私がテレビを見てもらい泣きせずにいられぬのは、蒸発した妻に、涙と共に呼びかける夫を見たときである。
「×子、帰ってくれ……」
と叫ぶ夫の頬は、涙にぬれてくしゃくしゃにゆがみ、手をひかれた子供たちまでつれ泣きしてワンワン泣く。まして夫の背に負われた幼児はそっくり返って泣き叫ぶ。夫はそれをゆすりあげつつ、
「一日も早く、この子たちのために帰ってくれ……」
と哀切な声をふりしぼる。佐藤愛子チャンが何といおうと、もらい泣きせずにはいられないのだ、私は。
男だからかわいそうなのだ。かよわい男をこうまで苦しめて、女として無責任ではないか、という気がするからだ。男というものは女に逃げられると、とくに小さい子供でももっていると、もうその日から生活無能力者、要保護家庭、早くいえばお手上げなのである。
反対に、妻が夫の蒸発を訴えるのは、私は、女一匹、めめしいことをいうな、といらいらする。逃げた男など、こっちから抛《ほう》り出してしまえ、しっかりせい、といいたくなる。
そして妻の場合はおおむね、男を詰《なじ》る口吻になるのに共通の特徴があるようだ。
「それで父親としての責任が果せますか!」
と声涙ともにくだり、叱咤しているのが多い。そこが、妻に蒸発された夫とちがう。夫の場合はひたすら泣訴《きゆうそ》哀願している型が多い。
ところで、蒸発した妻のうしろに手に手をとって共に逃げている男が多いのも、私には感慨がある。これも当節の流行である。
家出妻の特徴を問われて、夫は涙をふきふき、
「エー、ヘソの下に傷があります」
などといっているのも夫ならではの観察、更に、相手の男の特徴は何かありますかときかれて、洟《はな》をすすり上げつつ、
「鼻が大きいのが目立ちます」
などというのも、へんなかんじ。
それはさておき、私のいいたいのは、蒸発というが、これはつまり、かけおちということではないか、と気付いたのだ。今風に新しい言葉で蒸発などというからややこしい、かけおちといってくれればわかりやすい。いずれも同じようなものであるものの、蒸発の方が何やら高尚にひびく。未婚の母の子という方が、私生児というよりハイカラなのと同じだろう。
それにしても、言い方が変るだけで、昔も今も同じことをしているのだなあ、とつくづく思わずにいられない。夫が子供の手をひき、妻よ帰ってくれ、と涙ながらに訴える、それはいかにも当世風ではあるものの、本来は昔からあったことで、人間のすることはちっとも変っていない。
同棲だって何も珍しいことではなく、私は女学生時代に、先生から、さもさも人類の一大禁忌、耳にするも口に上せるもはばかられるような物々しい勿体ぶりで、「野合」なんて言葉を教わった。「私通」ということばもある。世間のオトナはもっと簡便に、「くっつく」といった。つまり、そういうことで、同棲なんて、結婚制度と同じほど古くからある。目くじらたてて若い者が新しがることとちがう。
このごろの若い人が、三人で住む、なんてことを言い出す。
男二人に女一人、(この反対はあんまりきかない)適当に性をたのしみ、生活を安上りにして、新しい生活形態、結婚のタイプといったりするが、これも、「相持ち妻」というのが昔はあったらしい。「明治・大正・昭和世相史」(加太こうじ、加藤秀俊、岩崎爾郎、後藤総一郎編)という本にのっているが、遠州はH村に住む五平氏(四十一歳)、ヤモメで、後妻をさがしていた。
仲介する人があってU村のミワ(三十五歳)なる婦人と婚約、めでたく結納まで取り交わした。
ところがミワさんはH村の太吉(四十五歳)とかねて密通して夫婦約束を交わしておった。おさまらぬのは太吉氏である。仲人にねじこんだ。仲人は困って双方相談の末、やがて、妙案を考えた。
「今より二人相持ちとして、上十五日は五平殿とし、下十五日は太吉殿とし、もし妊娠して子の生まれたる時はどちらでもその顔の似たる方を父とし、ミワに似たる時は二人にて養育しては如何」
というのである。五平氏も太吉氏も、うなずいて、
「それはよかろう」
と了見したのである。
五平氏・ミワさんはめでたく式をあげ、太吉氏もそれに列席した。
しかし、五平氏はよくよく考えてみて、どうも自分はソンではないかと思い出した。
というのは、最初、自分の方へとったのはよかったが、大の月は太吉の方が一日多くなる。
これは公平ではない。太吉の奴、それを見こして、下十五日をとったにちがいない。そう思うといてもたってもいられない。その夜さっそく、二時ごろ、五平氏は太吉氏の家の戸を叩き、
「大の月は一日少ないから、半月交代の約束は破談にしてほしい」
と申し出たのである。太吉氏は笑って、
「しかし、ミワ女は下十五日のうちいつも差支えがある」
これは考えなんだ。五平氏は頭をかき、
「そんなら原案のようにすべい」
と帰ったというので、この「原案」という言葉が、明治初年らしくていい。
だから「相持ち妻」というのも、べつにいまの流行、産物ではなく、「天《あめ》が下に新しきものなし」である。
主婦という語は、いつごろからのものか、私には、明治のはじめにあったといわれる、「炊きころび」という語は、実に象徴的に思われるのである。
これは女中と妾をかねたるものといわれ、文字通り、台所仕事をしてころぶ、ミもフタもないいい方であるが、「炊きころび」は一カ月三円から五円の給金だったという。別に私は、主婦が「炊きころび」だとはいわない。しかし主婦のはしくれとして「炊きころび」という語はじつに身にしみるのである。それ以外の仕事は何もないやないか、と古人の適切な言葉づかいに感じ入るばかりである。