もしも花の好きなひとで、足がそう強くないというのであれば、是非すすめたいのが大雪山の姿見池から、北西に進んで、裾合平から、沼の平を経て、愛山渓温泉に出るまでの十キロ近い道である。
大雪火山の旭岳の千七百メートルほどの山腹から、愛山渓温泉の千百メートルほどのところまで、ただ下る一方なのと、途中、たくさんの池塘があって、高山植物が豊富なこと、石狩川に注ぐポンアンタロマ川の谷がきざまれて、幾つかの滝もたのしめる絶好コースなのだけれど、残念なのは、道に迷い易いのと、どうもこのあたり、ヒグマと御対面の機会が案外少くないらしいことである。
北海道の山をえらぶ度、ヒグマは出ませんかと現地のひとに聞き、出ないと答えられたことは一度もない。愚問なのであろう。しかし、この数年、二十ばかりの北海道の山を歩いて、一度も出あったことはない。すぐ前にそこを通ったとか、四、五日前に出たというところは二、三あったけれど。
動物の好きな私は、じつは、一度はあってみたい。互いに見かわす顔と顔、じっと相手の眼を見つめたら、にっこりほほえんで、相手が手をさしのべる、足許にすりよってくる、その背をむけて、どうぞ、お乗り下さい、麓までおおくりしますというような事態にならないものかと想像したりもする。
昔、昔、バビロンの賢者、ダニエルは、反対者によって獅子の穴に投げこまれたが、獅子は彼になついて、とても食うどころではなかった。
鈴木牧之の『北越雪譜』には「|熊人《くまひと》を助く」の一項があって、新潟県魚沼のひとが若い時、豪雪の山中で谷底に落ち、滝のそばの岩穴にもぐると、熊がいてあたためてくれ、手のひらもなめさせてくれた。その手は甘くて、何か蜜のようなものが貯えられていたらしい。
熊は遂に幾日かののち、雪みちをあけて里に出る案内をしてくれたという話がのっている。しかし命を賭けて、ヒグマとの交際を願うわけではなく、やはりこわいものはこわい。
その夏の朝、NHKの小川淳一さんや三木慶介さん、国立公園管理員の沢田栄介さん、奥野肇さんたちと姿見池を出発し、予定よりは大分早く愛山渓温泉に辿り着けたのは、私にとってはもっぱら、ヒグマのおそろしさから逃れたいためであった。福岡大の学生たち三人が、可哀相にことごとく青春のいのちをヒグマにささげてしまったのはついその一カ月前であった。いつもは男のひとたちより断然おそい私の足が、男のひと並みに動いたのであった。裾合平にはキバナノシャクナゲの群落にまじってチシマニンジンがいっぱいあり、ヒグマの大好物とかで、手でその根をかきとったあとが方々にあった。
しかし、間宮岳、北鎮岳の稜線を東に仰いで、西にむかって眼路の果てまでつづく大草原は、エゾツガザクラやアオノツガザクラが、薄紅と薄緑のじゅうたんをしきつめたように見え、ウサギギクの黄やチングルマのシロが更にいろどりをそえて、その美しさと言ったらない。
大小幾つもの沼のほとりは、ワタスゲの白、ハクサンチドリの紫、エゾキスゲの朱赤、エゾリンドウの青、ヤチギボウシの薄紫が華麗に重なりあっている。尾瀬は一月毎に花の姿が変るけれど、ここでは一度に夏の湿原植物が咲きさかった感じである。週日なので、雪渓にキャンプして、夏スキーをする若もの二、三人にあったきりで、他の登山者のかげもなかった。
谷筋に入ってからは渓流のそばに、ミズバショウやリュウキンカが、あざやかな白と黄に映えていたが、これが大きくて、尾瀬のそれらの花たちの三倍もあるようなたくましさである。大雪山も層雲峡や天人峡は無残に俗化したが、ここには太古の面影が残っているようだと、すっかりよろこんでしまった。
渓川のほとりの山ぞいにはサンカヨウが群れをなして白い花をつけていた。これも上高地や白山などで見たものよりはずっと大きい。この実は熟して黒紫いろになり、食べると甘ずっぱい。これもさぞヒグマの好物であろう。それにしても、とうとうお目にかかることのなかった仕合わせに、ひなびた愛山渓温泉の宿の前まで来て、ようやく胸を撫でおろした。
つい最近、北海道新聞社の|間野啓男《まのよしお》氏にあうことがあり、数年前、ポンアンタロマ川の滝のそばの岩穴からとび出して来たヒグマにおし伏せられた話をうかがった。かみつこうとするヒグマを下からおし上げて一生懸命に耐え、ヒグマと共に谷を二転三転ころげた。駆けつけた友人がさわいで、ヒグマは逃げたというけれど、鋭い爪で頭も背もやられていたという。やっぱりいるのである。
