この頃ウチの家政婦サンはお休みである。娘さんの出産とかで二週間休んでいる。当節は家政婦の代りもなく、誰も|来て《ヽヽ》がない。子供は夏休みで三度三度、ガン首そろえるから食事の支度をせねばならぬ。亭主は暑気あたりと称して、何かと用をいいつけ、手をとる。まあ、年が年でございますから、あっちの用はもはやご用ずみで、おしとねすべりというところであるが、暑いから煽《あお》げの、肩を叩けの、水をくんでこいの、首を揉めのと、うるさくてしかたない。背中を叩きながら、私はアカンベーをしてやるのだ。イヒヒヒ。
私には毎日原稿をとりにくる所があり、毎週、原稿を送るべき所があり、毎月、送るべき所もあるのだ。これでは、舞いが舞わない。いかがすべき。私はつくづく考え、カモカのおっちゃんに聞いてみた。
「二号はんはどうかしら、ウチの亭主にもたせて、少なくとも、亭主の用だけでも弁じさせれば、こっちは手がすくけどね」
「さァ、たいていのとこ、もう、めんどくさいのちゃいまッか」
と、おっちゃんはいう。いまやもう、大方の男性、二号三号なんぞ、考えるだけでも「しんどい」「じゃまくさい」という。女をまとめて二、三人面倒みようなんていう器量がなくなってしまったのか。
それで、一夫一婦制というものについて私は考えたのである。
この制度はめんどくさがりの人間のためのものではないか。
女性を法的に守るため、はたまた人倫の大道、なんどという正門の方のお堅い論理はさておき、どうも裏門あたりの実情を探ると、イロイロとりかえるのは腰重いという、体力気力(経済力も)ともにシケた人間のためにあるのではないかと、愚考するものだ。
「いや、一夫一婦は人間の本能ですぞ」
などと、カモカのおっちゃんはごまかしているが、どうだか。女たちのワイワイガヤガヤ、一号二号三号が反目嫉視、ツノつきあいする煩雑さに堪えるだけの太っぱらな男は、現代にはいなくなってしまった、ということだろう。一人でももてあましてるのに。
私などのように仕事をもっている女からみると、二号三号といてくれると、業務分担してもらえて、実に楽である。子供好きな二号はんは託児所、保育園の園長ともいうべく、いろけ専門の三号はんは旦那の世話にかかりきり、洗濯、掃除の好きな四号はん、縫物は何でもこなすという五号はん、而して一号はんは、総務部長兼経理部長というべく、では私はどこへいくかというと、そのどれにもあてはまらない、しかたないから零号になる。零号は、経済的におせわにならない代りあちこちの零号を兼ねたりして、これはバラエティがあってたのしいことであろう。しかし考えてみると、カモカのおっちゃんではないが、私も面倒である、しんどい。やはり一夫一婦は、そういうイザコザに面倒になった人が、考え出したことにちがいない。
私はかねて疑問に思うのであるが、二号という言葉は、どのころから出てきたのであろう。昔は、権妻《ごんさい》という言葉があった。
これは明治大官ふうで、たいてい国許に本妻がいて、新都の東京に、権妻を置いたりしている。
もっと昔は、やはり、妾であろう。大阪では、めかけとよばず、「てかけ」などとよぶ。手を掛けるから、めかけがてかけになったのであろうか。私の曾祖母など、「ドコソコのてかけはん」とよんでいた。それを聞くたびに子供の私は、何か、手長ザルのような連想をもった。そうして、「孫の手」のような手で、人の肩に手をかけている恰好を想像した。
てかけは古い言葉で、西鶴の「好色一代男」にもあるのである。カモカのおっちゃんは、
「てかけがあって足かけがないのはけったいな話ですな。語義からいうと、足かけがまっとうな気がしますが」
「うるさい!」
妾は、武家方では「ご愛妾」などと使ったりしていて、お部屋さま、などという言葉も小説に出てくるが、これに洋の字をつけて洋妾、となると、らしゃめんと読む。異人あいての妾で、明治開化期の弁玉という歌人の歌には、「羅紗綿」などと書いてある。しかし第二次大戦後には、ラシャメンがたくさん出たのに、これはなぜか「パンパン」とよんだ。
二号はんにも、素人の二号はんと、玄人の二号はんがあるが、玄人の二号はんの話というのはじつに、あっけらかんとして面白いのである。
本宅は本宅、二号宅は二号宅とちゃんと分けていて、そこの所を混乱したりしない。あわよくば、ということは考えてない。
彼女らは子供を生んでも、聞いていると、まるで自分一人で生んだみたいに思っているのでおかしい。
二号はんの子はみな、自分とこはふつうでヨソがおかしい、と思っているそうである。
「ヨソはいつも、お父さん帰ったはる。だいぶナマケモノのお父さんやねんな」
と子供心に思ったりしているという。その二号はんは、ウチのお父さん忙しよって、いつも会社に泊って仕事してはるさかい、家へ帰るひまあらへんねん、と教えているそう。
また、ある子は、同じ二号はん同士の家のさまをつらつら見ていうよう、
「あそこはどうもおかしい。二号はんちゃうか。外国ゆきの船に乗ったはる、いうけど、見たことあらへんもん。それに、男の人の着物もあらへんし」
などという。それを聞いた二号はん、あわてて古着屋で男のもん買《こ》うてきました、といっていた。
また、ある二号はんの所では、子供が、
「お母ちゃん、もしかしたら、だまされてんのんちゃうか、二号はんとちゃうか」
と真剣に心配したそう。しかし、よくしたもので、そういう色まちの子供はいつとなく感得し、
「お母ちゃん二号はんやってんてなあ、テレビで見たら二号はんいうたら綺麗な人やのに、お母ちゃんみたいなぶさいくなんもおるのんか」
とふしぎがったそう。それにしても、二号といって次号といわぬのはなぜであろう? カモカのおっちゃんにいわせると、
「次号完結、というふうに、どうも次号やと、打ちどまり、という気がするからですなあ。二号やと、三号四号もてそうな期待がうまれます」