純白の五弁の花が、鮮やかな新緑の五枚の葉が、ことごとく空にむかって、重なりあい、そよぎあっている。赤松の樹肌に似た茶褐色の幹は、人間の背丈を二、三メートルほど越え、しなやかに枝をさしかわし、たわわな花と葉をかかえて、ひたすらにゆれ動いている。
ゆけどもゆけども、その純白と、その新緑が|尽《つ》きることなく、自分の前後左右をかこんでいる。
これらの色彩に音を添えるなら、どんな音がふさわしいか。
いや、その花たちと、その葉たち自身が、すでに甘美な音をたててひびきあっているようである。
幾度か足をとめ、私は、その音に耳を傾けたいと思った。
もしも大ぜいの連れがなかったら、麓で待っているひとたちがなかったら、私は、それらの花たちと葉たちにつつまれて、あきるまで、その場に足を投げ出し、その木々の下から去りたくなかった。
西行法師は、桜の下で死にたいと歌に詠んだが、私は、この花の下で、このまま倒れて死んでもいいと思った。花に酔うとでも言おうか。|大滝根《おおたきね》山でシロヤシオ、ゴヨウツツジともよぶその木の大群落の中を歩きながらの感想である。
かつて、日光の半月峠で、咲き残りのこの花を見たことがある。コメツガの林の中の、ところどころ、花もわずかであった。葉の緑が濃くなり、落ちる寸前の花の白は薄黄ばんでいた。
その日、私たちは、まさに、この花のまっ盛りの姿にであったのである。山の頂きに近いところではまだ|蕾《つぼみ》が三分ほど占め、麓に近づくと、純白にやや薄黄がまじって、もう散る用意をととのえている。まるで、人間の童女から、女ざかりを迎え、黒髪もあせて老い朽ちてゆく姿のように。
大滝根山。一一九三メートルの高さは、阿武隈山地の最高峰だが、前日、九六七メートルの鎌倉岳に登った私たちは、次の日、宿を出て、町役場の用意してくれた新調のマイクロバスで、先ず九九二メートルの|檜山《ひやま》にいって、放牧の草地として整備された大牧場を、スイスのアルプス山麓のようだとよろこびあった。
檜山も、鎌倉岳も、また、大滝根山も、隆起準平原状である阿武隈山地の残丘だろう。
大滝根山の頂上には、石を組んで峯霊神社が祭られ、自衛隊のマイクロウェーブの中継基地ができているけれど、西側の部分は、登山者のために開放されていて、私たちが辿ったのは赤松林の中の細い山道であった。
標高差にして七、八百メートルもあろうか。神社のまわりの草地には、ヤマハハコが芽を出し、コケリンドウが咲き、ミヤマアズマムラサキもいっぱいある。
麓の|常葉《ときわ》町役場から派遣されてきた案内のひとが、中腹近くなると、マツハダドウダンが咲いているが、シャクナゲはまだかもしれないと案じている。
大滝根山に、シャクナゲがあることを、このあたりのひとはうれしそうに話す。深山の美花として珍重されているのであろう。しかし、シャクナゲの前に、私たちは、このシロヤシオの海の中に突入したのである。マツハダドウダンとはよばれているが、たしかにドウダンではなく、シロヤシオである。この花については全く期待していなかったので、その突然の出あいと、その美しさに興奮した。
カメラの三木慶介さんも、こんなにきれいな眺めは滅多にないと感動している風であった。
案内のひとにとっては、シロヤシオより、とにかくシャクナゲを見せたいようであった。
私たちは一たん麓までゆき、沢づたいに谷深く入って、山の北面の崖の、あちらこちらに薄紅のアズマシャクナゲを見出した。シロヤシオにかくれて、山道からは見えなかったものである。
道といってもほんの踏みあとが残っているような急崖を、シャクナゲに釣られて登りつめてゆくと、シロヤシオの群落と重なりあって、純白と薄紅がまじりあっている姿はたとえようもなく美しい。大滝根山とは水がゆたかだという意味であろうか。沢筋が幾つも|岐《わか》れていて、渓々の水は北に大滝根川となって阿武隈川に流れこみ、東に木戸川となって、太平洋に注ぐ。
石灰岩の層を持つ大滝根山は、そのどこかの谷筋を掘ってゆけば、現在発見されている以上に、多くの洞窟を見出すであろうと言われている。
