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花の百名山13

时间: 2020-06-26    进入日语论坛
核心提示:地蔵岳  アツモリソウ(ラン科) 上州赤城山は、昭和のはじめ頃、東京の若ものたち、それも山の静けさにあこがれるひとびとの
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地蔵岳  アツモリソウ(ラン科)  
 
 上州赤城山は、昭和のはじめ頃、東京の若ものたち、それも山の静けさにあこがれるひとびとの、渇仰の的だったのではないだろうか。
群馬県にある上毛新聞社が、萩原朔太郎や、草野心平をはじめ、多くの詩人を山に送りこんで、赤城を題材にしての詩が発表されたのも、そのきっかけをつくっていたかもしれない。ツツジと山上の沼が美しいと聞いて、私もいつか登りたいとあこがれていた。北アルプスは遠く、秩父もまた、山が深そうでおそろしい。
地図をひろげれば、二重成層型の火山の特徴のゆるやかな傾斜を持つ広い裾野を、隣りの榛名山との間に重ね合せている赤城は、山容が独立して、関東平野の北を限り、どこに迷って下りても、人里に辿りつけそうである。
上越線が開通したばかりの昭和七年の九月、新潟の兄の許に遊びにいった帰り、前橋の学校で舎監をしていた学生時代の友人を訪れて寮に一泊し、一人で翌朝早く山麓までバスでいった。急に思いついてのことで、紫地のお召しの着物に朱赤の帯を締め、カナリヤいろのパラソルをさして、履物は草履であった。
バスは「一ぱい清水」というところまであり、先をのばす工事の人々が五、六人、若い娘の一人登りの様子に、何か卑猥な言葉を浴びせかけたのがこわかった以外に、山路の辛かった記憶がない。食事をどこでとったかも覚えていないが、道の両側にマツムシソウが一面の薄紫に咲きさかっていたのと、黄ばみそめた白樺の葉と、まっ白な幹の対照のあざやかだったのを、今もありありと覚えている。
一しきり登ると、緩傾斜の草原に出て、クローバーがぎっしりと生えていた。放牧の馬が、三三五五草を|食《は》んでいて、四つ葉のクローバーをさがしている私の手許をさしのぞこうとするように、近々と長い顔をよせて来るのもあった。
週日であったせいか、他に人影もなく、晴れ上った秋空のもとに、こんなに大量の自然を、自分一人で領有しているのが勿体ないようなぜいたくさに思え、うれしくて沼のほとりまで走るようにして下っていった。猪谷という旅館の前からボートを漕ぎ出し、周囲の外輪山のかげをうつす水をオールで切ってゆくのがまたおもしろくて、いつか中心に向って漕ぎ進み、水の青、空の青のまんなかに身を横たえるつもりで、しばらくはボートの中で仰のけになっていると、岸辺からオーイ、オーイと呼ぶ声が聞え、和船を漕いでくる。南岸にあるもう一軒の旅館からも船を漕いで来た。投身自殺者とまちがえたらしい。起き上ってまた漕ぎ、また歌っていると、安心したようにもどっていった。
ボートを返した時、この夏も沼での自殺者があって、死体がまだ見つからないと聞かされた。
小沼のほとりのマツムシソウが、あまりにも美しいので、その中に仰のけにねころんでいると、白い行者姿の二人の老人が通りかかり、ああおどろいたとびっくりし、若い女が一人でこんなところにいるものではないと強くさとされ、急にこわくなってそのあとをついて下った。が、行者らしいひとたちは、いつか見えなくなってしまった。
帰りのバスの窓から、刻々に遠ざかってゆく赤城を眺めて、谷々が紫に緑に映えるのが美しく、山と別れるのが悲しかった。
戦後の赤城には、伊勢崎市役所の人たちが車で案内してくれた。沼のそばまで広い自動車道路ができているのに先ずおどろき、その広い道をかこむ谷々が意外な浅さなのにもおどろかされた。記憶では大きく両側から緑が迫っていたのだが、季節が冬であったので、木々が落葉していたからかもしれない。
沼も氷が張りつめて狭く見えた。何よりもやりきれぬ思いにさせられたのが、東側の岸を埋めた土産物屋や飲食店の数の多さである。同じ建てるにしても、どうして周囲の景観に合せた形や位置がとれなかったものか。赤城の山も今宵限りという国定忠治の別れのせりふが、つい胸に浮んだほどであった。
しかし、レンゲツツジが満開になったと聞いた時、やっぱり未練のように、もう一度赤城が見たくなり、いつもの山仲間大ぜいと赤城の歩き道をさがしにいった。
沼畔に出て、大型バスがずらりと並んだところから逃れるように、地蔵岳の北面を登る。ここもかつてはリフトかロープウェイがあったらしいが、幸いはずされていた。
草つきの道の西斜面から下を見ると、緋に燃えるようなレンゲツツジの花盛りである。
かつての放牧の馬はもう一頭も見えなくて、ただひたすらにツツジばかり。人工的に植えたのもあるのではないか。
地蔵岳の東向きの斜面を、忠治温泉にむかって下り、歩くのは自分たちだけになって、ようやく赤城の山懐に抱かれたようなやすらぎを覚えたが、ふと通りすぎようとして、草むらの中に一点の赤いいろを見つけた。薄紅のアツモリソウで、図鑑以外に見たのははじめてである。
その名は一谷に死んだ平敦盛の背に負った|母衣《ほろ》の形からとったという。敦盛を討った熊谷直実の名をとったクマガイソウと、色はちがうが形が似ている。栽培種のどんなランよりも、ゆたかな造化の妙を語っているような形のよさに、よかった、赤城にはまだ自然が残っていたのだとうれしかった。
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