夏に弱い私は、今や、気息えんえん、といった状態である。地球は冷えるというが、私の感じでは年々暑くなっている。或いは、年とるに従い、体力消耗して、暑さがひときわこたえるせいか。こういうときに、犬養道子氏「ラインの河辺」——ドイツ便り——などを読んでごらんなさい、徹底的にぶちのめされて、二度と起てない思いがするよ。犬養氏は、声をからし言葉をつくして、日本人がいかにダメな人間であるか、日本文化がいかにまがいものであるか、を叫喚していられる。こっちはしまいにやけくそになって尻をまくって居直り、
「それほどヨーロッパがえらいのかよ! ヒットラーもドイツ人とちゃいますか!」
とふてくされたくなるような、ふしぎな本である。私は中年者が住みやすいという点でヨーロッパにあこがれてる人間ではあるが、それでもこうすさまじく日本をこきおろし、ドイツ(ヨーロッパ)をあがめられると、あさはかな大衆の一人として反撥してしまう。まあ、この本を読んでごらんなさい。よけい暑くなるから。
それはさておき、暑さしのぎに扇風機をかけたり、冷たいものを飲んだりするが、どうも、こういう小道具は、昔ながらのものがなつかしい。
たとえばコーラ。私は、これも、昔のラムネがよろしい。氷(割り氷でなく、三貫目ぐらいの大きなもの)の上にラムネの瓶を並べ、ゴロゴロ手で動かして冷やし、
「ゴロゴロラムネ! 冷《ひ》やっこい、冷やっこい!」
と上半身ハダカで、毛糸の腹巻きをしたおっさん、或いは、上半身チヂミの襦袢《じゆばん》、下は腰巻のおばはんが、塩辛声で叫んでいた、ラムネがなつかしい。ラムネの瓶は、ガラス玉が瓶の栓になっていて、ポン! とあくとシュッ! と泡が立ち、ガラス玉は瓶のまん中のくびれにおさまって、ラムネを飲みつつ、みんな哲学的な顔つきで、折々、その玉をじっとみつめる。この玉を取る法を発明したら、博士号をもらえるのんちゃうか、などと、ヒンガラ目になってじーッとながめ入ったりしてるわけだ。
あの青いガラスの瓶はたいそう分厚く、口あたりのごつい割りに、中の味は淡泊ですがすがしく、一名「胸すかし」というも|うべ《ヽヽ》なる哉《かな》、薬くさいコカ・コーラなんどとは、くらべものにならぬ。
夏の夕の風物詩として「浪曲」がある。私の子供のころ、祖父はステテコ一丁で、灯を消した奥座敷に寝そべり、団扇《うちわ》を使いつつ、ラジオの浪曲に耳をかたむけていた。
浪曲というと、私は夏にぴったりする感じである。これも今の若い人にはあんがい、うけていて、大阪のラジオ局なんか、聴取率がとても高いのである。じっときいてると実に面白い、一人で何役も語り分けたりしちゃって、それに文句がとてもいい。
「情け有馬の姫小松」
だの、
「ほろり涙のこぼれ梅」
なんて、日本語の精華みたいな言葉づかい、それに登場人物も、善玉悪玉ハッキリしてて、わかりやすくて興味しんしん。ヤングにはきっと、「声の劇画」としてうけとられているのであろう。
スダレもいい。ただし、ほんとのスダレ。青や緑のビニールスダレはこまる。昔は、八百屋など、よしずを使って日ざしを避けるチエもよかった。いまはテントだけれど、よしずをたてかける方がひんやりすずしく、テントよりも日をさえぎる効果は大であった。
また朝夕、昔の大阪の路地で打水をする。ゴムホースなぞでまいてる人はなく、ブリキのバケツにブリキの柄杓《ひしやく》で、下駄をぬらしてまく。
夕立がくると、「ああ、ええあんばいや」と打水がわりになったのを喜ぶ。大雨のあとはどの家の軒にも、キュッキュッと洗われた下駄が干され、爪革《つまかわ》も、きれいに拭われて干されてある。昔の女の手仕事はきめがこまかかった。
赤ちゃんは金太郎みたいな腹がけに、おしめカバー、体にはコテンコテンに白い天花粉をまぶされ、見るからに涼しげで、胎毒というか、|クサ《ヽヽ》を出している子供は、奇応丸なんか飲まされてる。
すこし涼風の立つ夕方は、赤ちゃんは黒衿のついた絽《ろ》の、袖なしの甚平サンを着せられたりする。
この甚平は、大人も愛用していた。このごろは、甚平の便利さに気付いたとみえて、デパートでも売り出すようになったが、男たちは下はステテコ、上はチジミの甚平など着ていたものだ。袖なしも袖ありも両方、前がはだけぬように紐で結び合せるようになっていて、見るからに涼しげで、その恰好で、カンカン帽をかぶって他出するおっさんもあった。
甚平は甚兵衛から来たのであろうか。甚兵衛というのは江戸時代のスラングでは、甚《ヽ》張りのことで、甚《ヽ》張りというのは、つまり腎張り、腎虚の反対である。腎虚というのは男性の精気が消失したことであるから、腎張りは、反対に、精気充溢していることをさす。
カモカのおっちゃんは、
「陣羽織というのはこのことから来る」
などというが、これはあやしい。私の思うに甚平は、腎張リストが、好んで愛用したからではないか。精気横溢して暑気たえがたきまま、涼しげなホームウエアを考案したのかもしれぬ。
朝顔づくり。これも夏らしくよいもの、早朝の朝顔のかずをかぞえるのは、子供の頃のたのしみの一つであった。
「いや、朝顔に限らす、昔はみな土いじりをしてたのしんだものです」
とおっちゃんはいい、居合せた老紳士、ふかくうなずき、
「さよう、年とるに従ってチチいじりが好きになります」
同じく居合せた老婦人も同意し、
「ほんまに、ツツいじりしてると元気が出て長生きできる気がしまんなあ」
「気が若うなりましてな。いや、チチいじりはやめられまへん」
「朝起きるとすぐ、ツツいじりしてますわ」
老紳士、老婦人、しごくご機嫌なのであるが、私とカモカのおっちゃんは顔見合せ、
「発音を、はっきりしてもらわんと、なあ」
と、ヘンな気になったことであった。