この頃のはやりに、「広辞苑」がよく出てくる。たいがい一冊の雑誌のどこか、新聞のどの面かには、ひとところはきっと、
「広辞苑によれば」「字引をみると」「字典にはこうある」
などと出てくる。
これは、たぶんこの頃の人が言葉に自信がないためだろう。ことばについてあやふやな認識しかないためにちがいない。それから、漠然とある語の意味を知っていても、それを言葉に定着したものではっきり読んで、安心させられたい、確信づけられたいと思うせいであろう。この「辞典によれば……」という流行は、私の見るところ、ここ一年ぐらい前から急に目につくようになった。
それから若い編集者が、よくこんな辞書を愛用していて、原稿のわからない言葉に出くわすと、字引と首っ引で考え、「このところの意味は辞典によるとちがいますね」という。
私は強情っぱりであるから、「ちゃう、ちゃう、その辞典まちごうとんねん!」と叫び、若い編集者は、この業《ごう》つく婆め、といいたげな顔であるが、辞典も、便利であるものの、万全を期しがたいところがある。
そういえば、昔風の硬骨の文士などといわれる方は、さすがに、「おのれ自身、辞典」との信念をゆるぎなく持っていられるせいか、「辞典によれば……」などとたよりなきことをいわれる方は少ないようである。
ところで私は、新村出氏編の「広辞苑」をもっているが、これは昼寝の枕ともなり、かつ消閑のこよなき友である。
辞典、言苑などというものは、急場に意味不明の語を忙しく指にツバつけてさがすのよりも、ひまつぶしにゆっくりあそぶためのものかもしれない。何も知らぬ編集者は三畳のわが書斎をのぞき、「やあ、暑いのにごくろうさま」などというが、何いうとんねん、私は辞典で遊んでることが多い。「へんたい」「せいこう」なんてとこを引っぱったりしますね。
誤解のないようにいうと、「へんたい」の欄で私は変体仮名について勉強していたのであり、「せいこう」では晴耕雨読について学んでいるのである。
次に「ろしゅつ」なんてとこを見る。これはむろん、写真術の用語のところを勉強するためにほかならぬ。しかしその欄についでに「ろしゅつしょう」についても言及してある。私は読みたくない、しかし書いてあるのだから、ついでに目がいく、これは仕方ない。
「露出症。精神の異常により恥部の露出を好む病症」
とある。
そこで私はまた「ちぶ」なんてところを見たりして、これはもう、時間がどんどん経つはずである。そうして、「ろしゅつしょう」を見ているうちに、ずっと昔、女専国文科の生徒だったころ、学校からほど遠からぬ閑静な住宅街の路上で、へんなおっさんを見たことも思いだす(と、こうやってそれからそれへと考えつづけ、ますます、時間がたつ)。
私はクラスメート四、五人と校門をうしろにスタスタ帰っていた。と、先をゆく二人のクラスメートが、顔色をかえてまわれ右して、あたふたとかけ戻ってきた。
「あかんわ、あの道いったらあかんわ」
と、クラス切っての愛くるしい美少女のマスモトさんがいった。
「いや、なんでやのん!?」
「何ででも、あかんわ、こっちから折れましょう!」
とマスモトさんは美しい頬を紅潮させて叫び、ワケのわからないみんなはうろうろしてまごついているうち、「あの道をいったらあかん」元兇の方が向うから近づいてきた。
クラスメートたちは私より目が迅《はや》かったとみえ、
「キャッ!」
と叫び、四方へクモの子をちらすように逃げた。
私はびっくりして、向うを見ると、その頃は爺さんに思えたが、今考えるに、四十なかばではなかろうか、背の低いがっちりした労働者風の男が、塀のかげに沿って、こっちへ歩いてくる。ちょっと立ち止まり、何をしているのだか、よくわからない。ともかく足をひろげて立ち止まっている。私は一生けんめい、目を凝らした。
おっさんは何だか非常にだらしない恰好をしていた、というのが第一印象である。足のところにズボンをずりおろしているような感じであるが、それもよく見ないからわからない。
そうして、体のまん中にいやに赤い非常に大きな腫瘍《でんぼ》のごときものがあって、私は尚よく見ようと前へゆきかけたら、
「あほやね!」
とマスモトさんに、ぐい! とひっぱられた。そうしてみんなで横丁へ折れて走った。
私はそのとき十六ぐらいで、早生まれの上に女学校四年修了で女専へ入学したからクラス中最年少である。ほかの友人は十八、十九、中に地方から来て予科へ入っていた人はハタチなんてお姉さまもいるから、事態を明確に把握していたのかもしれないが、私は(誓っていうが)ほんの子供で、何が何やらさっぱりわからない、しかしながら、この白日のもとありうべからざる現象であるという認識だけはあって、しかし、マサカ、ソレとは思えない、人間、それもオトナがそんなことをするとは思えない、あれはデンボ、巨大なオデキにちがいない、しかし、それにしてもヘンである、と、あたまが禿げるほど考えていた。そのよこでお姉さまたちは、
「アー、胸がドキドキした!」
「やァねえ……先生にいう?」
「あたし、絶対、よういわん」
などと昂奮してさえずり交わしていた。
「あれは病気ね」
「そうよ、病人よ、あれは」
とお姉さまたちがいうのを聞いて私は心中、さもあらんと納得していた。病気で、どこかを腫《は》らしているのだ、そうだ、病人なのだ、気の毒に、とすましていた。それにしてもイタイタしい腫瘍である、と私はいたく同情した。でも、どこかヘンだと思ったからだろう、いつまでもこうやっておぼえている所をみると。そうして、年をへて辞典など繰っている内に、やっとばっちり、言葉と事態がきまり、かくてあのおっさんこそ露出症であるとわがうちに定着するのである。