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女の長風呂84

时间: 2020-06-25    进入日语论坛
核心提示:ヒ ト の 素「難産、色に懲りず」というコトバがあるそうである。えらい難産で死ぬか生きるかのくるしみ(昔は無痛分娩なんて知
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ヒ ト の 素

「難産、色に懲りず」
というコトバがあるそうである。
えらい難産で死ぬか生きるかのくるしみ(昔は無痛分娩なんて知らないし、帝王切開もない)もうもう、二度とお産なんかしません、と女は決心する。
お産をしない、ということは、つまり、男女の歓会を断念することにつながる。昔の人はピルも知らなければ、受胎調節法も知らないからである。もう退役だ、と決心する。
ところが、そう決心していても、そこはナマ身の人間の悲しさだ。のど元すぎれば何とやらで、この道ばかりは(|あの《ヽヽ》道というべきか、どっちみち、色の道である)思い切れない、やっぱり現役にかえり咲きしてしまう、これを「難産、色に懲りず」というそうである。そうしてまた、前よりひどい難産だったりして、中には一命を落としてしまうのも出たろう。中絶できない時代だ。
いま、優生保護法、わかりやすくいうと、中絶禁止法を改訂して、前よりも一そう中絶しにくくなるようにしようと一部政治家と識者たちが動き出し、それに対して女性はほとんど反対の声をあげている。
この間も、佐古純一郎氏がある趣味雑誌に書いていられたが、趣旨は、一言でいうと、こうも簡単に妊娠中絶できるというのは、けしからん、生命の尊厳ということをどう考えているのか、気軽に堕胎手術をする日本の医者はどうしてこんなに平気で「人殺し」ができるのだろうか、という、お腹立ちである。
老いのくりごととは申さないが、この先生のいうようにすると、できたコドモは片っぱしから生め、ということになる。
しかし、生まれてこまる場合が、残念ながら女にも、男にもあるのである。
この先生によれば、この頃頻発する子殺し・子捨ては、みな、気軽に堕胎する精神と「同じところから出ている」といわれるが、これはちょっとちがう。
そういう雑駁な神経で、こんな大切な問題を論じられてはやりきれない。子殺し・子捨ては、現代の性意識と、人間をとりまく環境のひずみ、落差が生んだもの、文化のアンバランスがもたらしたもので、これは別に論じないと長くなる。男のいうことは何もかも女性問題に関する限り粗笨《そほん》で、クソもミソも一しょくたにする。
人間を一人、生むか生まないかは、女のきめることである。マレに男が口を出すこともあるが、気の毒ながら製造工程では手を貸せるものの、仕上げは女だから、どうもしかたがない。
男たちは、この生む生まぬの権利を、女一人に独占させるのをやっかんで、中絶しにくくさせようとするとみたはヒガ目か。
実際問題として、誰も喜んで中絶する、中絶好き、中絶中毒の女なんていないと思う。しかし、現今の医学はまだまだ不十分で、完全百パーセントという避妊法は発見されていない。
避妊と中絶の関係について、もっと考えてもらわなければいけない。もっと進歩した避妊法が発明されれば、中絶などという泥くさいことはなくなってしまうのだ。
それでも、生むことを選択したあとで、環境はどんどんかわるものだから、生みたくなくなる、という場合がある。夫の蒸発や離婚、別離……人生は複雑なものだし、女の一生はまだ先が長いのだ。もつはずでなかった子供をおろせなくなって、長い一生を棒に振る、ということもあるだろう。
それに、今日び、子供をもつことを拒否する女もいるのだ。
また実際問題として、三人四人五人と、子供が生めるような、生きやすい世の中ではないのだ。生活難、住宅難はちっとも解決しないのに、また、避妊法はちっとも進歩していないのに、中絶は悪だというのは、川を堰《せ》きとめて大雨をふらすようなもので、どこかに無理ができて堤防が決潰し、一大氾濫をおこす。
ところで、私がいつも、ふしぎに思うこと。その佐古センセイも、そうでありますが、生命の尊厳という美名を錦の御旗のように男たちは掲げるが、どこからを生命というのか、そのクギリが、わからないのだ。
「胎内にめばえた尊いいのち」
などと、使ったりしている。そうしてそれを掻き出すことを、
「人殺し」
とよぶ。まことにそれはそうにちがいない、順調にいけば人になるんだから。
しかし、私にはどうも、もう一つ納得がいかない。
人《ヽ》の原料ともいうべき、「人のモト」は常時、下水管をザアザアと流れてゆく。
毎夜毎夜、ホテルや自宅のバストイレを伝わって中有《ちゆうゆう》の闇に消えてゆく無数のいのち。水洗トイレの下水管からおびただしい人命が消えてゆく。大阪市水道局も神戸市水道局も、人殺しの片棒を担いでるわけだ。これはいいのであろうか。
ヒトは尊く、ヒトのモトは取るに足らぬのであろうか。
「いや、ヒトのモトはそれだけでは汚水と同じで、ヒトのモトが二種類集まり、うまくパチーンとぶつかって花火を出してくっつく、そうなると値打ちが出てくるのです」
と、いう人があるかもしれない。しかし、ぶつかってもくっつかないヒトのモトもあるのは皆さま承知の通り。パチーンとぶつからなくてもよいのがぶつかったりして、さなきだに錯綜した人生を、いよいよ、もつれさせたりしているのも、これまた周知の事実である。
味の素ならぬ、ヒトの素と、生命のめばえの線を、どこで引くか、が問題である。
まあしかし、大体、「中絶は悪だ」という人は、たいがい子供がもう作れなくなったロートルであろう。だから生活難も人生苦も、愛欲苦も一切、関知せず、そんなことをいっていられるのだ。
私が「生命の尊厳」ということばで浮かぶイメージは、結婚何年もたって、子供を渇望している夫婦に子供ができたときの、狂喜ぶりなんかである。また、どうしても生みたいと不妊症の人妻が人工受胎を考える執心ぶりである。そんなときの受胎は、ほんとに「生命の尊厳」という意味の何たるかを示す。
つまり私が思うに、女が生もうとみずから決意したとき、生命が生まれるのではないか、その判断と選択は女に任せてほしいものである。男にできることはどうせ、ヒトの素をふりかけること位である。
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