王朝末期・鎌倉時代のころ、
「まらはいせまら、つびはつくしつび」
という俚諺《りげん》があったことが古書に見えている。つまり、男のナニは伊勢男のそれが出来がよろしく、女のナニは筑紫女のそれが上玉であるという意味のもので、しかしその理由は、不明である。あずま男に京女、というたぐいの対句であろうか。
それについて古い本にお話がある。
チョイとした身分の男、——やっぱり、(月代《さかやき》にちょんまげ、着流しの落し差し、という江戸侍よりは)直垂《ひたたれ》に侍|烏帽子《えぼし》といった、(あるいは狩衣に揉《もみ》烏帽子の王朝風でもよい)かまくら武士ぐらいのがよろしかろう、ともかくそういう男が、あるとき妻にいう。
「おい、怒ってはいけないよ、折入って頼みがあるんだ」
「また改まって何でございますか?」
「いや、そういわれるといいにくいが、お前の召し使ってる侍女、この間新しく抱えたのがいるだろう、誠にすまんが、あの女にちょっと話をつけてもらいたい」
妻女は、いたく、ふしんである。
「とりたてて美人でもなし、情緒があるでもない、平凡な女ではございませんか、どこにご執心になったのですか」
「いや、なに、筑紫女だと聞いたものだから……」
中世的な語法によれば、男は筑紫女と聞いただけで「ゆかしく」思ったわけである。
妻女は笑う。これは嗤《わら》うと書くべきであろう。
「それはおやめあそばせ」
「なぜだ」
「だってコトワザ通りにいかないことはわかっているではございませんか。あなただって伊勢男のはずなのに」
古往今来、男の考えることはいっしょである。「オール讀物」のカラーページにあるようなお話が、何百年も昔の本にもちゃんと載ってるのだ。
「これで以てみても、男は本能的に名器願望がありますね」
というと、カモカのおっちゃん、
「いや、ちがうなあ」
「では、男の好奇心を諷刺したお話でしょうか」
「いや、そんなんとちゃう」
「男のオッチョコチョイかげん……」
「いやいや、男の想像力についていいたかったんや、思いますなあ」
おっちゃんによれば、男は女より想像能力に富むという。
おっちゃんのみならず、男はつねに、あたまの一方で、女のことを考えている。「筑紫」という言葉を聞いただけで、中世の男はピピピピと神経が逆立ちするぐらいである。そこへ現実に「あの女は筑紫女」だというのがあらわれる。想像の手がかりが与えられたわけである。
「しかしそのときに、ですな。やっぱり、男に想像力をかきたてる女と、かきたてさせない奴とがあります」
「筑紫女、というだけで充分ではないのですか」
「そら、あきまへん。いったい、あんたら女いうもんは、男のみんながみんな、あそこさえあったらええと思《おも》てるように思うらしいけど、そんなもんとちゃいます。そんなんやったら、×××に目鼻くっつけてるようなもんやないか」
「しかし、川上宗薫センセイの小説など読むと、数ノ子何とやら、みみず何とやら、男は構造にしか関心ないように見えますが」
「それはちがう」
おっちゃん、きっぱりさえぎり、
「男はそれだけではあきまへんなァ。いったい、この際いうとくけど、おせいちゃんあたりが、もう一ばんいかん、生半可《なまはんか》な知識を消化もできす鵜呑みして、男はアアだ、コウだときめてかかる。男としては片腹いたいですぞ」
「では、男は、女の構造にしか関心ないというのは誤れる認識である、と」
「さよう、それやったら、オバケやないかいな。応挙の絵に、×××のオバケが、男を追いかけてるのがありますが、あれは怖ろしいもんでっせ。そのまま描いてもオバケになります。こう、毛ェがずーっと……」
「何の話してんねん、想像力の話とちゃうのん?」
「そうそう、男は、そのオバケのことなんか考えてない、いや、考えには入れてるけど、オバケすなわち女とは思わんです。構造がどうのこうの、と論議するのは、何や、オバケそのままをあげつらうようで、僕らには、気色《きしよく》わるいですな、まァ考えてみなさい、あのおそろしいオバケの顔を。オバケがわんぐり赤い口あいて吐いたりのんだり、緊めたり緩めたりしてる、思うと、夢でうなされそうになりますがな……」
「エヘン! 想像力について伺いましょう」
「そやそや、その男かて、きっと筑紫女に想像力をかきたてられるもんがあったんや、思います。つまり、肌が綺麗とか、色白やとか、何かこう、好みのもの、共通のもの、女としての関心をそそるものがあり、それによって、女にひきつけられる、しかも、はじめに筑紫女だという、好もしき先入観念もある。いよいよ想像力は刺戟され、日夜、あれか、これかと思いめぐらせ、懊悩《おうのう》しているわけである」
はては思い余って、ついに妻にもちかけてみる、そういう段取りだったにちがいない、とおっちゃんはいう。
「まあ、男には名器願望も、好奇心も、オッチョコチョイ精神もありましょう、フ口ンティア・スピリットもあるやろ、しかし、それを支えるのは想像力やぞ。オバケだけを論じてたら、もう想像力の余地は、無《の》うなります。それやったら、医学書の解剖図見てんのも同《おんな》じ。肌が綺麗、声が美しい、さればこの女は、あのときもさぞ快美やろ、とそういう、想像をたのしむ、女の美しさをいろいろ想像する、いろいろ……」
と、おっちゃんの視線が私にじろじろ注がれたので、今日はこれまでと私はしとやかに一礼してひきさがった。