男というものは、女をアホやアホや、というくせに、女がかしこくなるとけむたくなると見え、「女に学問はいらん!」
と叫ぶ。
また、男は、女は仕事など何も出来《でけ》へん! と侮《あなど》り、何をさせてもスカタンやとおとしめるくせに、女が職場で能力を発揮すると目ざわりになるとみえ、
「女は家庭にかえれ!」
と恫喝する。
新左翼の男のコたち、えらそうに演説ぶってる若いモンが、結婚するとすぐ地金をあらわし、タテのものをヨコにもせず共かせぎの女房の負担を増して、古い型の亭主関白になるのは周知の事実である。
わがカモカのおっちゃんなぞ、大正フタケタに至ってはいうだけ野暮のはげあたま、
「女ちゅうもんは、どだい、亭主や子供にうまいもん食わせていつもニコニコして、夜になったらマタ拡げとったらよろしねん、結局、それにつきるねん」
ミもフタもないいい方をするではないか、ないかないか、道頓堀よ。こんなん聞いてると、キーッとなる。仮りにも高等教育を受けた女たちを何と心得てくれるのだ。大学の卒業式に答辞よむ学生だって、今や女性で占められる世の中である。
首席入学、首席卒業、中学から大学まで、状元《じようげん》三場というおそろしい女の子がゴマンといる現代なのだ。こういう、かしこい女たちで、現代はみちみちつつあるのだ。
男たちは悲鳴をあげ、「女はアホがよろし!」と叫ぶ。それはわかるが、いったんつめこんだ学問を、女とてどうしようもないではないか。
「いや、それはですな、やはり、忘れていただく」
とカモカのおっちゃんはいう。
「もう詰めこんだ奴はしかたない、しかたないから、女という女は一トところにあつめて、アウシュビッツのガス室ならぬ、記憶喪失ガスをぶっかけて、みんな忘れさせてしまう。何しろ記憶喪失ですから、読んだ本も忘れる、リクツもいえない、ギロンもできぬ、自信がないから、男のいうまま気まま……無学を恥じてしおらしいィになります」
「私も、記憶喪失させられるわけですね?」
「おせいちゃんのような四十女はまっ先にやられる。何となれは、下らぬ知識をひけらかし、一ばん世に害毒を流す」
これはたいへんなことになってきた。尤も私は、持ち重りするような、学問も知識も持ち合わせないから、記憶喪失ガスをかがされたところで、そう変らないであろうけれど、それでも、いろいろ不都合なことがおきるわけである。つまり、自分が何ものであったかも忘れてしまう、これがすこし困る。
「もしもしこちら週刊文春でございますが」
「ハイハイ、こんにちは」
「締切りすぎてるんでございますが」
「何のことですか、私はタナベですが」
なんてことになり、私は愉快であるが、先方さんは困られる。イタズラ好きの筒井康隆さんだと、
「ボクはタナベさんに金を貸したはずやけど」
というかもしれない、私は何しろ記憶がないから、そうかと思う。
「いくらですか、エッ百万円、ウーム」
しかし性、善なる私としては、借りたからには返さにゃならぬと、身を売っても返済する、これは、私の方がこまるケース。更には、亭主は私の記憶喪失をこれ幸いと、
「おや、どなたですか、ここはあんたの家とちがいます」
などとていよく玄関払いをし、私は何しろ記憶にないこととて、それもそうかと踵《きびす》をかえしてトボトボ追っ払われる、亭主は背後で、やれ、厄介払いしたと万歳三唱してるなぞは、これも私が困ることである。
また更に、ありえないことだと信ずるが、野坂昭如センセイなどが、私の記憶喪失につけこみ、あやしき振舞いに及ぼうとなさいますね、こういうことになっていたのだ、と仄《ほの》めかされると、何しろこちらはとんと記憶がないから、それもそうかと納得したりする、もうほんとに、いろいろ、不都合が多くなるのだ。
それやこれや、するうちに、いかに気のよい私といえども、どうもヘンだ、あやしい、と気付くかもしれない。「男のいうまま気まま」にハイハイとやさしく従い、どんな無理難題をふっかけられてもじっとがまんして堪えしのび、何しろ、何をいわれても、こっちに自信ないから、男の指図のままにしたがう、しかしそのことごとくが、どうもこっちがソンするようにできてる。それが、おかしい。
私の記憶喪失を利用されてるのではないかと、あるとき愕然と気付く。私と時を同じくして、あっちでもこっちでも、女が気付き出す。やがて、どうもおかしい、と勇気のある女の一人が叫び、それをキッカケにウーマンパワーがおきる。収拾つかない混乱になる。
連盟、組合を作ろうという呼びかけがおきる。ハチのスをつついたさわぎ。
そうして、これから、女は、あべこべに記憶喪失を逆利用してやろうという決議が出る。
「金を返せ」といわれたら、「おぼえてないなあ」とうそぶく。
「お前はオレの女房やないか」といわれたら、「ウソツケ」と一笑に付す。
あやしき振舞いに及ぼうとする人間には、「クセモノ!」と叫び、「オイオイ、話がちがうやないか、お前は以前、かめへん、いうたやないか」などという奴には、「何を、だまされるものか」とバンバン! とキックでやっつける。
これは女のチエである。チエと学問はちがう。学問知識のあるなしに関わらず、チエは女がみんなもっている。こうしてみると、女は所詮、学問をつめこもうと何しようと本質のチエとは関係なく、記憶喪失も意味ないらしい。
そして私自身としては、女は社会に出ようが家庭にひっこもうが、ほんというと男を動かす力は同じだと思っている。見よ。世の男という男、本音はみな恐妻家ではないか。