十和田|八幡平《はちまんたい》国立公園とよばれて、岩手県、秋田県にわたってひろがっているこの大きな火山地帯を訪れたのは、十年前の、秋田県大館市への旅がはじめてである。
所用をすませて、翌日は宮城県の気仙沼市にゆかなければならなかった。大館高校の二人の先生が案内して下さり、その夜はトロコ温泉に泊った。
早朝に出発して、玉川温泉、新湯を経て、八幡平の北の部分の山間を走り抜け、田沢湖で休憩。国見峠、仙岩峠と雫石川の上流の渓谷に沿って走って盛岡に出た。
十月の晴れた日であったが、アオモリトドマツの緑の中に、ブナやミズナラの黄葉や、ナナカマドやカエデの紅葉が映え、まさに錦繍の秋とは、このような眺めを言うのだと感嘆した。
本州第一の湧水量と言われる玉川温泉の荒々しい風景にもおどろかされた。華麗な紅葉の樹間の道を下りて来て、急に眼の前に、生皮をむかれて赤膚をさらしているような大地がいたいたしく横たえられ、末期の激しい呼吸を噴気の形であらわしているようであった。
二度目は同じく秋の季節にいつもの山仲間と秋田駒へ登りにいったとき、帰りに足をのばした。田沢湖は方々の観光地化された山上の湖水の悲劇のように、土産物屋や飲食店の氾濫で、東方の景観をすっかり失ったが、一周して南から西にまわると、秋田駒の山影を紫にうつして、日本で一番の深さと言われる神秘さがただよう。
秋田駒の麓の乳頭温泉郷は|蟹場《かにば》温泉も黒湯も全く都会化されていないのがうれしく、殊に草葺屋根の黒湯の旅館は、湯気をたてて流れ走る湯の川のほとりにたてられていて、月夜の晩に入湯したらたのしいだろうと思った。
この日、秋田駒の下りみちから雨となり、盛岡に向かって、|後生掛《ごしよがけ》温泉、|蒸《ふけ》ノ湯を過ぎ、八幡平アスピーテラインに入った頃、雪になった。風を伴った雪は秋田県側から岩手県側に激しく吹きつけて視界を埋めた。藤七温泉に下って休み、|畚《もつこ》岳への雪中登山をした。
那須火山帯に属して、巨大な楯火山のあとを見せる八幡平国立公園には、畚岳のような熔岩円頂丘もあって、その変化ある風景がおもしろい。
四度目は去年の夏、岩手山を登りに来て、姥倉山から松川温泉まで雨中を下った。そして五度目の今年は盛岡の四家教会のヨハネ神父、ヨセフ神父と、二人のスイス人の司祭に案内されて、八幡平ハイツでの午後の集まりの前、早朝に出発した。松尾鉱山あとを過ぎるあたりから雪が深くなり、六月も半ば近いのに八幡平はまだ冬なのであった。南向きの山腹のアオモリトドマツの原生林の中に、ダケカンバの冴え冴えとした新緑が、わずかに春を告げている。
頂上近くの雪は一番多く、除雪車にかきあげられたものであろうけれど、まさに道ばたの林の中は丈余の深さで残っている。
秋田県側に入って雪が減り、大沼のあたりは、ダケカンバやブナやカエデやミズナラの新緑がゆらいで美しい。ミズバショウもリュウキンカも咲いている。
大沼は九四四メートルの地点にあって、|流石《さすが》に春の盛りであった。沼ぞいの草のみちに入ると先ず両側にヤナギラン、タチギボウシ、サワギキョウ、オニシモツケソウ、ハンゴンソウ、エゾリンドウ、コバイケイソウ、トリカブトなどが生き生きとして、あと|一《ひと》月、|二《ふた》月の花の盛りに備えていた。
水面にはミツガシワが白い花をいっぱいつけて咲いている。蕾のふくらんだレンゲツツジの根もとに、ツマトリソウのかわいい花も見える。イワカガミも咲きはじめ、ショウジョウバカマはもう終っている。林の中にはタムシバが残りの花を見せ、その根もとにツルシキミが花盛りである。赤く小さい花をつけたドウダンの花も、ひっそりと咲いている。
沼は南側が湿原になっていて、イソツツジが点々と白い花をつけていた。北海道の摩周湖から川湯へゆく途中で大群落を見、ニセコで見、|安達太良《あだたら》で見て以来四度目である。
西側の小さな湿地の道のほとりにはミツバオウレンやズダヤクシュが咲き盛り、タテヤマリンドウは蕾をとじていた。
ヨセフ神父が言った。咲いているこの花をとろうとして、カメラの位置を考え考え二、三分して見ると、もう花は閉じていました。そしてそのあと、十分ほどして雨が降って来ました。
敏感にも気圧の変化を知り、花粉をまもるために蕾をとじたのであろう。リンドウは空の青さに咲くけれど、その美しい青は、青ぞらの下にだけ花びらを開くのであった。東側の山みちには今を盛りのムラサキヤシオが、雨にぬれて花も枝も重たげであった。
梅雨がそのまま早春の雨となっているような八幡平であった。頂上近くは西風を伴った冷雨が激しく、八幡沼もガマ沼も雪の下で見えない。とても道なき道を源太森まで辿る勇気がなくもどることにした。
