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花の百名山20

时间: 2020-06-26    进入日语论坛
核心提示:武州御嶽  ウケラ(キク科) いつか沖縄の那覇から首里にいったとき、自動車で通り過ぎる道ばたに、巨岩があり、その下に供物
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武州御嶽  ウケラ(キク科)  
 
 いつか沖縄の那覇から首里にいったとき、自動車で通り過ぎる道ばたに、巨岩があり、その下に供物の食べものなどをあげて、一人の女のひとがおがんでいるのを見た。同行の新聞社のひとが、ウタキと言い、御嶽という字をあてるのだと教えてくれた。
神霊のこもり住む聖なる山は遠くにあって、この町の中にあるのは、その遙拝所なのだと言い、木曾の御嶽山が、やはり中仙道の鳥居峠に遙拝所を持っていたことを思い出した。
御嶽と名づけられるものの中には、森や木立ちもあるという。木や山に神霊がこもることを信じた原始的な自然崇拝の名残りであろう。
小学校の遠足での山ゆきは、はじめが高尾山、次が御嶽で、その頃は二俣尾から多摩川沿いの道を歩き、滝本にとりついて、杉や檜の茂る道を、唱歌などを歌いながら、歩いたのである。兵士たちが行軍のときに歌う軍歌も多かったような気がする。今でも私は、疲れると山道で、よく一人軍歌を歌う。不思議にからだに力が満ち満ちてくる。
さて都会から山に入ると、先ず、空気の冷たさと土の匂いでいつも爽やかな思いにつつまれるのだが、花好きの少女には、何よりも、町にはない山の花、野の花がうれしかった。
小学校六年の|綴方《つづりかた》に、私は御嶽の山みちで見つけたウケラのことを書き、先生からオケラとも言い、根は漢方薬につかわれて、昔のひとが歌に詠んだ花と教えられた。
これとよく似た花のコウヤボウキはウケラより花も枝もやさしいのに潅木で、ウケラは木のように葉も枝もしっかりしているのに草だという。
私の育った頃の東京の町中には、雑木林もたくさんあったのだが、リンドウ、ギボウシ、キンラン、ギンラン、フシグロセンノウ、ナデシコ、ワレモコウ、ホウチャクソウなどは見つけられても、ウケラは目につかなかったので、私ははじめて見た花として、綴方に書いたのである。
恋しけば袖も振らむを武蔵野の
うけらが花の色に|出《づ》なゆめ
我背子を|何《あ》どかもいはむ武蔵野の
うけらが花の時無きものを
『万葉集』の巻十四にあげられている歌を知ったのは、ずっとあとのことである。
御嶽は、高尾山と共に、東京の小学校がもっともよく遠足につれてゆく山で、そこから私のように、山歩きへの親しみの第一歩をふみ出すものが多いと思うけれど、正直、遠足での御嶽は、やっぱり歩いて登った高尾山よりはつまらなかったと思う。針葉樹林が多くて山が暗く、見晴らしもなくて、頂上には神社があるだけであった。子供ごころには、神社とは「何ごとのおわしますかは知らぬ」存在であった。
御嶽にしばしばゆくようになったのは、二十歳すぎてのことである。もうケーブルができていた。そして、これを利用して、大岳へゆき、馬頭刈尾根へゆき、日の出山にいって、それらの眺望のよい頂き、尾根道の中心に御嶽神社をおいて見ると、多摩川の谷の奥の山村をまもるものとして、どうしても必要なように思えて来た。
御嶽神社は木曾御嶽と同じように、六、七世紀にさかのぼる開山伝説があり、鎌倉幕府創建の頃の畠山重忠が砦を築いたとも伝えられている。
秩父平氏の子孫であり、武蔵武士として、もっとも勢力のあった畠山氏にとって、御嶽は所領の地であった。武蔵、相模の野を越え、はるかなる鎌倉を望むのに一番ふさわしい地でもある。
御嶽神社に|甲冑《かつちゆう》や|太刀《たち》を奉納し、その武運の長久をねがったのが、のちに|讒《ざん》せられて相模の二俣川で、北条義時のために討たれてしまった。
木曾義仲は、緒戦のとき、|倶利伽羅《くりから》峠で、平家の大軍を降して木曾の御嶽のおかげと感謝したと言うけれど、明日の生命を知り難い武将たちが、溺れるもの藁をもつかむような心境で、山がそこにあるからというだけで、山にその運命の鍵をゆだね、その甲斐もなく、次々に悲運の最期を遂げたことを思うと哀れだ。
戦後も御嶽にはしばしば登った。太みそかから新年にかけて、その東の突端にある日の出山の頂きにいて、武蔵野の地平の果てに浮び上ってくる太陽を待っていると、古代の民の自然への畏怖の気持ちが何となくわかるような気がした。
御嶽にゆく度にエイザンスミレの多いのにおどろくのだけれど、大岳からの帰途、奥の院への道を辿ったいつかの秋は、ウケラやカワラナデシコやヤマユリの花がらがいっぱいあり、ススキの根元にナンバンギセルを見つけてここにも古代が残っていると思った。
道のべの尾花が下の思ひ草
今更さらに何か思はむ
『万葉集』の巻十にオモイグサとされている花である。この花は私の子供の頃、生まれ育った板橋の、赤羽線沿いの原っぱによく咲いていた。
御嶽が、高尾山と同じように、東京に近く、頂きには人家もたくさんあるのに花々が多いのは、信仰の山として大事にされているからであろう。
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