コバイケイソウの、すがすがしくもたくましい花をはじめて見たのは、西岳から燕岳に向かう、いわゆる喜作新道の稜線であった。
最初に槍ヶ岳に登った山旅でのことである。
前夜は、寒冷前線の通過とかで、夕食がすんだ七時頃から大荒れに荒れ、小屋のトタン屋根が今にもめくりとられるかと思うばかりの強風に、無数の石つぶてを投げつけているような豪雨の襲来であった。
小屋の主人は、馴れっこになっているのか、あわてる風もなくて、ろうそくの灯も吹き消された真暗闇の中で、一体どうなることかと怯える私たちをたのしそうに笑いながら脅かしつづけた。明日の朝までに小屋は吹きとぶであろう。それでも、ふとんをかぶっていればいのちは助かるよ、などと言って。
まだ中学生の娘をつれていて、自分の死は致しかたないが、幼い娘をこんなところで死なすのはふびんだと、ひたすら神に加護を祈っていた。
小屋の主人の予告は大幅に外れ、嵐は明け方には止んで、雨に洗われた稜線の、石ころまじりの緑のさわやかだったことが忘れられない。
コバイケイソウは、槍にむかった山腹を一面に埋めていて、そのたわわな純白な花も、昨夜の豪雨に叩かれたのであろうと思い、すっくと首をあげた姿がりりしくも見えた。
私は高山植物を見ることは好きだけれど、里に持ち帰って眺めようなどという気はさらさらない。
都会の汚れた空気の中に、自分のたのしみだけのために高山植物を移植したりするのは、何とも花がふびんで哀れに見える。デパートの売場などに、小さな鉢に植えこまれて、生気のない顔をさらしている高山植物を見ると、奴隷船にかどわかされて身売りさせられた少女たちを見るようで、義憤を感じたりする。
コバイケイソウのたのもしさは、これだけ背が高ければ、どんな欲の深い、情知らずの花盗人も、掘りおこして里に持って来ようなどという不埓な心を起すまいと安心して見ていられることである。
花も美しいが、何よりもその葉の盛大で、豪放でさえある姿がよい。
コバイケイソウは、北アルプスの稜線では、じつにしばしばであうけれど、奥多摩の三頭山や御前山などのブナの林の下にも、いち早く春の来たよろこびを告げるように、早緑の葉が空にむかって、たなごころを合せて、祈るような形でのび茂っている。
いつか葦毛湿原の林の中で、ミカワバイケイソウというのを見たことがある。
茎も短く、葉も短いが、背丈だけはずっと高く、花のつき方も少な目で、全体がか弱い感じであった。氷河期に、氷河と共に低地に下りて来たものの名残りであろうという。
高い山地のは、特にたくましい感じで、いつか双六岳に二度目にいった時、雪渓のほとりでであった葉の勢いのよさには眼を見張るばかりであった。六月の末近く、北側の斜面が、すっかり草原になっていた。黒部五郎から登って、びっしりと這松に被われた稜線を、幾度となく這松の根に足をとられてつんのめりながら歩きつづけたので、下りにかかって、眼の前に三俣蓮華、鷲羽、湯俣、はるか西に薬師、雲ノ平、東に槍の尖った頭を中心にした北鎌尾根、西鎌尾根、穂高連峰などを眺めながら、礫がごろごろはしていたけれど、とにかく草つきの道を下ってゆくのはほっとした思いであった。
かつての氷河のあとの谷も、このあたりから薬師、黒部五郎、野口五郎、水晶と、その特有のU字型の凹みを見ることができる。自分が今、下ってゆくのも、その一つの斜面なのであろうと思うと、何万年もの地球の歴史のあとを今、自分の足で踏んでゆくという感慨にひたされる。
斜面は、上が急峻で、下へゆくほどゆるやかになり、小屋にむかっての這松の林の、急な下りに入る前が湿原状になっていた。
コバイケイソウはその雪どけの雪のたまり水を残したような湿地の中に幾つも幾つも咲いていて、太郎兵衛平から黒部五郎を越えて来た疲れが、その葉の茂みの間の石に腰を下し、その緑を見入るだけで一ペんにうすらぐ気持ちであった。