月に四回は山に入り、まだ観光道路のない八幡平にも何十回となく登ったというヨセフ神父が言った。それがいいです。八幡平はいくらよい道路ができても遭難はいっぱいあります。
所用をすませて、翌日は宮城県の気仙沼市にゆかなければならなかった。大館高校の二人の先生が案内して下さり、その夜はトロコ温泉に泊った。
早朝に出発して、玉川温泉、新湯を経て、八幡平の北の部分の山間を走り抜け、田沢湖で休憩。国見峠、仙岩峠と雫石川の上流の渓谷に沿って走って盛岡に出た。
十月の晴れた日であったが、アオモリトドマツの緑の中に、ブナやミズナラの黄葉や、ナナカマドやカエデの紅葉が映え、まさに錦繍の秋とは、このような眺めを言うのだと感嘆した。
本州第一の湧水量と言われる玉川温泉の荒々しい風景にもおどろかされた。華麗な紅葉の樹間の道を下りて来て、急に眼の前に、生皮をむかれて赤膚をさらしているような大地がいたいたしく横たえられ、末期の激しい呼吸を噴気の形であらわしているようであった。
二度目は同じく秋の季節にいつもの山仲間と秋田駒へ登りにいったとき、帰りに足をのばした。田沢湖は方々の観光地化された山上の湖水の悲劇のように、土産物屋や飲食店の氾濫で、東方の景観をすっかり失ったが、一周して南から西にまわると、秋田駒の山影を紫にうつして、日本で一番の深さと言われる神秘さがただよう。
秋田駒の麓の乳頭温泉郷は|蟹場《かにば》温泉も黒湯も全く都会化されていないのがうれしく、殊に草葺屋根の黒湯の旅館は、湯気をたてて流れ走る湯の川のほとりにたてられていて、月夜の晩に入湯したらたのしいだろうと思った。
この日、秋田駒の下りみちから雨となり、盛岡に向かって、|後生掛《ごしよがけ》温泉、|蒸《ふけ》ノ湯を過ぎ、八幡平アスピーテラインに入った頃、雪になった。風を伴った雪は秋田県側から岩手県側に激しく吹きつけて視界を埋めた。藤七温泉に下って休み、|畚《もつこ》岳への雪中登山をした。
那須火山帯に属して、巨大な楯火山のあとを見せる八幡平国立公園には、畚岳のような熔岩円頂丘もあって、その変化ある風景がおもしろい。
四度目は去年の夏、岩手山を登りに来て、姥倉山から松川温泉まで雨中を下った。そして五度目の今年は盛岡の四家教会のヨハネ神父、ヨセフ神父と、二人のスイス人の司祭に案内されて、八幡平ハイツでの午後の集まりの前、早朝に出発した。松尾鉱山あとを過ぎるあたりから雪が深くなり、六月も半ば近いのに八幡平はまだ冬なのであった。南向きの山腹のアオモリトドマツの原生林の中に、ダケカンバの冴え冴えとした新緑が、わずかに春を告げている。
頂上近くの雪は一番多く、除雪車にかきあげられたものであろうけれど、まさに道ばたの林の中は丈余の深さで残っている。
秋田県側に入って雪が減り、大沼のあたりは、ダケカンバやブナやカエデやミズナラの新緑がゆらいで美しい。ミズバショウもリュウキンカも咲いている。
大沼は九四四メートルの地点にあって、|流石《さすが》に春の盛りであった。沼ぞいの草のみちに入ると先ず両側にヤナギラン、タチギボウシ、サワギキョウ、オニシモツケソウ、ハンゴンソウ、エゾリンドウ、コバイケイソウ、トリカブトなどが生き生きとして、あと|一《ひと》月、|二《ふた》月の花の盛りに備えていた。
水面にはミツガシワが白い花をいっぱいつけて咲いている。蕾のふくらんだレンゲツツジの根もとに、ツマトリソウのかわいい花も見える。イワカガミも咲きはじめ、ショウジョウバカマはもう終っている。林の中にはタムシバが残りの花を見せ、その根もとにツルシキミが花盛りである。赤く小さい花をつけたドウダンの花も、ひっそりと咲いている。
沼は南側が湿原になっていて、イソツツジが点々と白い花をつけていた。北海道の摩周湖から川湯へゆく途中で大群落を見、ニセコで見、|安達太良《あだたら》で見て以来四度目である。
西側の小さな湿地の道のほとりにはミツバオウレンやズダヤクシュが咲き盛り、タテヤマリンドウは蕾をとじていた。
ヨセフ神父が言った。咲いているこの花をとろうとして、カメラの位置を考え考え二、三分して見ると、もう花は閉じていました。そしてそのあと、十分ほどして雨が降って来ました。
敏感にも気圧の変化を知り、花粉をまもるために蕾をとじたのであろう。リンドウは空の青さに咲くけれど、その美しい青は、青ぞらの下にだけ花びらを開くのであった。東側の山みちには今を盛りのムラサキヤシオが、雨にぬれて花も枝も重たげであった。
梅雨がそのまま早春の雨となっているような八幡平であった。頂上近くは西風を伴った冷雨が激しく、八幡沼もガマ沼も雪の下で見えない。とても道なき道を源太森まで辿る勇気がなくもどることにした。
月に四回は山に入り、まだ観光道路のない八幡平にも何十回となく登ったというヨセフ神父が言った。それがいいです。八幡平はいくらよい道路ができても遭難はいっぱいあります。