洞窟の中には、澄んで清冽な水が流れていることだろう。私にはふと、この山いっぱいの花たちもまた、純白に、薄紅に山を被って流れ下る華麗な水のような気がした。
ゆけどもゆけども、その純白と、その新緑が|尽《つ》きることなく、自分の前後左右をかこんでいる。
これらの色彩に音を添えるなら、どんな音がふさわしいか。
いや、その花たちと、その葉たち自身が、すでに甘美な音をたててひびきあっているようである。
幾度か足をとめ、私は、その音に耳を傾けたいと思った。
もしも大ぜいの連れがなかったら、麓で待っているひとたちがなかったら、私は、それらの花たちと葉たちにつつまれて、あきるまで、その場に足を投げ出し、その木々の下から去りたくなかった。
西行法師は、桜の下で死にたいと歌に詠んだが、私は、この花の下で、このまま倒れて死んでもいいと思った。花に酔うとでも言おうか。|大滝根《おおたきね》山でシロヤシオ、ゴヨウツツジともよぶその木の大群落の中を歩きながらの感想である。
かつて、日光の半月峠で、咲き残りのこの花を見たことがある。コメツガの林の中の、ところどころ、花もわずかであった。葉の緑が濃くなり、落ちる寸前の花の白は薄黄ばんでいた。
その日、私たちは、まさに、この花のまっ盛りの姿にであったのである。山の頂きに近いところではまだ|蕾《つぼみ》が三分ほど占め、麓に近づくと、純白にやや薄黄がまじって、もう散る用意をととのえている。まるで、人間の童女から、女ざかりを迎え、黒髪もあせて老い朽ちてゆく姿のように。
大滝根山。一一九三メートルの高さは、阿武隈山地の最高峰だが、前日、九六七メートルの鎌倉岳に登った私たちは、次の日、宿を出て、町役場の用意してくれた新調のマイクロバスで、先ず九九二メートルの|檜山《ひやま》にいって、放牧の草地として整備された大牧場を、スイスのアルプス山麓のようだとよろこびあった。
檜山も、鎌倉岳も、また、大滝根山も、隆起準平原状である阿武隈山地の残丘だろう。
大滝根山の頂上には、石を組んで峯霊神社が祭られ、自衛隊のマイクロウェーブの中継基地ができているけれど、西側の部分は、登山者のために開放されていて、私たちが辿ったのは赤松林の中の細い山道であった。
標高差にして七、八百メートルもあろうか。神社のまわりの草地には、ヤマハハコが芽を出し、コケリンドウが咲き、ミヤマアズマムラサキもいっぱいある。
麓の|常葉《ときわ》町役場から派遣されてきた案内のひとが、中腹近くなると、マツハダドウダンが咲いているが、シャクナゲはまだかもしれないと案じている。
大滝根山に、シャクナゲがあることを、このあたりのひとはうれしそうに話す。深山の美花として珍重されているのであろう。しかし、シャクナゲの前に、私たちは、このシロヤシオの海の中に突入したのである。マツハダドウダンとはよばれているが、たしかにドウダンではなく、シロヤシオである。この花については全く期待していなかったので、その突然の出あいと、その美しさに興奮した。
カメラの三木慶介さんも、こんなにきれいな眺めは滅多にないと感動している風であった。
案内のひとにとっては、シロヤシオより、とにかくシャクナゲを見せたいようであった。
私たちは一たん麓までゆき、沢づたいに谷深く入って、山の北面の崖の、あちらこちらに薄紅のアズマシャクナゲを見出した。シロヤシオにかくれて、山道からは見えなかったものである。
道といってもほんの踏みあとが残っているような急崖を、シャクナゲに釣られて登りつめてゆくと、シロヤシオの群落と重なりあって、純白と薄紅がまじりあっている姿はたとえようもなく美しい。大滝根山とは水がゆたかだという意味であろうか。沢筋が幾つも|岐《わか》れていて、渓々の水は北に大滝根川となって阿武隈川に流れこみ、東に木戸川となって、太平洋に注ぐ。
石灰岩の層を持つ大滝根山は、そのどこかの谷筋を掘ってゆけば、現在発見されている以上に、多くの洞窟を見出すであろうと言われている。
洞窟の中には、澄んで清冽な水が流れていることだろう。私にはふと、この山いっぱいの花たちもまた、純白に、薄紅に山を被って流れ下る華麗な水のような気がした。