最初に槍ヶ岳に登った山旅でのことである。
前夜は、寒冷前線の通過とかで、夕食がすんだ七時頃から大荒れに荒れ、小屋のトタン屋根が今にもめくりとられるかと思うばかりの強風に、無数の石つぶてを投げつけているような豪雨の襲来であった。
小屋の主人は、馴れっこになっているのか、あわてる風もなくて、ろうそくの灯も吹き消された真暗闇の中で、一体どうなることかと怯える私たちをたのしそうに笑いながら脅かしつづけた。明日の朝までに小屋は吹きとぶであろう。それでも、ふとんをかぶっていればいのちは助かるよ、などと言って。
まだ中学生の娘をつれていて、自分の死は致しかたないが、幼い娘をこんなところで死なすのはふびんだと、ひたすら神に加護を祈っていた。
小屋の主人の予告は大幅に外れ、嵐は明け方には止んで、雨に洗われた稜線の、石ころまじりの緑のさわやかだったことが忘れられない。
コバイケイソウは、槍にむかった山腹を一面に埋めていて、そのたわわな純白な花も、昨夜の豪雨に叩かれたのであろうと思い、すっくと首をあげた姿がりりしくも見えた。
私は高山植物を見ることは好きだけれど、里に持ち帰って眺めようなどという気はさらさらない。
都会の汚れた空気の中に、自分のたのしみだけのために高山植物を移植したりするのは、何とも花がふびんで哀れに見える。デパートの売場などに、小さな鉢に植えこまれて、生気のない顔をさらしている高山植物を見ると、奴隷船にかどわかされて身売りさせられた少女たちを見るようで、義憤を感じたりする。
コバイケイソウのたのもしさは、これだけ背が高ければ、どんな欲の深い、情知らずの花盗人も、掘りおこして里に持って来ようなどという不埓な心を起すまいと安心して見ていられることである。
花も美しいが、何よりもその葉の盛大で、豪放でさえある姿がよい。
コバイケイソウは、北アルプスの稜線では、じつにしばしばであうけれど、奥多摩の三頭山や御前山などのブナの林の下にも、いち早く春の来たよろこびを告げるように、早緑の葉が空にむかって、たなごころを合せて、祈るような形でのび茂っている。
いつか葦毛湿原の林の中で、ミカワバイケイソウというのを見たことがある。
茎も短く、葉も短いが、背丈だけはずっと高く、花のつき方も少な目で、全体がか弱い感じであった。氷河期に、氷河と共に低地に下りて来たものの名残りであろうという。
高い山地のは、特にたくましい感じで、いつか双六岳に二度目にいった時、雪渓のほとりでであった葉の勢いのよさには眼を見張るばかりであった。六月の末近く、北側の斜面が、すっかり草原になっていた。黒部五郎から登って、びっしりと這松に被われた稜線を、幾度となく這松の根に足をとられてつんのめりながら歩きつづけたので、下りにかかって、眼の前に三俣蓮華、鷲羽、湯俣、はるか西に薬師、雲ノ平、東に槍の尖った頭を中心にした北鎌尾根、西鎌尾根、穂高連峰などを眺めながら、礫がごろごろはしていたけれど、とにかく草つきの道を下ってゆくのはほっとした思いであった。
かつての氷河のあとの谷も、このあたりから薬師、黒部五郎、野口五郎、水晶と、その特有のU字型の凹みを見ることができる。自分が今、下ってゆくのも、その一つの斜面なのであろうと思うと、何万年もの地球の歴史のあとを今、自分の足で踏んでゆくという感慨にひたされる。
斜面は、上が急峻で、下へゆくほどゆるやかになり、小屋にむかっての這松の林の、急な下りに入る前が湿原状になっていた。
コバイケイソウはその雪どけの雪のたまり水を残したような湿地の中に幾つも幾つも咲いていて、太郎兵衛平から黒部五郎を越えて来た疲れが、その葉の茂みの間の石に腰を下し、その緑を見入るだけで一ペんにうすらぐ気持ちであった。