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花の百名山04

时间: 2020-06-26    进入日语论坛
核心提示:三頭山  ハシリドコロ(ナス科) |三頭《みとう》山は、秋川の谷を隔てて、御前山と対する一五二八メートル。このあたりで一
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三頭山  ハシリドコロ(ナス科)  
 
 |三頭《みとう》山は、秋川の谷を隔てて、御前山と対する一五二八メートル。このあたりで一番高い山である。
秋川の谷を時坂や小岩から登って辿りつく浅間尾根は、南秋川と北秋川をわける脊梁の道で、いかにも山里のひとびとが、かつては谷筋よりもこの尾根道を使ったであろうと思わせるように平らだが、風張峠に向かって、右に月夜見山から御前山、大岳の雄大な稜線が連なり、左に笹尾根の小起伏を延々とくりかえす長い稜線をしたがえてそびえる三頭山が迫っている眺めは、奥秋川の動く展望台ともよびたいようにすばらしい。
浅間尾根を|数馬《かずま》に下りたとき、今度は三頭山にと思って数年たつうちに、奥多摩道路が開通した。
私は、その年の春、この数年つづけているいずみ学級の若いひとたちとの山歩きに、三頭山をえらんだ。
鞘口峠に近いところで車を下りれば、御前山よりずっと短い歩きで、三頭山の頂きに辿りつける。
いずみ学級とは、中野区の特殊学級を卒業して、高等学校がまだつくられていないために進学できない青年たちに、月に二回だけ集まってもらって、独自の学習をつづけさせているところである。
中には、動作が不活溌というひともある。
ある年の暮れ、私は一つの特殊学級を訪れて、その真摯な勉学態度に胸を打たれた。しかし普通学級の生徒たちよりも、親に連れられてハイキングなどにゆく機会が少いと言われ、自分たちの山の仲間でどこかへ連れてゆくことができればと思った。
第一回は箱根外輪山の長尾峠から湖尻峠まで。急坂はロープを用意した。
二回目は多摩川をはさんだ高水山と日の出山にわかれて全員参加。三回目は丹沢の西の大野山とみかん狩り、つづいて今回の三頭山になったのだが、会を重ねるにしたがって、前には途中でやめたものが、あるいはバスで待っていたものが、積極的に歩くようになった。
三頭山は、鞘口峠からぐんぐん高度をあげてゆく急な登りである。
二十人足らずの学級生に、私の山の仲間も同じほどの数で、一人は一人を連れてという建て前なのだが、この日の三頭山の急な登りに私のからだは調子が悪く、麓は桜の花盛りなのに、山腹はまだ早春で、芽ぶきも固いブナの大樹の根に、つかまりつかまり這い上っていった。
木々の根元にはホトトギスやチゴユリがようやく芽を出したばかり、御前山にいっぱいあったカタクリも、去年の落葉の散り敷く林間の斜面には見当らない。
もう一月ずらした方がよかったかと息をはずませはずませ登ってゆくと、上の方から大丈夫ですかと、若々しい青年たちの声。私よりずっと先に頂上について、早やもどってくるいずみ学級生なのであった。
自分が案内役なのに、なんてみっともないと恥じ入りながら、それでも私には、このひとたちを大過なく親許におくりとどけなければならぬという思いだけは鋭く働いた。そして一番早い彼らに、鞘口峠で待っているようにと伝え、峠から登り口までの檜林の中に、ハシリドコロがきれいな赤紫の花を咲かしているから気をつけて、毒があるから口に入れてはいけない、あの葉をとっておひたしにして食べてあやうく命を落しそうになったキャンパーもいると注意した。
わかったわかったとうなずいて、青年たちはどんどん下っていったが、ふと、その後姿を見ながら心配になった。もしもあれほど禁止されても、きれいな花だからと摘んだらどうしよう。
ハシリドコロはカタクリと同じように、二、三カ月たつと葉が枯れるけれど、その葉も花もさかんな時はよく目につく。根は|莨《ロート》根とよばれて眼薬にもなり、鎮痛剤にもなるけれど、その生の葉も汁も危険である。
私は三頭山の三つの頂上の、一つだけに足を入れると、すぐに走り下りた。下りはいつも早くて、青年たちも追い越し、ハシリドコロの群生するところまで、だれよりも早く走り下りることができた。ハシリドコロの群れの姿は、行きと変らなかった。
だれも毒ある花に手をふれないでよかった。ほっとしたが、つい一月前のことである。第五回目のハイキングに清澄山をえらび、帰りにはフラワーガーデンを訪れ、料金を前払いして、折から咲きさかる朱や赤のポピーを、二十本ずつとっておみやげにするようにと言った。帰りの時間を急いで、私たちの山仲間はせっせときまりの数通りのポピーを、蕾をえらんで摘んだが、いずみ学級生二十五人は、花の中に立ったままでいる。一本もとっていないひとが多く、とっても咲きしぼんだものや、種子だけになったのを四、五本である。何故とらないの。早く早く。せきたてる私に、その一人が言った。可哀相でとれないよ。そしてみんながうなずいて、せっかく一生懸命に咲いているのに、とっては可哀相と口々に言うのであった。
このやさしさ。何を標準に知恵おくれなどというのか。私は衝撃を受け、できれば二、三本も余計になどと思っていた|貪婪《どんらん》な自分が恥ずかしくなった。三頭山のハシリドコロは注意しなくても、だれ一人とらなかったのにちがいなかった。
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