若い人の言葉づかいがおかしいというが、文章のことばもヘンである。いや、文章ということになると、中年、老年もおかしいのが多いけれど(そういう私も怪しいが)、いま大体、第一線でPR誌、月刊営業雑誌、新聞の編集者で、現場で書いてる人は、私よりは若い人であろう。
ウチへ送られてくるPR誌なんかにも、愉快な言葉づかいが多い。
「古墳から土器がうようよ出た」(私鉄のPR誌)
これは「ぞくぞく出た」というのが常識であろう。
「暑さの季節が近寄ります」(化粧品メーカーのPR誌)
近づきます、というのがふつう。
「頬なめずり」は、「頬ずり」と「舌なめずり」の合成語で、「頬なめずり」する場合も人生にはあろうけれど、おちつかぬ語感である。
「目を丸黒する」も「丸くする」と「白黒する」がドッキングしたのであろう。しかし人間、ことに日本人の目玉はもともと、「丸黒」であるから、ことさら「丸黒する」にも及ぶまい。
「毒牙をのばす」も、ちょっと考えたらわかるだろうではないか。「のばす」とくるからには「毒手」。「毒牙」とあれば下へ、「磨《みが》く」がくるのが常識。いかにドラキュラだとて、毒牙を長くのばしていては不便であろう。若い人は、手あたりしだいの言葉を使うのでいけない。これは、新聞にのっていたのである。
新聞では、地方版でもう一つ、愉快なのがあった。歌集の出版記念会のニュースで、
「終りに××氏が短歌の詩吟をして散会」
とあったが、これは朗詠といってほしい。短歌を詩吟したのではどう解釈すべきか、読者は身悶えしてくるしむ。
バーのホステスさんが、握りずしのことを「おにぎり」というのについて「にぎりとおにぎりはちがう、こまったことだ」と誰かが眉をしかめていらしたが、この間も、
「何になさいます? お水割り?」
という美人ホステスがあった。カモカのおっちゃんはからかいたくなったとみえ、
「うんにゃ、ちがう。水割り!」
と叫び、美人ホステスはけげんな顔で、
「お水割りでしょ?」
「ちがう。水割りや、というのに!」
「だから、お水割りでしょ!」
これがほんとの水かけ論。これ以上いうのはヘンクツというもの、おっちゃんは黙ってしまった。この美人ホステスに限らぬが、若い女、ちょっと気取った女は、何でも「お」をつけたらいいと思っているが、モノによるのだ。
私はあるとき、気の置かれる、尊敬すべき、肩のこる男性の前にかしこまって、もろともに、かたわらのテレビをうち眺めていた。すると若い女アナウンサーが、洗剤か何かの広告をしていて、
「お粗相をして、ものをこぼしたりしたときに……」
としゃべっていた。粗相は、あやまち、そこつ、というか、物ごとをしそこなう意であるから、そういう言葉自体はまともだが、この際、つけなくともの「お」、あらずもがなの敬語であろう。「お」をつけるとニュアンスがちがってひびいたりして、関西語の慣習としては、まことに進退に窮する語感、これが雑駁《ざつぱく》なカモカのおっちゃんと聞いてたりするのだと、どうということはないが、気の置ける人が相手では、笑うわけにもいかず、
「ヘンな言葉づかい」
と指摘してつぶやくのも、あまりに神経過敏を疑われる。ことに、女としては、こんなときにむつかしい、言葉づかいに適切を欠く、と注意したりしたら、私の考えてることがわかってしまう。わかってもいいが、私としては、そんなこと気付いてないふうによそおいたい。
こういうコトバを無造作に使われると困るのだ。一人で聞いてる時はいいが、テレビは誰と一緒にいるかわからないのだから、気をつけてほしい。相手の方も、何だか、ヘンな顔をしていたが、互いに紳士淑女の体面を重んじて、気付かぬ風に毅然《きぜん》としていた。
そういうときは、いいかげんなコトバづかいをするくせに、若い子というものは、妙なところではずかしがるから始末にわるい。ある女子大生のお嬢さんは、
「チッソ」
という言葉を口にするのもはずかしいといっていた。そういうのはあるとみえて、これは二十一、二の出版業関係のお嬢さんは、
「帙《ちつ》入り」
という言葉が、なかなかいえないといっていた。
中には「この字、どう読みますか」ともってくるので、見ると「朕」という字、字引を引けばすぐわかるのに、人に聞きたがるのも若い女の子の通癖である。
「それは|ちん《ヽヽ》とよむ、天子の自称ということになっていますよ。自分、という意味」
「何とよむんですって?」
「朕オモフニ、の|ちん《ヽヽ》です」
「いやァねえ、オトナって」
などとのたまい、顔なんか赤くしていて、オトナが何かわるいことをいいましたか、ちょっと意識過剰ちゃうか。
「ヘンな字!」
といったって、字には罪はない、そう読むようにきめられているのだ。べつに私がきめたわけじゃありませんよ。
「しかし、若いときってそうやないかしら、考えてみると、私も、若いころ、秩父ということばが口に出しにくうてこまったわ」
と中年の女友達がいっていた。チチブというさえ、顔が赤らんだそうである。若者の羞恥心というのは神変不可思議である。カモカのおっちゃんは口を出し、
「いや、僕らから見ますと、女の羞恥心というのはけったいですなあ。——朕や秩父にこだわるくせに、ある産婦人科医者の電話番号見て、げらげら笑《わろ》うてうれしがり、その医者、物凄うはやってます。下《しも》・三四一《みよい》いうんですが、男には到底、口に出せまへん」
おっちゃんは、中年女や若い女の子に、ハッタとにらみ据えられていた。