|大雪山《だいせつざん》の花を見たさに、十年前の七月の半ば、十人ばかりの山仲間と、飛行機で千歳に飛んだ。
その前に地図をひろげて何べん姿見池から旭岳、間宮岳、北鎮岳、黒岳への稜線を指で|辿《たど》ったことか。
自分に、あの北海道で一乗高い山、高さは二千三百メートル足らずだが、緯度の関係で本州の三千メートル級の山に匹敵する山に登れようとは思えなかった。骨折の手術を二度して五年目である。
北海道の山にはヒグマがいるという恐怖もあった。
北海道のヒグマの数は何千頭、増えるとも減ることはないとおそろしい評判も聞き、大雪山は熊の運動場とおどかすひともあったが、熊にあったらリュックを投げすてて逃げるのが一番と、仲間同士言い合せ、国立公園管理員の沢田栄介さんや太田正豁さんに案内されて、|勇駒別《ゆこまんべつ》の宿に入った。
朝八時から夕方四時まで、十四キロ近くを歩き通したその日、しあわせなことに熊は一頭もあらわれず、まことに眼もあやに美しい高山植物の大群落を、たっぷりと心ゆくまで観賞することができた。
先ず姿見池のロープウエイ駅から旭岳の登り口までエゾツガザクラ、コケモモ、ガンコウランなどの矮小潅木が、織りこまれたじゅうたんのように、池のほとりにはエゾコザクラ、ダイセツトウチソウ、ジンヨウキスミレの群落があり、びっしりと地表を埋めている。旭岳の登りの砂礫地にはホソバノウルップソウ、エゾイワツメクサなどが、一歩進んで半歩下るような苦しい登りをなぐさめてくれる。それらの花は図鑑でのみ知っていたのをはじめて生きた姿で眺め得たのである。やっぱり来てよかった。第一、はるばると来て見れば、旭岳の登山路のかたわらに、まださかんに白煙をあげる硫気の噴出孔が幾つもある大雪山は、つい二百年前に大爆発があったというような新らしい火山で、旭岳から黒岳まで直径二キロの中央火口をとりまく準平原状の丘々は、すべて一面の砂礫地であって唯一本の樹木もない、熊があらわれれば何キロ向うからでも見通せるにちがいない、それから逃げてもおそくないと大いに度胸がついてしまった。
黒岳への縦走路でおもしろいのは、熊岳から北鎮岳への平原状のゆるやかな斜面に、人間が手を加えて礫を形よく並べたように見える構造土の姿であった。大きな礫と小さな礫が自然によりわけられ、亀甲型や菱型の紋様のようにきちんとはめこまれている。大雪山は千二百万年前の中生代に属する岩石が基盤になっていて、氷河期のきびしい寒さの中で、長い年月の中に、風化した礫が自然に移動したものであるという。その礫の自然の紋様に沿って、薄黄いろのイワウメの花が、その紋様なりに群生し、そのまま着物の模様のように見える。私たちは造化の妙に感嘆し、今度、亀甲か菱の地紋のある白生地を求め、イワウメの花を、この構造土地形に咲きさかっているように手描きしてもらおうなどと言いあった。砂礫の間にびっしりと厚ぼったく細かい葉を茂らせ、その上に一つだけ大きく咲いた花は、草ではなくて潅木の仲間だという。
この旅では、黒岳小屋の近くの砂礫地にコマクサを見つけ、黒岳口への道で、エゾホソバトリカブト、カラマツソウ、イワベンケイ、ハクサンチドリ、ジンヨウキスミレ、エゾアズマギク、キバナノコマノツメ、トカチフウロなどのお花畑を見た。片一方は深い谷の急崖の斜面が花いっぱいにいろどられ、花はそれぞれのいのちを咲いているのにすぎないのだが、花の一つ一つが、遠路はるばる御苦労さまでしたと挨拶しているように見えて、花の一つ一つに無事な下山を感謝したかった。
その前に地図をひろげて何べん姿見池から旭岳、間宮岳、北鎮岳、黒岳への稜線を指で|辿《たど》ったことか。
自分に、あの北海道で一乗高い山、高さは二千三百メートル足らずだが、緯度の関係で本州の三千メートル級の山に匹敵する山に登れようとは思えなかった。骨折の手術を二度して五年目である。
北海道の山にはヒグマがいるという恐怖もあった。
北海道のヒグマの数は何千頭、増えるとも減ることはないとおそろしい評判も聞き、大雪山は熊の運動場とおどかすひともあったが、熊にあったらリュックを投げすてて逃げるのが一番と、仲間同士言い合せ、国立公園管理員の沢田栄介さんや太田正豁さんに案内されて、|勇駒別《ゆこまんべつ》の宿に入った。
朝八時から夕方四時まで、十四キロ近くを歩き通したその日、しあわせなことに熊は一頭もあらわれず、まことに眼もあやに美しい高山植物の大群落を、たっぷりと心ゆくまで観賞することができた。
先ず姿見池のロープウエイ駅から旭岳の登り口までエゾツガザクラ、コケモモ、ガンコウランなどの矮小潅木が、織りこまれたじゅうたんのように、池のほとりにはエゾコザクラ、ダイセツトウチソウ、ジンヨウキスミレの群落があり、びっしりと地表を埋めている。旭岳の登りの砂礫地にはホソバノウルップソウ、エゾイワツメクサなどが、一歩進んで半歩下るような苦しい登りをなぐさめてくれる。それらの花は図鑑でのみ知っていたのをはじめて生きた姿で眺め得たのである。やっぱり来てよかった。第一、はるばると来て見れば、旭岳の登山路のかたわらに、まださかんに白煙をあげる硫気の噴出孔が幾つもある大雪山は、つい二百年前に大爆発があったというような新らしい火山で、旭岳から黒岳まで直径二キロの中央火口をとりまく準平原状の丘々は、すべて一面の砂礫地であって唯一本の樹木もない、熊があらわれれば何キロ向うからでも見通せるにちがいない、それから逃げてもおそくないと大いに度胸がついてしまった。
黒岳への縦走路でおもしろいのは、熊岳から北鎮岳への平原状のゆるやかな斜面に、人間が手を加えて礫を形よく並べたように見える構造土の姿であった。大きな礫と小さな礫が自然によりわけられ、亀甲型や菱型の紋様のようにきちんとはめこまれている。大雪山は千二百万年前の中生代に属する岩石が基盤になっていて、氷河期のきびしい寒さの中で、長い年月の中に、風化した礫が自然に移動したものであるという。その礫の自然の紋様に沿って、薄黄いろのイワウメの花が、その紋様なりに群生し、そのまま着物の模様のように見える。私たちは造化の妙に感嘆し、今度、亀甲か菱の地紋のある白生地を求め、イワウメの花を、この構造土地形に咲きさかっているように手描きしてもらおうなどと言いあった。砂礫の間にびっしりと厚ぼったく細かい葉を茂らせ、その上に一つだけ大きく咲いた花は、草ではなくて潅木の仲間だという。
この旅では、黒岳小屋の近くの砂礫地にコマクサを見つけ、黒岳口への道で、エゾホソバトリカブト、カラマツソウ、イワベンケイ、ハクサンチドリ、ジンヨウキスミレ、エゾアズマギク、キバナノコマノツメ、トカチフウロなどのお花畑を見た。片一方は深い谷の急崖の斜面が花いっぱいにいろどられ、花はそれぞれのいのちを咲いているのにすぎないのだが、花の一つ一つが、遠路はるばる御苦労さまでしたと挨拶しているように見えて、花の一つ一つに無事な下山を感謝したかった。