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花の百名山66

时间: 2020-06-26    进入日语论坛
核心提示:黒斑山  ヒメシャジン(キキョウ科) 娘の頃、島崎藤村の「千曲川旅情のうた」が好きであった。小諸なる古城のほとり雲白く|
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黒斑山  ヒメシャジン(キキョウ科)   
 
 娘の頃、島崎藤村の「千曲川旅情のうた」が好きであった。
小諸なる古城のほとり
雲白く|遊子《ゆうし》悲しむ
この詩には弘田龍太郎氏の作曲があり、松平里子さんの歌ったレコードを買い求めて練習した。歌いながら小諸の城あとから見える浅間山の姿を思い浮べた。
五万分の一の白地図を、四百メートルから二百メートルの等高線で塗りつぶしてゆくと、裾を長く引いた浅間山が、東に小浅間、南に前掛山、剣ヶ峰、ちょっとはなれて石尊、西に|黒斑《くろふ》山をしたがえた大きな山容をあらわしている。
浅間と黒斑の間に、二千百メートル位の広い窪地ができている。かつての火口でもあったのだろうか。そして、前掛山から黒斑山をつづける馬蹄形の稜線は、火口壁であり、外輪山として残ったものであろうかと想像された。
暮れゆけば浅間も見えず
歌哀し佐久の草笛
千曲川いざよふ波の
岸近き宿にのぼりつ
濁り酒濁れる飲みて
草枕しばし慰む
歌の節は浅間の裾を洗う千曲川の流れのように、時に淀み、時にたぎって、高く低く、浅間山を前にした旅びとの|愁《うれ》いをつづる。学生時代に、クラス会というとよくこの歌を合唱した。二十代に入るか入らないかという青春の真盛りにあった娘たちは、クラス会といっても、甘味にお茶とミカン位で、酒は濁ったのも清らかなのも知らなかったが、最後のそのあたりに来て、草枕しばし慰むと口ずさむと、何となくものがなしくしんみりとして、私などは必ず涙が出た。青春とはそのように、ゆえもないのに悲しくなって、とめどなく涙の溢れるものであったらしい。
小浅間の麓を通っての浅間には、何度か登ったが、黒斑山にいったのは最近の夏である。
小諸には、藤村の詩に惹かれて、娘時代の最後の夏にゆき、城の石垣の上に張り出している松の木に登って、浅間を仰いだ。一緒にいた母が、あぶないあぶないと下から叫んだが、私は木登りなど大好きな娘なのであった。
軽井沢から見る浅間とちがって、このあたりからは、高峰山のすぐ隣りに、剣ヶ峰や黒斑がせり上って見え、現在活躍中の噴火口をふくめて、浅間山が規模の大きな火山であることがわかる。
沓掛の山荘の隣人に、子供の時から小諸郊外に住んでいたひとがあり、戦前の軽井沢にくらべて、野の花、山の花が少いことを嘆く度、いつも浅間の西斜面を見上げて、あそこに天狗の露地とよばれて、たくさんの花の咲いているところがある。自分も戦前の若いときによくいったが、まったく天上の楽園とはこのような場所かと思ったと、眼をかがやかして言うのであった。
かつては歩いていった浅間の小諸側からの登山道を、今はバスで車坂峠まで。一挙に千メートル近く登るわけである。蛇堀川の谷に沿って、バスがゆく道の両側の松林の中には、軽井沢ほどではないが、あちらこちらに別荘が点在し、林の下草にはシデシャジンやヤマホタルブクロやシシウドなどが目立つ。
峠に近づいて稲妻型に急な登りをくりかえす道には、ヤナギランやニッコウキスゲの花が咲き、軽井沢から草津へゆく途中の万山望のあたりより、ずっと花が多く思われた。
車坂峠は全体が駐車場のようになっていて、昔の姿は知らないが、伐られた木々のあとや、むき出しになった岩などが自然破壊の代表的な姿をさらしている。
早々と横切って、カラ松林の中の急勾配の道に入る。峠の賑わいと程遠い静けさである。
赤ゾレの頭、トーミの頭などと名づけられた小さなピークを越えて東の尾根道を辿る。左側はシラビソや赤松やミズナラの林。右側の空を被わんばかりの浅間山の斜面との間に湯の平高原が沈む。緑のじゅうたんをしきつめたような赤や紫や黄のいろどりである。
蛇骨岳ともよばれる黒斑山のピークまでいき、もどって湯の平高原への急崖を下りる。
草すべりと名づけられて、|旧《ふる》い火口壁なのであろう。草つきの急崖を下りる。尻餅をついてすべった方が早いが、転落するのがこわくて、ところどころで休んであたりを仰ぐと、中国の南画に描かれたような荒々しい岩壁が、ほとんど直角の鋭さで湯の平になだれおちていて豪壮な眺めをつくっていた。
わずかな時間で高原につくと、紫はヤチアザミ、赤はシモツケソウ、黄はサワオグルマやコキンレイカであった。
大雪山の姿見ノ池から沼の平へゆく道も、同じようないろどりの緑のじゅうたんとなっていたが、赤はエゾコザクラやアカノツガザクラ、黄はキバナノシャクナゲであった。
南に下って火山館の前を通って蛇堀川の源流の小さな谷を下った。
道の両側には黄のコキンレイカや紫のヒメシャジンが多く、沓掛の隣人に聞くと、昔はオヤマリンドウとオミナエシがいっぱいあって、麓の人たちは切って束にして花屋に売りにいったそうである。これらの花たちは切っても小さくて売れないために、こんなにも多く残って浅間の昔の姿をしのばせてくれたのであった。
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