大地震、汚染魚、おそろしげな話で世間はもちきりである。
しかし、どういうことだ、私は性、劣悪なる故か、一向ぴんとこぬのだ。そういっても美しいニッポンの海をよごし、美味なニッポンの魚を汚した、そのバカさかげんに実に腹が立つのであるが、そういいながら、魚屋の店先で美しい新しい魚を見ると、どうやって料理しようかと思う、そしてついつい、食べてしまう。
だらしない。
大地震に至っては、少しも現実感がない。
対策も方策もない。バカではないかといわれるが、いくら一生けんめい考えても、どうしていいか、分らない。
大体、阪神間の天災は地震ではなく、台風、高潮、崖くずれ山くずれ、集中豪雨、鉄砲水なんてのが多いのだ。神戸などに至っては坂の町で、背後の六甲山系はもろいから、いったん鉄砲水に見舞われると、もう処置なしである。四十一年の七月豪雨など、一瞬のあいだに道路が激流に洗われ、あれよあれよというまに、自動車、コンクリートのゴミ箱、物置小屋が流されてしまった。その物置小屋に人が入ってたりしたのだ。ふつうの道路が激流になって家の前の道をゴボッゴボッと削ってゆくのである。下流では、ペンシルビルがとうとう倒壊してしまった。
そういうおそろしさは想像できる。また、大阪そだちの私は、関西風水害(昭和九年)の台風の恐ろしさも知っているのである。
しかし、大地震、ということになると、もうひとつぴんとこず、鉄砲水、風水害と共に、すべて、「大空襲」の記憶に集約されてしまう。
そうして、知る人ぞ知る、空襲というものはもう、逃げようのないものなのだ。
どこへ逃げても、ビュンビュンと風を切って焼夷弾が落ちてくる、落ちて燃える、それも黄燐焼夷弾といって消したと思ってもあとでチロチロ燃え出す奴。焼夷弾のあいまに爆弾が落ちる、これは家をこっぱみじんに粉砕してしまう。ヒューという音はかなり近いのであります、シュルシュル。これはネズミ花火ではない、爆弾の落ちる音が防空壕内でも聞こえちゃう、ズシーンとくるような地ひびき、バガーンと爆発、バラバラと壕の土がおちかかり、生き埋めになるんじゃないかと肝が冷えるのだ。
ビュンビュン、ヒュー、チロチロ、シュルシュル、バガーン。ドガーン、ザバーッ。
やっと音がやんで外へ出ると、目の前にあった家が火に包まれてる、憲兵はかねてこういうとき、ふみとどまって消火しろというが、消してる所ではない。波状攻撃があるのでうろうろしてると二波、三波とやってくる、壕内で土がバラバラ落ちてくると怖くて、もう二度と入れない、まあ、話せば長いことですが、こういう経験が骨身に染みますと、何を用意したって一緒ちゃうか、という気になる。小さい子供でもいれば未練執着があるだろうけれども、ウチのものどもはいずれも鬼をもひしぐ大供ばかり、庇護してもらいたいのは私の方だ。
よって、大地震に対する心がまえ、その備えを問われたって、何もないのである。ただ無力感があるばかり。
それよか、私がひたすら想像しておそろしいのは、むしろ、放射能や公害によって異常繁殖、異常成長した昆虫や小鳥が、人間をおそったらどうしようということだ。
ヒッチコックの「鳥」は、人間が鳥におそわれる恐怖映画だった。
SF映画には放射能でバカでかくなったアリが、人間を食べるのがあった。
アリならいいけど、ゴキブリが大きくなったらどうしようと考える。
考え出すとこわくて眠れない。
あんまりこわくて、寒いぼ立って、涙が出てくる。
地震も雷も火事も台風も、「さもあらん」という感じで対処できる。
それから、痴漢も殺人鬼も強姦魔も晴れ着魔も、「ああそうか」という感じで、よくわかる。
しかし、異常に大きくなったゴキブリは何としよう。コワーイ!
あのきらきら、ツヤツヤ光るおそろしい体が象ぐらいに大きくなって、貪欲な口をあけて人間をカリカリと噛んだら、どうするのだ。小高い山のてっぺんに立ち、見わたせばチャバネゴキブリの大群、ワサワサと押しよせてくるときの恐怖を何にたとえよう。
私は「日本沈没」ではないが、まっ先に、飛行機で逃げ出しちゃう。もう亭主も子供も親兄弟もない、カモカのおっちゃんが足にすがったとてハッタと蹴たおす。飛行機の運転手(もおかしいな、やっぱり、飛行士か)が、乗せる代りに私の貞操を要求したら、もちろんさし上げる。ゴキブリのおそろしさには代えられない。
「ゴキブリが象みたいに大きくなるとは、おせいさんもけったいなこと考えますなあ」
とカモカのおっちゃん、
「しかし、飛行場へいくまでに追いつかれて食われてしまえへんか、奴らは象とちごて動きが早い上に、羽がある」
「では家の戸じまりをしっかりして、雨戸もしめます」
「ゴキブリの歯にかかったら、カリカリと木ぐらいかじられてしまう。鉄でもかじるかもしれん」
ウームと私は考えた。
私は、ではこうする、誰かに電話する。呼んだら助けにきてくれそうな人。野坂昭如センセイは東京だから遠い、そうだ、小松チャンがいい。しかも小松左京氏は太ってる。電話で「早く来てェ。辛抱たまらん」というと何事ならん、と小松チャンは期待にみちて走ってくるね、これは。すると家の外にむらがってるジャンボゴキブリがたちまち小松チャンをカリカリたべる。あれは|たべで《ヽヽヽ》があるから、その間に私はスルリとぬけて逃げるのだ。
「その、逃げるとき何をもって逃げる?」
とカモカのおっちゃん。私はべつに何もない。どうしてか執着は何もない。こわいから逃げたいだけ。それぐらいこわい。——政府がゴキブリ対策をたてないのはじつに怠慢、けしからんと思う。と、力説する私におっちゃんはへんなことを感心していた。
「そうか、手ぶらで逃げるか、トルコ嬢と強盗と物書きは身一つで商《あきな》いするわけやな」