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女の長風呂97

时间: 2020-06-25    进入日语论坛
核心提示:女のふんどし人により、好きな言葉、きらいな言葉があるのは仕方ない。好ききらい、というのはどうしようもないもので、べつに食
(单词翻译:双击或拖选)
女のふんどし

人により、好きな言葉、きらいな言葉があるのは仕方ない。
好ききらい、というのはどうしようもないもので、べつに食べもの、衣服、人間など、だけに限らない、言葉もそうである。
ただその場合、×××といった、ワイセツ語をきらい、というのは、これは、社会通念でのタブーからであって、個人の嗜好とはべつのものである。
好ききらいの言葉というのは、他人は平気で使っているのに、当人は口にするのもいや、読むのもきらい、まして、自分からは死んでも使わぬ、というのだからおかしい。
私の女性の友人は「もだえる」が大きらいだという。ベッドシーンで「もだえる」が出たりすると、もう小説は読まず、はたりと閉じる。
反対に、小説の中で「股間」という言葉の出てくるのが大好きな男もいる。「股間」という字がチラと見えただけで、あわててその一篇をゆっくり、衿を正して読むんだそう。
「失神」という言葉のきらいな男がいる。なんでや、というと「ウソやからや」という。「今まで失神した女、見たことない」というが、失神させたことのない男に、罪があるのかもしれぬ。それを無意識に自分でも知っていて、自責の念、屈辱感、劣等感に苛《さいな》まれるあまり、「失神」という語がキライになったんだろう。となると、これはもはや、心理学的領域である。
「まさぐる」という語が大ッきらいな、ハイ・ミスあり。
「およそ不潔、いやらしい。字ィ見ただけでアレルギーおこすねん」
と彼女は柳眉をさかだてて力《りき》みかえっているが、「まさぐる」なんていったって、まさぐる場所によると思うよ。
かりにこんな小説の一部分があるとする。
「彼はふところをまさぐって財布をとり出し、手の切れそうな一万円札を数枚抜き出すと、好色な微笑を浮べて『おせいさんこれでどうだね』といった」
どこがいやらしい。読者はたぶん、この一部分に於ては、好色な微笑を浮べた男に、「これでどうだね」と迫られる美女「おせいさん」の運命やいかにと気づかい、はた、札束でほっぺたひっぱたいてモノにせんとする男の方に、淫らな想像を強いられるであろう。この際、誰も「まさぐる」をヘンに思う人はない。
すべて、おのが想像、はたまた妄想のなせるわざにより、それぞれ、ヘンでもない言葉をヘンだと思うのだからおかしい。しかしまあ、そこが好き好きというものだ。
佐藤愛子チャンのも、おかしい。彼女は「めくるめく」という言葉が出ると烈火のごとく怒るよ。
愛子チャンの耳もとで、「めくるめく恍惚境」とか「めくるめく快楽のしびれ」などという一節を読んできかすと、彼女は怒って首をしめかねない。
「そういう、いやらしい、下劣な言葉は抹殺すべきである! 大ッきらい!」
と叫ぶ。
それは「めくるめく」境地を、彼女が経験した、経験しないに関係ないと思う。「めくるめく」がきらいだというと、男はすぐ「不感症」に結びつけたがるが、感じたからって、すぐ「めくるめく」に結ぶ方がおかしい。こういう言葉は、内容空疎にして外見華麗というロココ言葉ともいうべく、それが、ことさら仰々しく氾濫しているのに抵抗・羞恥をおぼえるからであろう。——と、私は思う。
なにせ、くわしく愛子チャンにそのいわれを聞こうったって、彼女はその言葉が出ると怒りたけってるばかりだからね。佐藤紅緑の少女小説(少年小説だけでなく、少女小説も彼は書いた)に出てくるヒロインの、真ッ向唐竹《からたけ》割り、という性格に、そのへんはソックリである。
「では、おせいさんはどんな言葉がきらいですか」
とカモカのおっちゃん。——そうですね、私はべつにきらいな言葉とてないが、一つ、こまるのがある。
私は遅筆である。で以て、編集者諸氏、東の横綱は野坂昭如センセイ、西は田辺、ということに定評があるらしい。しかしこの、女の横綱というのが、とてもいやではずかしいの。編集者氏はよけい、ニヤニヤして、
「いや、しかしホカの先生方はみな早いですぞ。ことに神戸在住の作家先生方、陳先生、筒井先生みな早々と届きます。やはりここは観念して頂いて、田辺サンに、綱を締めて頂きましょう」
という。顔容おだやかであるが、その実をいうと、恫喝である。遅筆の横綱なんて名誉にならない。野坂サンはいい、男性だから綱をしめたっていいでしょ、私はこまるのだ。
「何で横綱は女やったら、あきまへんか」
とカモカのおっちゃんはふしんそうにいう。
「だって、横綱ってハダカの上にしめてるでしょ。横綱を服の上にしめる人はありませんよ。女の横綱というと、ハダカを想像してはずかしい」
「なーんや、そのことか、僕はまた、横綱の下のマワシ、フンドシのことをいうのかと思《おも》た。そういえば、大阪弁のシャレで、女のふんどし、というのがありますが、知っていますか?」
「知らん」
と淑女の体面上、いわざるを得ない。
「くいこむ一方、というのです。たとえばどういうときに使うかというと、商売なんかで、一向に儲からん、これはなんぼやったってもち出し、赤字、こういうとき『こらあかん、何ぼやったかて、女のふんどしや、ちょっとやり方、変えなあかん』と経営方針を検討する、そんなときに使う」
「フン」
「たとえば、『もうここらでオロしてもらいますわ、なんぼしても、女のふんどしや』とか」
「フン」
「たとえば……」
「もう、ええわ!」
ともかく、私は、横綱、綱をしめる、そういう言葉を、私が女性のはしくれである限りやめて頂きたい。遅筆の双璧《そうへき》とか、遅筆の両雄(これもおかしいか、私は雌である)はどうか。
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