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花の百名山12

时间: 2020-06-26    进入日语论坛
核心提示:雲取山  フシグロセンノウ(ナデシコ科) 好きな花をたった一つえらびなさいと言われれば、私はナデシコをあげる。ナデシコ科
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雲取山  フシグロセンノウ(ナデシコ科)  
 
 好きな花をたった一つえらびなさいと言われれば、私はナデシコをあげる。
ナデシコ科の花の中でもフシグロセンノウが好きである。冴えた朱いろの花弁の厚味をおびているゆたかさ。対生した葉の花の重さを支えてたくましい形。それでいて一つも野卑ではない。カワラナデシコのように群がらず、日光の直射を避けた日かげの林間の下草の中に、点々としてひとりあざやかに咲き誇る。
雲取山に登ったのはつい最近の五月のはじめである。東京都で一番高いという、この二〇一八メートルの山は東京都、埼玉県、山梨県の分岐点になっていて、その南面の谷々から流れ出る水は、東京都の水道となる多摩川に注がれている。
雲取にどんな花が咲くのか見にいかなければ。思いたって日頃の仲間と連れだち、晩春の一日、秩父鉄道の三峰口から入った。
そもそも三峰とは雲取、白岩、妙法の三つの峰の総称であるとは当日、妙法山につくられた三峰神社の奥社に詣って知ったという|迂濶《うかつ》さであった。
日本武尊東征の折にイザナギ、イザナミをまつったとされるのは、秩父に古くから住んでいたひとびとを、大和朝廷側が制圧したしるしなのであろうか。遠い昔はともあれ、子供の頃、家の台所に口が耳まで裂けたおそろしげな狼を描いた札が貼られていた。その上に三峰山と刷られていたのは、狼を三峰の神のお使いとでもしたのだろうか。お札をくばるのは、三峰の山伏であったというから、雲取は白岩と並んで、山伏修験者が修行のために白衣で歩きまわった山でもあったのだ。杉や檜の大樹の茂りあう道を、地蔵峠から霧藻ヶ峰にむかいながら、そんな歴史にようやく気付いたのも、東京都民のふるさとのような山に対して申しわけないと思ったりした。
亡くなられた秩父宮は、スキーや登山がお好きだったそうで、霧藻ヶ峰もその命名である。道のほとりに記念のレリーフがあった。いつも霧がただよっているということであろうか。
太陽寺の坊さんとお清という娘の悲恋の話を残すお清平をすぎて前白岩にとりつく。ミネザクラが咲き、ムシカリがいささかの白い花を残し、シナノキ、ブナの木の緑が美しい。下草にはハルリンドウ、ユキザサ、ツバメオモト、ミヤマカタバミなど。ウメウツギの白くかわいい花も盛りである。ヒカゲツツジのクリームの花もつつましい。
前白岩を下って奥白岩に。秩父古生層による三峰の山々は|粘板岩《ねんばんがん》、|硬砂岩《こうさがん》、|珪岩《けいがん》などの外に、石灰岩をもふくんでいて、白岩と名づけられたのは石灰岩の露出によるものであるという。トウヒ、シラビソ、コメツガなどの原生林がつづく山道は、急坂に次ぐ急坂で息もたえだえの思いであったが、南側の斜面にミネカエデが|緋紅 《ひくれない》の若芽を茂らせ、露呈した岩の間を埋めて、イワウチワが大群落をつくっているすばらしさに、幾度か息をつく思いになった。
神社前を出発したのが一時すぎであったが、登り下りをくりかえす道は意外に時間をとって、雲取小屋に着いた時はすっかり暗くなってしまった。遠くから見る雲取はその頂きだけなので、さほど大きい山とは思われないが、山ふところに入ると、その根張りのゆたかさに、さすがは東京都随一の高山だと思うのである。
雲取小屋に一泊。あくる日は針葉樹の原生林の中をオサバグサの大群落におどろきながら頂上に着いて、南アルプスから富士までの展望をたのしみ、一路鴨沢にむかって下った。
西の一帯は一面の草原で、芽を出したばかりのシオガマギク、クガイソウ、アワモリショウマ、ヤナギラン、シモツケソウ、トウヒレン、テガタチドリなどを見つけながら、夏から秋にかけて、又来なければと思っていた。まだ花もたわわに咲きつづけている一本の山桜の大樹があって、そのみごとさにしばらくその下で休んだ。
雲取から西に飛竜、唐松尾、笠取とつづく峰々が、いかにも|褶 曲《しゆうきよく》山脈らしい姿を連ねて、満開の桜の背後を飾る屏風になっていた。
何故もっと早く雲取に来なかったのだろう。山容雄大で、眺めに変化があり、修験の山というような暗さもきびしさもなくて、何よりも花の種類が多い。惚れ惚れとした思いで、鴨沢にむかう途中の杉林のかげにフシグロセンノウがたくさん芽を出していた。山へ来て花をとってはいけないことはよく知っているけれど、その特徴のある若芽を幾つか見ているうちに二本とりたい、野の花ではフシグロセンノウが一番好きだと言われた熊谷守一さんの庭にもっていってあげたいと思った。
熊谷さんは九十七歳のすぐれた画伯。今までにクマガイソウやノハナショウブを、そのお庭に植えてあげていた。
東京にもどって、仕事に追われて熊谷家にうかがえないでいるうちに、肺炎が原因で、この高齢なひとは急逝し、その最後の絶筆は庭のフシグロセンノウであったことを知った。私は雲取のその花を、いつかお墓の前に植えにゆかなければと思っている。
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