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女の長風呂100

时间: 2020-06-25    进入日语论坛
核心提示:長寿のヒケツこの間、私は奄美《あまみ》大島の南端の小部落へいって、二、三日、すごしてきた。古仁屋《こにや》という町がある
(单词翻译:双击或拖选)
長寿のヒケツ

この間、私は奄美《あまみ》大島の南端の小部落へいって、二、三日、すごしてきた。
古仁屋《こにや》という町があるが、そこより更に南へ下った、戸数九十戸ばかりの小さな村で、その先はもう太平洋、バスも、そこが終点だ。
亭主のお袋がそこの出身で、叔母が今もひとりそこに住み、ことしは老人会入りをしたので敬老の日に、みんなのお祝いがあるから、ぜひ来いという。私はその村が好きなので、旧盆の八月踊りも見たいと思っていった。
折あしく雨が降って八月踊りはみられなかったが、島歌はふんだんに聞けた。
かつ、この村の老人たちがすてきである。
この村は、すごい長寿村なんだ。
七十、八十がザラにいる。あんまり老人会員が多いので(老人会は七十歳以上、入会資格がある)来年からは七十三歳以上にひきあげようかと村の幹部はいっていた。九十婆さんも、カクシャクなんてもんでなく、島歌が出ると、ひとりで立ち上って踊り出す。爺さんの一人は、「この頃、体が弱って働けん」と亭主に訴え、「年なんぼや」ときくと、「八十一」という。心臓の持病があって、畠仕事が思うに任せぬ、手術はできんもんだろうか、と相談し、亭主が「そんな怖いこと、もうやめなはれ」と答えると、爺さんいたく不満のていであった。
とにかく、そういうハツラツたる老人が、七、八十人、敬老の日に、村の広場正面の天幕の下で、ずらりと居並ぶさまは壮観とも何ともいいようがない。ここの村人は礼儀正しいので、いずれもさっぱりとヨソユキの夏の着物に身を包み、威儀を正していると、その威容に打たれ、自然に頭の下る思いである。
村の壮・青年はその前に全員集合、起立して、代表者の読みあげるお祝いの言葉と共に、老人たちの長寿を祝い、敬意を表するが、祝う側の方が、老人たちより数が少ないのである。青壮年の男は出稼ぎに出ているとしても、完全に、比率は逆転して、老人の方が多い。
島の自然は美しいが、労力のわりに、農産物の収穫は少なく、芋、バナナ、パパイヤ、豆(落花生)などで、今年は日照りが強くて野菜は何もできなかったといっていた。魚だけは新鮮で汚染されていないが、それとて、昔からみると漁獲高は減っているそうである。
九月半ばというのに、晴れると蒸し暑く、湿気が多く、海と空の烈しい美しさに比例して、気候も烈しい。
強い日ざしは、島の人々の肌を灼き、贅肉を奪う。温暖清爽、四季おりおりに快い阪神間から見ると、地の果てのように悽愴《せいそう》な気候である。暑い日中は、私なんかボーッとする。
ところが、そんな地にいる人が、長寿で、しかもボケてる人なんかないのだ。
そこが面白い。
食べもののせいもあるかもしれないが、この村の老人たちの社交生活は、私から見ると、じつに充実している、そのせいではないか。
老人だからといって、家にひきこもったり遠慮したりしていない。
八十一でも手術してみようかというファイトのある老人がいるくらいだ、腰の曲った人でも暗くなるまで野良で働き、暮れれば、どこかの家に集まって、話し、飲み、唄い、時によると蛇皮線の弾きがたりをきそう。
老人の数が多い上に、古来からの美風である敬老精神が村には厚いので、老人は、青壮年、子供と対等に交わる。
一村あげて、引きずり引っぱって一族みたいなもので、誰の子がどこへいって、その子がいまいくつで、その妹の嫁にいった先のおっ母さんの叔父さんは、どこそこの誰の連れ合いで、ということが、みんなに知れわたっている。
青年壮年も、大きな顔ができない。みな名前を呼びすてにされ、手当りしだいにこき使われる。赤ん坊の時からの習わしだから仕方ない。
これでは老人がボケるはずがない。
老人は忙しいのである。
朝な、夕な、どこかの家で会合があり、その会合というのは、「茶ッくゎ」を飲んで、ガシャ豆、ラッキョウ、豚みそなどをお茶菓子に、昔話、いまの話、町長選挙、村人の冠婚葬祭のニュースを交換し合うことだが、これがなかなかいそがしい。
一回でもぬけると、大事な話を聞きおとすかもしれない。
あるいは珍しい客(私のような遠来の、しかも典型的内地オカメ型の顔をもった)を見逃してしまうかもしれない。
この村の女性たちは、日にこそ灼けているが、美人ぞろいで、私みたいなオタフクはじつに珍しい。見逃しては終生の痛恨事である。
更に、その珍客は、テープレコーダーなど持参して、珍しい島歌をおさめようとしている。
隣りのケサ松婆さんは吹きこんだそうな。ワシの蛇皮線も、やわか劣るべき。ぜひ聞かさにゃ、というわけで、いろいろいそがしい。
ゆうべは客人は、吉熊大人《きちくまふつしゆ》の家でごちそうになったそうな。今夜はぜひ、ウチで宴会をしてもてなし、
「今日の誇らしゃ いつもよりまさり
いつもこのごとく あらしたぼれ」
と、四方にひびけと歌い上げて、客人がこれ、ここにいるぞと自慢せにゃならぬ。
老人はじつにいそがしい。
若い者が、棒踊りをし、相撲をとる、その敬老会の行事について、いちいち、批評もせねばならぬ。指笛、法螺《ほら》貝、太鼓、蛇皮線、それぞれ、昔のわが腕の自慢もしなければいけない。
ボヤボヤしてるひまなんか、ない。
更に、私が、長寿でボケない秘訣をさぐるに、この村の気風は、ピューリタンのごとく清潔で生まじめで、決して、性的に放縦ではない。
私は、内地の村のヨバイについてさまざま研究する所があったが、この島の小村は、そういうことは甚だ忌む風習がある。
それでいて、夫婦仲よく、おだやかに偕老同穴《かいろうどうけつ》、これが、長寿でボケない最大の原因かもしれぬ。
さなきだに、壮年でさえそうであるものを、爺さん婆さんとなるといっそうスガスガしく君子の交わりとなり、見ていて小学校へ入学したての男の子と女の子のごとく、仲良くむつまじく、「長風呂」なんぞ読もうかという年寄りはまちがっても、いないのである。そうして、「長風呂」の材料もがなと色ばなしに水を向ける私の努力は空しかったのである。
どうも私は長寿には見放されそうである。
いや、私だけでない。一億総ポルノ狂いとなった現代日本人はみな、長寿から見放されたといってもよかろう。
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