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花の百名山07

时间: 2020-06-26    进入日语论坛
核心提示:高鈴山  センブリ(リンドウ科) 阿武隈山系の南を占める花園山には是非一度、花をたずねてゆきたいと思っていた。いつか加波
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高鈴山  センブリ(リンドウ科)  
 
 阿武隈山系の南を占める花園山には是非一度、花をたずねてゆきたいと思っていた。いつか加波山麓の中学校にいったとき、一緒に加波山へ登ってくれた茨城大出身の若い先生から、山の花を見るなら花園山と教えられたのである。
三月のはじめで、関東も一番北の山では雪は融けてもまだ、何も芽を出していないだろうと現地からのたよりをもらった時、ではそれより少しでも南の山はどうかと思った。
日立市の西に六二四メートルの低さだが、一等三角点のある|高鈴《たかすず》山がある。
朝早く東京を出て、早春の|常陸《ひたち》の山の息吹きにふれて見たい。
常陸は古代の日本にあって、東北地方との接点として早くから開け、徳川時代には御三家の一つとして、幕末まで重い地位を占めていたが、それ以前には甲斐源氏の嫡流である佐竹氏が代々勢力を張り、鎌倉時代から南北朝対立の時代を経て、豊臣秀吉の頃には五十四万石を領していたところである。
領内の八溝山系には、金を出す山が幾つかあったので、富の蓄積も多く、関ヶ原の戦いのあとで、秋田に移封されるまで、戦国大名として大きな存在を誇っていた。
その日、いつもの山仲間たちと駅前からバスに乗って、修験道の山、神峯山との鞍部の向陽台で下車。標高四百メートル。一時間半ほどで頂上についた。
尾根伝いの道は、だらだら登りがつづくと平らなまき道になり、まただらだら登りとなることをくりかえして、至って快適である。
左手に日立市を見下し、かつての日立鉱山に威力を発揮した大煙突が、丘陵の中にそびえたって、近代工業社会に於ける日立市の位置を示している。
山道の両側には見事な大木となったヤシャブシや桜が多いが、大正のはじめ、煙害で、山々の緑が失われたとき、煙に強い木として植えられたものであるという。桜は三原山の噴煙にも負けずに、美しい花を咲かせる大島桜である。
右手には早春の山村が、ゆるやかな大地のうねりを見せてつづき、海に波のうねりがあるように、大地にも大きな波状のうねりがあることを知った。眼路のはるかを八溝山系の山々が連なりわたって、その南のはじに筑波山や加波山がある。
これらの準平原的な広濶な眺めは、かつて関東平野が海に|被《かぶ》されていた時代から隆起し、又上昇して、谷々をきざんでいるのだが、アセビが密生している林の中の道は、ギラギラ光る緑いろの絹雲母片岩や、灰いろの石灰岩、白々と光る方解石などの|礫《こいし》があって、常陸の山々の地質を語っているようである。石灰岩の礫が一番多く、秩父市と同じように、日立市もまたセメントの産地であることがわかる。
ふと、アセビの林で、いつか歩いた四国の天狗森を思い出した。やはり準平原の石灰岩地帯で、石灰岩や粘板岩の礫が多かった。アセビは地味のやせた山に多いという。天狗森も耕作には不向きだそうだけれど、常陸の準平野ではコンニャクが栽培されている。山の花が多いということは、むしろ山自体の生産性が低いということであろうか。四国にあった蛇紋岩や千枚岩は、こちらの山地にもあり、天狗森も花が多かったが、この山も春はショウジョウバカマ、カタクリ、イワウチワ、夏はフシグロセンノウ、ソバナ、リンドウ、マツムシソウ、キキョウ、オミナエシ、ナデシコなどが、林間から草原をいろどるという。
海防城として異国来攻に備えて、徳川|斉昭《なりあき》が築いた助川の城あとにむかって、まるで庭園のように形のよい松や杉が、アセビにまじって生い茂る道のかたわらに、苦いが腹痛に利くセンブリの芽生えを見た。センブリとは千回振り出してもなお苦いからということだけれど、花の姿はどこにそんな苦味を秘めるかと思うばかりに楚々として初々しい。リンドウと同じで、日射しが曇れば花びらをとざす。天狗森の下山路の樹林と全く似ていて、四国でも初秋の日射しに、センブリの薄紫の花が美しかった。すぐ眼の前に太平洋が広がっているのも同じ風景である。
天狗森の麓には、維新にさいして勤皇の兵をあげた吉村寅太郎が生まれたが、常陸の山地には尊王攘夷派の天狗党の乱が勃発した。四国の西の山村と関東の常陸とにどういう関係があるか知らないが、植物と地形や地質が似かよっていることは、たしかである。
天狗党に馳せ参じたものの中には、農民も数多かったという。西軍側の佐竹氏が秋田に移されて、家康の子供の徳川頼房が領主となった慶長十四年、この準平原の中の一つの村、生瀬で、千人の村民が皆殺しになるという悲惨な事件が起っている。年貢を取りに来た役人をあやまって殺してしまったための刑罰であった。全国に類のない惨酷な処罰は、徳川幕府の衰退に乗じて、天狗党の乱を起させた遠い一因になっているのではないだろうか。村々から起ち上った壮年の男たちが、反幕府・勤皇の心に燃え、筑波山を集合地として馳せ参じたのである。
かつて高鈴山の東の麓は太平洋の波に洗われた時代もあったという。天地自然の推移のあとをたしかめる以上に、権力側と民衆とのたたかいのあとを一望の山野にしのんで、高鈴山は是非又歩きたい山であった。
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