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花の百名山80

时间: 2020-06-26    进入日语论坛
核心提示:霧ヶ峰  ヤナギラン(アカバナ科) ヤナギランにはじめてあったのは、戦後間もない頃、名古屋から飛騨川沿いに北上して飛騨の
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霧ヶ峰  ヤナギラン(アカバナ科)   
 
 ヤナギランにはじめてあったのは、戦後間もない頃、名古屋から飛騨川沿いに北上して飛騨の高山まで、その土地土地に残る民話伝説を調べにいった旅の帰り、乗鞍まで車でいった途中である。
戦時中に軍人によってつくられたという未舗装の道路は、強い秋の陽に乾いて、濛々と砂塵をまきあげ、思わずしめようとした窓の外に鮮紅のいろを見た。花であった。何の花であろう。
私はその時まで、そんなに紅の美しい野の花を知らなかった。車が登ってゆくにつれて花の数もふえ、針葉樹林の深さの中に咲くその華やいだ姿に、高山の松倉城で敗れて、乗鞍から安房峠を抜けて逃げてゆき、梓川べりの沢渡で、杣人の手にかかって惨殺された三木秀綱の妻のことをふと思い出した。深山に似合わぬ華麗な衣裳をつけていた彼女は、杣びとたちに狐が化けて出たのかと怪しまれて殺されたのだという。釈迢空、折口信夫さんの歌にその哀れさを歌ったのがある。
峰々に消ぬきさらぎの雪のごと
清きうなじを人くびりけり
ヤナギランはその後北海道で、じつにしばしば見ることができた。旭川から層雲峡にゆく車道の西側は、ヤナギランの大群落で、鮮紅の幕を張ったようである。
根釧原野にもたくさん咲いている。その花のいろにも形にも壮麗な美しさがあると思い、自然に放置されたままで、この美しさがつくり出されることに、いつも眺めて感動するのだけれど、昔からあまり歌や句には詠みこまれていないようだ。
これだけ目立って、これだけさわがれない花も珍らしいと思う。たとえばなぜひとはミズバショウにマツムシソウに、ニッコウキスゲに、カタクリに、スズランに、リンドウに、熱っぽい眼差しをそそぐのであろう。
ヤナギランの丈があまりにも高く、直立した茎があまりにも堂々としているからかもしれないと思う。小さく可憐なものに親愛の情を注ぐひとが多い。
霧ヶ峰を訪れた初秋の一日、|上諏訪《かみすわ》から車で|強清水《こわしみず》に至り、蓼科山を東に、美しが原、鷲ヶ峰、鉢伏山を西に望む高原に立って、眼の前に咲きつづくヤナギランの見事な群落に見とれた。一面の鮮紅色の波が風にゆれる。もう残りの花で、下の方はわれてそりかえったような大きな種子になり、白くほほけている。その綿のような白と、花びらの紅のまざりあったのが、一そう花をゆたかに見せている。
霧ヶ峰の花は場所がひろびろとしていて、陽光をさえぎるものがないせいか、うすえんじいろのヨツバヒヨドリも、卵白色のヤマハハコも、キクのような黄の花を残すハンゴンソウもすべて群落をつくっている。お互いに群れかたまりながら、お互いの領分はきちんとまもって、互いにまじりあわないところもおもしろい。アキノキリンソウもルリトラノオもコガネギクもモリアザミもシオガマギクもすべて大量に咲いている。池塘のほとりは濃い空いろのエゾリンドウの群落である。
まだ、であったことはないけれど、ニッコウキスゲもまた、さぞ盛大に壮大に、この大地からむっくりと盛り上ったような、楯状火山の巨大な緩傾斜の山容を被いつくすのであろうと思った。
しかし私は、もしも霧ヶ峰に野の花を見にくると言うなら、どの花にもまして、ヤナギランの季節に、その大群にとりまかれたいと答えたい。夏も終りの日々、秋風が立って、山野のいろのおのずから衰えはじめる頃、鮮紅色に咲き競う華々しさが好きである。
秋の花の紫も黄も青も、それぞれに美しく季節らしいいろどりをあらわしていると思うけれど、秋から冬にかけて見る花には、紅いろこそふさわしいのだと私は思っている。紅は火のいろ、あたたかいいろだから。
その日の午後、霧ヶ峰には、ススキの美をテレビで語るために、スタッフのひとたちにつれていかれたのであった。
ススキも壮大に盛大に生えていた。花々が埋める空間とは又別に自分の領分をまもって、波のように白い穂を風にそよがせていた。
芒野、芒原。芒散る。枯尾花。山本健吉氏の『最新俳句歳時記』の秋にかかげられた「芒」の連想はみなわびしい。テレビ局のひとたちもおそらく私にわびしさを語ってもらいたいのであろう。
しかし私にはわびしさという感情があまりない。ススキは枯れても、どうせ来年生えると思っている。スタッフの人たちが明日の撮影に備えて、カメラをすえる場所をさがしている間に、一人で霧ヶ峰の主峰車山を南面から登っていった。
南アルプスの連嶺が、杖突峠が、中央アルプスの峰々が背後にせり上ってくる。
車山は一九二五メートル、標高差は二百メートルで、わずかな登りをゆっくりと歩く。一休みするごとに陽が山々の稜線に近づき、眼の下の諏訪盆地に紫のかげがひろがってくる。逆光にススキの銀のいろが冴えかえっている。ヤナギランが一かたまりすべて種子になって光っている。下の方ではまだ残っていた花が百本ほど、高度がちがうだけですっかりうら枯れた姿になっている。それがススキよりもわびしさをそそる眺めであった。
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