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花の百名山14

时间: 2020-06-26    进入日语论坛
核心提示:黒檜山  クサタチバナ(ガガイモ科) 上毛新聞社の柳田芳武さんに、赤城は青春の思い出の山だけれど、あまりの開け方にすっか
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黒檜山  クサタチバナ(ガガイモ科)  
 
 上毛新聞社の柳田芳武さんに、赤城は青春の思い出の山だけれど、あまりの開け方にすっかり落胆したと語ると、赤城にはまだ荒々しい自然がいっぱいあると|黒檜《くろび》登山をすすめられた。十月の半ばの一夜、黒檜に登るために沼の畔りの青木旅館に泊った。飲食店、土産物屋の多い東側からはなれた地点にある。娘の頃に沼をボートで漕ぎまわった時、自殺者にまちがえられて、ただ二軒だけあった旅館から和船が漕ぎ出された。その一軒はこの家だったのだとなつかしかった。
当主は若い夫婦で、私のために船を出してくれた頃のひとは、老夫人だけが七十五歳をこえて健在であった。赤城の花を愛し、生きた花そのままに、押絵をつくるのが趣味であるという。当夜はあいにくの不在で、その製作品だけを見せてもらった。ヤマハハコ、マツムシソウ、ウメバチソウ、カワラナデシコ、コオニユリ、アヤメといろとりどりに色紙の上に、自然の姿でおさまっている。
押絵の一つにクサタチバナがあった。この前の六月、地蔵岳に登った時、草地の中に点々として咲いていたもので、やや大きい緑の葉が対生している茎のてっぺんに、白い花が群がっている。
はじめて見た花であったので、家に帰って図鑑を見たらクサタチバナであった。そういう花の名のあることもはじめて知り、葉の大きく緑の濃いのがミカンの木に似て、花もミカンのように細かく純白なのを、クサタチバナとはうまい名のつけかただと感心した。でも匂いはどうだろうか。押絵の花では香りがない。この夜の食事にはいろいろのキノコが出て、これも赤城の自然がまだゆたかなのを教えてくれるようであった。
かつての火口原である沼の標高は一三四五メートル。黒檜の頂上までは約五百メートルを登る。いつもの山仲間が一緒である。
昨日の午後着いてすぐ地蔵岳と同じように、中央火口丘である長七郎山に登っていた。その山裾に覚満淵の湿原がある。押絵のアヤメはこのあたりで初夏に咲いているのを採ったものである。レンゲツツジの緋の赤さにいろどられる中の紫を、今度はやはりその季節に来て見たい。一度はあまりの開発ぶりに驚いたが、二度三度とくれば、赤城にまだ残る自然をさがしたくなる。初恋のひとの面影をいつまでも追い求めているような気持ちである。
沼の東側の道を北に進んで右折して、黒檜の山腹に入る。ウラジロモミやコメツガの大木の茂りあう中に、昔ながらの山道があった。昭和七年に大沼から小沼に出て、行者のあとをついて下ったのは、このように狭い道幅の、石のごろごろした道であったと、霧が晴れてゆくように記憶がよみがえった。いかにも外輪山の内壁を思わせて露出した巨岩がさえぎるひた登りの道をゆきながら、遠い古代に大和朝廷の力が、ようやく北は上毛野、下毛野あたりまで及んだ時、榛名とこの山が大きな城壁となって、北からの異民族の侵入を防いだのであろうと思った。まつろうものと、まつろわぬものとの戦いも、この外輪山の稜線を接点として戦われたのではないだろうか。赤城から榛名の火山灰地の裾野の牧草が馬の産地を生み出したが、馬は古代にあっては、重要な交通機関であると同時に、武器の一部分でもあったのだから。
さすがに二千メートル近い頂上を持つ山らしく、ミズナラやダケカンバやカエデの類が黄に赤に紅葉した尾根道からは、すぐ北に上州武尊山や谷川岳の雄大な山容が見え、東に日光連山から足尾の山々が連なっているのが一望できる。南面が多くの町や村を持っているのにくらべて、北面は原生林の谷々がつづき、赤城が開けているというのは、ほんの一部であることがわかった。
南面は太陽もよく当って、早くからひとが住みついたことは、この山麓地帯が旧石器時代からの古代遺跡の宝庫であることでもわかる。赤城山はまた、修験道の山でもあって、山そのものが御神体視され、忠治温泉の近くにある赤城神社は延喜式の大社で、江戸から北関東に及ぶ村々の信仰を集め、国定忠治はその祭りに催された賭場で活躍したのだそうだ。大沼、小沼は雨乞い祈願の対象となり、小沼には麓の長者の娘が、十六歳で投身自殺したという伝説がある。以来娘が十六歳になった時の登山は禁止されているという。頂上で柳田さんからそんな話を聞きながら、昭和七年に、遠くからは十六歳とも見える派手な着物で、ボートを漕いでいた私が何故警戒されたか、小沼の畔りで何故行者からお説教されたか、これも霧が晴れるようにわかって来た。寄生火山の小黒檜に向かう尾根道で、すがれて立っているクサタチバナを見た。木のタチバナは常緑なのに、それだけがちがっていた。
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