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花の百名山21

时间: 2020-06-26    进入日语论坛
核心提示:生藤山  ホタルカズラ(ムラサキ科) 五日市、上野原などの、五万分の一の地図は、娘の頃からの歩きと合せて、大抵の尾根みち
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生藤山  ホタルカズラ(ムラサキ科)  
 
 五日市、上野原などの、五万分の一の地図は、娘の頃からの歩きと合せて、大抵の尾根みちに赤い線が引かれている。
コースタイムも書きこまれていて、二十代の足と、このごろの足とでは、一倍半のちがいがある。
年齢を重ねての体力のちがいというよりは、重量が加わっているからかもしれないと思う。
二十代よりも十キロ近くも増えている。目方を減らしたいのが、私のこの二十年来の山歩きの願いの一つである。しかし五キロを減らすことは容易ではなく、三年前の夏の七月八月に、十三の山に登ってようやく四キロ減り、一カ月もすると、すぐに二キロもどり、年末には四キロもどってしまった。
つい最近の夏は、冷たい雨の岩手山で、道をまちがえて反対側に下り、ズブ濡れのままタクシーに二時間乗り、その夜から三晩、冷房の利いた夜行の寝台車をつかったら、突如として右の足腰が痛くなって一歩も歩けず、座骨神経痛とのことであった。
これでもう山ともお別れかと前途|暗澹《あんたん》たる思いになったが、四十日の間、松葉杖をついての旅行の合間に、土地土地でハリを打つこと十数回、その前夜もハリを打って、夏も末に、おそるおそる北海道の暑寒別の雨龍沼にいったが、一つも痛くなかった。
山みちを下って来たときのうれしさと言ったらなかった(又、山に来られるのだ)。
しかし四十日間山にいかず、目方は二キロふえて、それから、奥志賀の山々にゆき、裏榛名にゆき、丹沢の表尾根にゆきしても減らず、|生藤山《しようとうさん》から和田峠に下り、上案下まで歩いて、ようやく一キロ減った。距離は十五キロ足らずであろう。
新宿を七時すぎの電車で、上野原で八時すぎ、上岩までバスで来て、九時半から歩き出して、上案下は午後四時のバスであった。
二十三、四歳の頃、高尾から小仏を経て、景信、陣馬を越えて、落合に下りて途中でバスに乗って上野原まで、二十何キロを、着物に下駄履きのまま、六時間足らずで歩いていることを思うと、感慨無量である。
それでも、佐野川峠から生藤山、連行峰から醍醐峠へと辿る尾根道の眺望はすばらしく、十一月も末の紅葉は赤に黄に稜線を飾っていて、まだこんなにも歩きよく、眺めのよい山道が残っているのかとうれしくなった。
佐野川峠から左折し、三国山の頂きを左に見て、まき登りに登る道の両側には、桜の大樹がずらりと並んでいて、花どきの盛大さがしのばれる。
生藤山の頂きを右に、三国山との鞍部で一休みすると、すぐ南側の前方に扇山が見えて権現山につづき、その連なりの右に小金沢から大菩薩。扇山の彼方の三ツ峠の特徴のある頂きの左手にはくっきりと、あざやかな富士が、雪に被われた端麗な形を見せている。
娘時代には、眺めもそこそこに|我武者羅《がむしやら》に歩きまわったが、久しい年月の間に、あそこにもここにもと登った峰々を一望の中に数え上げられるのがたのしい。
思えば、二十三、四歳の頃から、何十年という月日を、私なりに人生の辛酸の山坂を越えわたって生きて来たのだが、これらの山々の成りたちの歴史から見たら、何という短い年月であったろうか。
上野原へはじめて来たのは、まだ十代の終りの頃である。
相模川の流域に出来た段丘のスケッチをするためであった。
甲州街道沿いの町のうしろの斜面に立って、すぐ眼の前に、深くおちこんだ相模川の谷を、谷にむかってのびるゆるやかな段丘を、段丘に迫って鋭く若い谷をきざむ山の稜線を、紙の上に描きとどめながら、人間と同じように、大地も生きているのだということを不気味に思った。
大地に人間のような意志があるとは思えなかったが、大地も、人間と同じように、変転のあとをとどめるということがおそろしかった。
その歴史を測るのに、一万年、十万年、五十万年と、とらえようもない、大きな時間が語られるのも、人間のいのちの束の間のはかなさと対比されるようであった。
生藤山から連行峰への下りみちは可成り急峻だけれど、和田峠と日原峠を連ねるこの稜線は、ナラ、クヌギの生えている平坦な林もあり、四方の展望がきいて、何べんでも来たいような山道である。カエデやナラやホオの落葉を踏みながら、来年の春は桜の盛りを見に来たいと思った。
上岩から、杉の植林の中を歩いていて、南面の草つきの崖に、ホタルカズラが這っているのを見つけていた。ムラサキの仲間の、空いろの小さい花の咲く頃は、カタクリなども見つかるかもしれないと思った。
ホタルカズラは岩木山の南面の草地で濃い空いろに咲いていたのを見たことがある。大山の日向薬師への下り道でも、千葉県の南の千倉の山でも六甲の谷でも見たが、東京のわが家の庭では十年来葉ばかり茂っている。
和田峠と陣馬の頂上までは、階段状の足場ができていて、ここまで自家用車で来たひとたちの中には、赤ん坊をおぶっている若い母親の姿もあった。娘の頃に訪れた陣馬では想像もできなかったことである。
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