大雪火山の旭岳の千七百メートルほどの山腹から、愛山渓温泉の千百メートルほどのところまで、ただ下る一方なのと、途中、たくさんの池塘があって、高山植物が豊富なこと、石狩川に注ぐポンアンタロマ川の谷がきざまれて、幾つかの滝もたのしめる絶好コースなのだけれど、残念なのは、道に迷い易いのと、どうもこのあたり、ヒグマと御対面の機会が案外少くないらしいことである。
北海道の山をえらぶ度、ヒグマは出ませんかと現地のひとに聞き、出ないと答えられたことは一度もない。愚問なのであろう。しかし、この数年、二十ばかりの北海道の山を歩いて、一度も出あったことはない。すぐ前にそこを通ったとか、四、五日前に出たというところは二、三あったけれど。
動物の好きな私は、じつは、一度はあってみたい。互いに見かわす顔と顔、じっと相手の眼を見つめたら、にっこりほほえんで、相手が手をさしのべる、足許にすりよってくる、その背をむけて、どうぞ、お乗り下さい、麓までおおくりしますというような事態にならないものかと想像したりもする。
昔、昔、バビロンの賢者、ダニエルは、反対者によって獅子の穴に投げこまれたが、獅子は彼になついて、とても食うどころではなかった。
鈴木牧之の『北越雪譜』には「|熊人《くまひと》を助く」の一項があって、新潟県魚沼のひとが若い時、豪雪の山中で谷底に落ち、滝のそばの岩穴にもぐると、熊がいてあたためてくれ、手のひらもなめさせてくれた。その手は甘くて、何か蜜のようなものが貯えられていたらしい。
熊は遂に幾日かののち、雪みちをあけて里に出る案内をしてくれたという話がのっている。しかし命を賭けて、ヒグマとの交際を願うわけではなく、やはりこわいものはこわい。
その夏の朝、NHKの小川淳一さんや三木慶介さん、国立公園管理員の沢田栄介さん、奥野肇さんたちと姿見池を出発し、予定よりは大分早く愛山渓温泉に辿り着けたのは、私にとってはもっぱら、ヒグマのおそろしさから逃れたいためであった。福岡大の学生たち三人が、可哀相にことごとく青春のいのちをヒグマにささげてしまったのはついその一カ月前であった。いつもは男のひとたちより断然おそい私の足が、男のひと並みに動いたのであった。裾合平にはキバナノシャクナゲの群落にまじってチシマニンジンがいっぱいあり、ヒグマの大好物とかで、手でその根をかきとったあとが方々にあった。
しかし、間宮岳、北鎮岳の稜線を東に仰いで、西にむかって眼路の果てまでつづく大草原は、エゾツガザクラやアオノツガザクラが、薄紅と薄緑のじゅうたんをしきつめたように見え、ウサギギクの黄やチングルマのシロが更にいろどりをそえて、その美しさと言ったらない。
大小幾つもの沼のほとりは、ワタスゲの白、ハクサンチドリの紫、エゾキスゲの朱赤、エゾリンドウの青、ヤチギボウシの薄紫が華麗に重なりあっている。尾瀬は一月毎に花の姿が変るけれど、ここでは一度に夏の湿原植物が咲きさかった感じである。週日なので、雪渓にキャンプして、夏スキーをする若もの二、三人にあったきりで、他の登山者のかげもなかった。
谷筋に入ってからは渓流のそばに、ミズバショウやリュウキンカが、あざやかな白と黄に映えていたが、これが大きくて、尾瀬のそれらの花たちの三倍もあるようなたくましさである。大雪山も層雲峡や天人峡は無残に俗化したが、ここには太古の面影が残っているようだと、すっかりよろこんでしまった。
渓川のほとりの山ぞいにはサンカヨウが群れをなして白い花をつけていた。これも上高地や白山などで見たものよりはずっと大きい。この実は熟して黒紫いろになり、食べると甘ずっぱい。これもさぞヒグマの好物であろう。それにしても、とうとうお目にかかることのなかった仕合わせに、ひなびた愛山渓温泉の宿の前まで来て、ようやく胸を撫でおろした。
つい最近、北海道新聞社の|間野啓男《まのよしお》氏にあうことがあり、数年前、ポンアンタロマ川の滝のそばの岩穴からとび出して来たヒグマにおし伏せられた話をうかがった。かみつこうとするヒグマを下からおし上げて一生懸命に耐え、ヒグマと共に谷を二転三転ころげた。駆けつけた友人がさわいで、ヒグマは逃げたというけれど、鋭い爪で頭も背もやられていたという。やっぱりいるのである。