暑いから犯罪もうなぎのぼりにふえている。私は関西の暑気のたえがたさというものは日本一ではないかと思ったりするが、暑さでカッとなり、口論から刺殺、なんていう新聞の社会面の記事を見ると、関西在住庶民は、罪一等を減じてもらわねばいかんような気がする。
軽井沢あたりでのケンカ口論、殺人と同一にならない。
夕方の「夕凪《ゆうなぎ》」、夜の蒸し暑さ、ヌルマ湯の中にじっと浸っている如く、これはもう知らぬ人にはいってもムダ、知る人にはいうまでもない、と「オリンポスの果実」のボート漕ぎの辛さのような文句をいいたくもなるのだ。
まあ、場所によって罪の軽重を問われるとなると、これからは重罪犯人がみな夏の関西へ集まって来て、計画的にやらかしたりするから面倒であるが、殺人の動機ということになると、これもいろいろ、情状酌量の余地があるように思う。
私は、人殺しは重罪といい条、痴情のもつれ、色のもめごとのあげくのそれは、ふつうの殺人と区別すべきような気がする。
たとえば西洋でいうと、「カルメン」の恋人のドン・ホセ氏、日本でならさしずめ、阿部定女史の如き、これは、強盗殺人や営利誘拐殺人と同一次元で論じられない。それではあまりに可哀そうである。おのおのの「家庭の事情」や「一身上の都合」があり、他人がクチバシを入れられないこともあって、
「裁判長は関係おまへんやろ、こらワテとカルメンの間のことだけだす。何ぼいうてもわからしまへんやろ」
などと、ドン・ホセ氏に開き直られると、お手上げである。故にドン・ホセ氏が処刑されたのは、カルメン殺しよりも、その他に犯した数々の強盗、追剥ぎ、殺人の罪によってであったのである。
しかし、そういう痴情のもつれが他人への八つ当りとなって、花の吉原であばれまわって多数の無関係な罪なき衆を殺傷、ということになれば、これはまた別。
さらに、「どうせこの世は色と金」というように、色と物欲はからみ合いやすく、どこまでが色でどこまでが物欲と判断しにくい場合があろう。
裁判官に、そこの仕分けをじっくりさせてると、いつまでたっても事件が片付かなくなったりして、ややこしい。物欲のために共犯同士が、色で以て結束するということもあるだろうし。
私は、現行よりもっと重罪にしてもいいんじゃないかと思うのは、結婚詐欺である。
こういう詐欺は、むしろ殺人と同じであって、人間の心や期待、願望、夢を弄んだという点で、許しがたい罪である。死刑も場合によってはやむをえないところである。私は裏切り、ということは、人間の罪の中でたいへん重い方だと思うものである。
しかし、これが中には、結婚詐欺で、身ぐるみはがれていながら、尚かつ、
「あの人はとてもいい人でした」
と弁護する女もおり、かつ、
「ホカの人のはみな詐欺かもしれません。でも、私の場合はほんとなんです。彼が出所してきたら、結婚するんです」
とかたく信じこんでいる女が、たいてい数人、詐欺男のまわりにいるもので、これもむつかしく、ややこしい問題である。
詐欺男にいわせれば、「結婚の夢を売ってやり、その代金をもらったのだ」としゃあしゃあというかもしれず、私は被害女性たちから、
「よけいな口を出さんといてちょうだい!」
と叱られるかもしれない。
これも強姦と同じで、被害者が自分で被害を感じたときに犯罪が成立するのかもしれない。男と女の犯罪というのはこみ入った部分が多い。
この頃はしかし、女の犯罪人がふえたのも注目すべき事実である。
この間、新聞に外国の話だが、女強盗の話がのっていた。
独り住みの老婦人が、貴金属や家具を売って老後の生活資金にあてたいと思い、新聞に広告を出した。
女の声で電話の引き合いがあった。上品そうな感じだったので、老婦人は、自分のアドレスを教え、時間を約した。
約束の時間に女が訪れた。四人づれの女たちで、みな若く、マトモで上品な、婦人に見えたから、老婦人は喜んで部屋へ招じ入れ、売却予定の品々を見せていたところ、女客はやにわに強盗に変じ、老婦人を縛りあげて、貴金属や家財道具一切をはこび出してしまったというのである。
私は、ふしぎでならなかった。
男の強盗なら話がわかる。
何となれば、男は、せっぱつまったら強盗ぐらいしかすることがない。食べられなくなれば強盗が一ばん早道であろう。男は、色ざかりというか、まだ若くて、幸い美貌に恵まれていれば身を売ることもできようし、歌がうまいとか、何か才能があれば生きてもゆけようが、取得のない最大多数の男がせっぱつまれば強盗あるのみである。ヨワイ中年に達したうす汚ない丸腰の男がホストクラブへ入るわけにもいかないだろうではないか。強盗しても私は同情できると思う。しかし女はどうか。
女にすたりものなしというが、強盗しなくても食べていけるはずである。よくせき、こまれば、人さまのものを奪うより、自分のもってるものを売る方が早いわけで、たいがいの女、最後に考えるのはそのことだろうと思われる。それをどうして、四人もの女が強盗するのだろうか。
「それはですな、遊び半分にやっとるんですわ」
というカモカのおっちゃんの見解である。つまり彼女らは、可能性の限界をためしているのだという。私はそういう犯罪は許せない、ぎりぎりせっぱつまったあげくの犯行というのならともかく、遊び半分の女強盗はいけない、余裕のある犯罪など、重罪に処すべきである!
「まあまあ、そう赤眼吊っていいなさんな」
とカモカのおっちゃんは私をなだめ、
「ほんまいうと世の亭主という亭主、みな女房の遊び半分の態度に腹を据えかねとるのです。何ですか、あのときの態度。横目でハナウタうとうてテレビ見て。強盗どころが何やといいたい」