい、そんな台所へはいってきて、婆さんは長いことねばり、亀の子タワシと、脱脂綿を売りつけるのである。
なぜそんなとりあわせになってるのか、これは今もってなぞであるが、皺くちゃの婆さんは、台所の板の間にそれをならべ、長いこと、家の女たちとしゃべってゆく。
ときには、アヒルの卵を売っていることもあるが、たいてい亀の子タワシと脱脂綿である。
いま思うに、この共通点は、売り場が台所ということと、女の必需品ということであろう。店先にいる男にもっていったって、どっちもしようがあるまい。
しかし、小学三、四年生の私には、その関連がわからない。タワシは子供ながらに、台所をのぞいて売るべきものだとわかる。しかし台所にいつもいる女たちに、なぜ脱脂綿を売るのかわからない。
しかも、なぜ婆さんが、白いチマの、すこし汚れた裾をたくし上げつつ、上りかまちに坐りこんで、
「ヒッヒッヒ。あんたとこ、たくさん女のひといるから、これくらい、いるね」
と幾袋も出すのを、若い未婚の叔母たちが頬あからめ、女中衆さんがキャッキャッと笑い、母や祖母がたしなめるごとく、また、奥の男どもに聞こえるのをはばかるごとく、ふりむいてはじらいつつ、
「お婆ちゃん——」
と、婆さんの大声をたしなめているのか、子供の私にはわからないわけである。
「それ、なにするのん」
と私は、脱脂綿の袋を指していうと叔母は、
「ケガしたときに要るもん」
という。この叔母は美人で、花嫁学校へ通ってるさい中である。
「どこケガしたん、見せてェ。なあ、見せてェ……」
などといって、
「いやらしい子やなッ」
とじゃけんに叱られる。白チョコリの婆さんは皺くちゃの顔を一そう皺くちゃにしてヒッヒッヒと笑い、
「いまにあんたもケカする」
というのであった。……
小学校にも女学校にも朝鮮人の親友がいた。長じて飲みにゆく界隈、つねに、火花の散るような朝鮮語とニンニクと油のにおいと、強い焼酎のにおいがつきまとっていた。私には、それこそ、生まれ故郷のにおいである。それはきっと、朝鮮で生まれた引揚者の人々の、朝鮮に対する感覚とは、またべつなものだろう。私のは、幼ななじみの郷愁の中にないまぜになった、一つの要素だから……。浪花の中に溶けこんでしまった朝鮮だから。
しかし私は正直のところ、セクシュアルな酩酊を与えられるのは、朝鮮人の男に多い。女のひとにも百済《くだら》美人というべき美女が往々いるが、男性もすてきなひとが多いのだ。ただ残念なのは、私の場合、朝鮮男にはいつも、見ただけで酩酊して、ついに実人生で結ばれる運命にめぐりあえなかったことである。