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女の長風呂98

时间: 2020-06-25    进入日语论坛
核心提示:ソ コ ハ 力私が小説を書くと、たいがい雑誌の目次では、ユーモア小説の中へ組み入れられている。もちろん、それは私にとって栄
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ソ コ ハ 力

私が小説を書くと、たいがい雑誌の目次では、ユーモア小説の中へ組み入れられている。もちろん、それは私にとって栄誉である。
しかし、ほんとをいうと、私のねらいは、ユーモア、というようにリッパで格調たかいものではない。私は、もっと低い次元で、それだけになおさらふんだんに人生にばらまかれ、金粉のごとく浮游している「ソコハカとなき」おかしみみたいなものを捉えたいのである。
ユーモア、などというと、外国崇拝狂がすぐ、「日本にはホンモノのユーモアなどあるはずない」と断定するが、そんな物々しいユーモアなど、この人生に要るもんか。
私がおかしいなと思う、「ソコハカとなき」おかしみとは、たとえば、こんなものである。
この前、ある新聞の身上相談を読んでいたら、「私は長年、夫の横暴、無理解、冷酷に、じっと堪え忍んできました。もうがまんできません。別れたいと思いますが……」という投書があって、末尾を見ると、
「七十三歳。主婦」
本人はマジメなのだから、笑ってはいけないけど、何だか、うれしくなっちゃう。
この前、吉永小百合さんと岡田太郎さんが結婚したが、花婿花嫁の三々九度の盃に酒をついだのが、畠山みどりさんだったと聞いて、これも何だか、おかしい。私はマスコミ関係者にたしかめた。
「畠山みどりさんは、ハカマはいてましたか?」
「知りまへん。マスコミはそこまで入れてもらわれへんかったんやから」
この前、私は電車へ乗ったら向いに席をしめた爺さん、カバンの中からやおら輪につないだロープをとり出し、馴れた手つきで、カバンの把手にくくりつけ、何をするのかと見ているとその端をわが手首にひっかけて、悠然と新聞を読みはじめた。なるほど、これなら、置き忘れることはない。そういう光景を見るとき、私はとても上機嫌になってる自分を発見する。
また、この前、ある銀行員が、スケールの大きい不正をやらかして、連日、その銀行員の写真が新聞に載ったことがあった。それがいつもニコニコした写真である。銀行当局は心を痛めた。悪事を働き世間を騒がし、当銀行の信用を失墜させた本人にニコニコ笑っていられたんでは、銀行としてはなお肩身のせまい思いである。銀行当局は必死に、彼のマジメな顔の写真をさがしたが、どこにもない。というのも日頃から、「お客さまにはいつもニコニコ」をモットーに、行員にいいきかせていたからである——これも愉快で、朝日の「青鉛筆」にのってた話。
サトウハチロー氏は妹さんの佐藤愛子サンによると、機嫌のわるいときはそのへんにいられないくらい、ブツブツ文句をいい、外出の間際までいいつづけ、そのくせ、長年の習慣とて、玄関の戸をあけるときは、
「イッテキマス」
というそう、そこがおかしい。
男はみな、そうなのか、ウチの亭主も何かで文句をいっていて、食事どきになっても箸をとってまだいいつづけ、|あほ《ヽヽ》の、|ばか《ヽヽ》の、と私をこきおろし、
「以後気ィつけ、この、鼻べちゃの平あたま——イタダキマス」
と茶碗をとりあげたりしている。
また、先日、サンケイが出してる「くらしの百科」というパンフレットを見てたら、青島幸男サンという人と、井上勝仁サンという人が座談会をして「女性と社会意識」ということを論じていた。井上サンはどうやら男性優位論者らしく、女性は政治に直接参加しなくてもよい、「結婚した以上、旦那がベストな状態で仕事ができるようにするのが女性の役目であり、旦那を通してのみ世の中に参加しますという考えでいいと思う」(本文のママ)といい、「昔、神が造りたもうた人間本来の姿に戻す方法、つまり、男と女の相違を明確にし、日本古来の男女関係の原点にかえす方法」で世の中を是正すべきだという意見である。青島サンは「男も女も平等にあるべきだと思うから男が軟弱になってもいいし、女が強くなってもかまわない」と、応戦これつとめているが、井上サンは頑として「妻は自我なんて持たないようにするのが、家庭円満の方法ですよ」と固執していられる。
写真を見ると井上サンという人はたいへん若い。それはいい、若くても中年でも、こういう考えの人は多く、こういう考えの男性には、こういう考えの女性がついて、天の配剤というのはまことによろしきを得ている。しかし、井上サンという人の肩書きを見れは、「経営コンサルタント」とあった。そういうところが、私にはとてもたのしく、愉快に思えるのだが、ほかの人はどうであろうか。
もし彼の肩書に、「土建屋、作家、坊さん、自衛隊幕僚、大学教授、農家、自民党代議士、野球選手」なんてあったりすれば、べつにおかしくもおもしろくもないのだが、こういう発言・思想のもち主が、時代の先端的な「経営コンサルタント」でめしを食っているという所、「ソコハカとなき」おかしみ、というのはこういうときに使う。
私はこのところ、病院がよいである。膀胱炎が癒らなくて通院治療中である。この|て《ヽ》の病気は、行くとすぐ尿検査をされる。検査用のトイレは、奥に窓口があって、紙コップが備えつけてあり、患者は紙コップに尿をとって検査用紙に添えて、窓口へ提出する仕組みである。
その紙コップは、医学用のそれだから、型は、市販のピクニックなんかにもってゆくのと同じだが、花模様なんかついてなくて、50CC、100CC、なんて目盛りがついてあったり、日付、名前、科名を書き入れるようになっている、白い紙コップである。
しかし、普通のコップ型であるから、男性はよいが、女性には、やや不適当で、なぜ女性用のは広口にしないのであろうか。
私のことは措《お》くとして、この間、窓口の看護婦さんに、お婆さんの患者が叱られていた。こんな少量では検査ができない、というのである。婆さんは恐縮し、
「何や具合《ぐつ》わるうて巧いこといかしまへん」
というが、これを文語文に翻訳すると「どこへあてがっていいのか、我ながら照準が合わなくて困ります」という所。
人生は「ソコハカ」となくおかしくいいものである。そして私はこんなのを見つけるのが大好きである。
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