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女の長風呂89

时间: 2020-06-25    进入日语论坛
核心提示:暴 力 男佐藤愛子チャンにいわせれば、私は男という男に無限の慈愛をそそぐ悲母観音のような心やさしき女、ということになって
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暴 力 男

佐藤愛子チャンにいわせれば、私は男という男に無限の慈愛をそそぐ悲母観音のような心やさしき女、ということになっているが、それは、いとしい・あわれな・かばいたくなる・かわいそうな・いじらしい・ふびんな・見捨てられない・抱きとってなぐさめてやりたい、男に対してだけである。
さらにいえば、男にしろ、女にしろ、私のことを、人のいい女だ、やさしい女だ、あたたかい気だての女だ、とほめるのは、そういう彼ら彼女らが、人がよく、やさしく、あたたかい気立ての人間だからで、すべてそれらは、ご自分のよさの反映なのである。
私は、いい人に対しては、いい女になるのである(これで借りは返したゾ、イヒヒヒ)。
しかし男にもいろいろあり、どうしても私が悲母観音になれない男がいる。それは暴力男である。
尤もこの世は何事によらず力が行なわれ、たとえば私がこうやって駄文をつづり、江湖《せけん》の諸彦《みなさん》に訴える、これも一つの力であり、人によっては暴力と取る向きもあろう。
母親が子供に対して支配力をもつのは当然だが、それが暴走して猛烈な教育ママになると暴力である。そのあげく子供が悩んで自殺でもすると、すぐ新聞の投書などで、「あれは親がわるい、わが家の教育をみよ、これこの通り、子供はスクスクと国立一期を通った」と自慢するアホがおり、これも暴力。
官憲、政府の暴力的悪政はいわずもがな、汚染してあとしまつもしない大企業の暴力も更なり、核実験など、この世界的な公害さわぎの最中にやらかして、まあ何と周囲《はた》迷惑な、日本が抗議すると、「うるせえ。オレんとこばかりかよ」と逆ねじくらわせて抗議の抗議をする、いやな某大国の暴力。暴力のない世の中はない。
しかしことに私のきらいなのは、直接的な暴力男、大阪弁ではケガして出血したのを、
「血ィ出て身ィ見えたァる」
などと表現するが、こういう血みどろの暴力をふるう男は、どうしても好きになれない。
たとえば近頃だと国士館大の一部学生のように、徒党を組んで朝鮮人学生になぐりこむ、何の意味もなく電車の吊皮切ってまわるというような、あるいはちょっと前の東京農大のワンダーフォーゲル部で新入部員をしごき殺したような、または革マル、中核のせめぎあいでリンチ殺人するような、そういう「血ィ出て身ィ見えたァる」ような流血沙汰をおこす男を、私はふかく、にくみきらうものである。
私がこういうと、きまって男の中には「規模に於ては核実験の暴力の比ではない」と論評する向きがあるが、直接的暴力を許したら、もっと大きいあらゆる暴力を容認することになる。
また、流血の惨事をにくみきらうというと、すぐ男の中には、上流婦人の慈善事業さ、とせせら笑い、西洋農協風ヒューマニズムとうそぶく阿呆もあらん。しかし人間にとって「鉄の規律」や「民族の尊厳」は、「血ィが出て身ィが見えるようなケガ・殺人」より大切かどうか。
「血ィが出て身ィが見える」ほどして、獲得せねばならぬ価値あるものがあるか?
ない。
ないよ。ないんだよ。
国士館大の一部学生の民族派にしたって彼らは神州日本と思っているのかもしれないが、神州日本は昔から朝鮮半島とたのしく乱交混血あそばされていたのだ。帰化人は八方に散ってヤマトの血とまじりあい、溶けあった。モトをただせば民族派学生、右翼学生の血の中にも、新羅《しらぎ》、百済の血は混じっているので、今更、目くじらたててなぐりあいする場合とちがう。
血みどろさわぎの好きな暴力男というのは、性粗暴にして流言にまどわされやすく、自己陶酔に陥りやすく、懐疑ということを全く知らぬ井戸の中のカワズ、いかな気のよい悲母観音のおせいさんだとて、こういう手合にだけは、やさしい顔を見せていられない。
人をなぐったり、突いたり、刺したり、人の見る前でザクザクと電車の吊皮切ってまわったり(集団催眠にかかったような、デモの昂奮の中でならいざしらず)するのが平気な男に、人間としてのデリカシイがあろうとは決して思えない。
小説を書くという作業は、一つにはデリカシイのなさへの告発であるから、あえて、暴力男をにくみきらうと揚言せずにはいられない。
ついでにいうと、「血ィ出て身ィ見える」暴力は肉体だけでなく心にも加えられるのでこれが困る。デリカシイのなさでは同じだが、本人にはわからない。
公器を利して私怨を晴らすといわばいえ、私は十五、六年前、はじめて本を出版した。そのしばらくあとで、ある出版社の男にあうと、
「本出して、どこからか何か注文きましたか?」
とからかうように聞く。どこからも来ない旨、私はありのままにいうと、うす笑いして、
「あ、そうでしょうなあ」
と男は答え、これも考えるとヘンな言葉、私は乙女心を傷つけられたのであった。
またこの間、講演にいった先で、係りの男の一人、
「私はまだあなたの本を一冊も読んだことがない」
といい、それはかまわない、講師として招《よ》んでおいてもそういう人間は今日び多い。
しかしもう一人の男ときた日には、
「あなたは原稿が早いかおそいか」
ときく。私は自慢じゃないが、おそいのは横綱級である。
その旨、奉答すると、
「そうでしょうな。もしあれで早かったらおそろしいものだと思ったが」
といい、これもヘンな言葉で、よく考えると無礼である。
その上、彼はある女流評論家をほめちぎり、彼女の講演の一部を誦してみせ、
「いや実に、何の何子さんは才気かんぱつですなあ」
という、私はどんな顔してたらいいのだ。悲母観音も顔がこわばっちまうよ。こいつは女で苦労したことない人やなあ、とつくづく思わずにいられない。この程度の男で通るほど、くみしやすい女ばかりじゃないんだよ、世の中は。
すべて肉体的にしろ、精神的にしろ、暴力男はきらいだというのは、デリカシイのない男が女を愛せるわけはないからだ。暴力男たちが女を愛するときはどんな顔してるんだろうかと、つらつら考えてしまう。
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