日语童话故事 日语笑话 日语文章阅读 日语新闻 300篇精选中日文对照阅读 日语励志名言 日本作家简介 三行情书 緋色の研究(血字的研究) 四つの署名(四签名) バスカービル家の犬(巴斯克威尔的猎犬) 恐怖の谷(恐怖谷) シャーロック・ホームズの冒険(冒险史) シャーロック・ホームズの回想(回忆录) ホームズの生還 シャーロック・ホームズ(归来记) 鴨川食堂(鸭川食堂) ABC殺人事件(ABC谋杀案) 三体 失われた世界(失落的世界) 日语精彩阅读 日文函电实例 精彩日文晨读 日语阅读短文 日本名家名篇 日剧台词脚本 《论语》中日对照详解 中日对照阅读 日文古典名著 名作のあらすじ 商务日语写作模版 日本民间故事 日语误用例解 日语文章书写要点 日本中小学生作文集 中国百科(日语版) 面接官によく聞かれる33の質問 日语随笔 天声人语 宮沢賢治童話集 日语随笔集 日本語常用文例 日语泛读资料 美しい言葉 日本の昔話 日语作文范文 从日本中小学课本学日文 世界童话寓言日文版 一个日本人的趣味旅行 《孟子》中日对照 魯迅作品集(日本語) 世界の昔話 初级作文 生活场境日语 時候の挨拶 グリム童話 成語故事 日语现代诗 お手紙文例集 川柳 小川未明童話集 ハリー・ポッター 新古今和歌集 ラヴレター 情书 風が強く吹いている强风吹拂
返回首页
当前位置: 首页 »日语阅读 » 日本名家名篇 » 作品合集 » 正文

花の百名山85

时间: 2020-06-26    进入日语论坛
核心提示:霊仙山  ヒロハノアマナ(ユリ科) |霊仙《りようざん》という山の名を教えてくれたのは、その山麓の上|丹生《にう》で、木
(单词翻译:双击或拖选)
霊仙山  ヒロハノアマナ(ユリ科)   
 
 |霊仙《りようざん》という山の名を教えてくれたのは、その山麓の上|丹生《にう》で、木彫の仏像をつくることにはげんでいた年若い詩人山本紀康氏である。丹生には同じような仕事に就いているひとたちが多いという。
霊仙は鈴鹿山地の北端にあって、その山麓は霊仙山と伊吹山との間に関ヶ原の盆地がひろがっている。古代にあっては東国と畿内を結ぶ重要な地点となっていたことであろう。伊吹山で傷つき、伊勢の|能褒野《のぼの》で死なれたというヤマトタケルノミコトは、病んで痛む眼に霊仙の尾根の彼方、はるか南西のヤマト盆地の上の空を見やって、あの有名な望郷の詩をつくられたのではないだろうか。いのちの丈夫なものたちは、緑|美《うる》わしいヤマトで、どうぞいのちのよろこびを歌いあげてくれ——。
ミコトは霊仙の峠をこえて伊勢に入られたにちがいない。上丹生は霊仙の北麓で|醒《さめ》ヶ|井《い》の奥にある谷間にある。このあたりは|惟喬《これたか》親王の末裔と称する木地師の住みついたところとされている。
文徳天皇の第一皇子でありながら、御母が紀氏の出であるために藤原氏に邪魔されて、立太子の機を外された不遇の親王は、世を捨てて山野の自然に心の憂さをいやしたのであろうか。木地師は全国の山々の木を、お盆やお椀をつくるのに必要なだけ伐採して、また次の地に移ってゆくという。上丹生は京都に近く、いかにも失意の貴公子の子孫が世にかくれて、こつこつと、一丁のノミをもって、大地自然の恵みである樹木を彫りつづける業を営むにふさわしい。
霊仙とは惟喬親王とほぼ同じ時代に生きて、六年間唐に学び、日本に帰ろうとして、彼地で暗殺された高僧の名であるという。
木地師とは何のかかわりもないかもしれないが、世に志をいれられなかったものたちの思いをしのばせる地名や、里の状況にもひかれて、以来、新幹線の窓から一方に伊吹山を見れば、必ず、一方に霊仙を仰いで来た。いつかの春の午後、米原で途中下車して、山本氏やその数人の友人とコンロンソウの群生する谷を頂上まであと半分の霊仙滝まで登り、ミヤマキケマンが黄いろの霞のようにたなびくばかりに咲き満ちているのを見たが、その日のうちに、帰京しなければならないので、惜しみながら、夕暮れの沢を下って来た。
藤原岳に登ったあくる日、醒ヶ井から入って、上丹生への道と別れ、創設後百年、東洋一という養鱒場を見物して午前十一時に山にかかる。湿った谷ぞいの道のかたわらに数戸の家が廃棄されていて、|榑《くれ》ヶ|畑《ばた》という。かつて栽培していたのであろうか、廃屋の周辺は一面のワサビの花盛りであった。
|汗拭《あせふき》峠までの道にはルイヨウショウマ、ハルリンドウ、イチヤクソウ、イチリンソウ、ヤマエンゴサク、イカリソウ、タキミチャルメルソウ、ヤマネコノメソウ、スズシロソウの花が咲き、ヤマツツジ、ムラサキヤシオ、モチツツジのつぼみがふくらみ、オトギリソウ、カワラナデシコの芽が出ている。地質学者の小林重幸氏が、露呈した石灰岩の中にウミユリの化石のあるのを教えて下さる。峠を南にくだれば、延寿招福の神をまつる多賀神社のある多賀の町に出る。町から東に大君ヶ畑、鞍掛峠をこえて伊勢に至るので、湖東のひとびとの神詣りは、この汗拭峠まで一汗かくところからはじまったのであろう。
霊仙の頂きは準平原のように、北霊仙、中霊仙などにわかれ、ゆるやかにうねる石灰岩台地となっていて、北霊仙の真上で小林氏は大きな地質図をひろげ、眼の下にひろがる琵琶湖のあたりを示されて、二億五千万年のはるかな昔にさかのぼる大地の歴史を語られた。藤原では谷間にあったヒロハノアマナが、ここでは頂き近い枯れカヤ原の中にいっぱいある。
北にはすでに登った加賀の白山や、木曾の御嶽の雪のある姿が遠望され、伊吹山の真うしろからこれも雪を残す|金糞《かなくそ》岳がのぞく。一三一四メートル。近江第二の高山である。
帰途は柏原にむかって十キロを下る。ひどいヤブコキの道もあるが、尾根筋の眺めがすばらしく、夕暮れ迫る比良の山なみ、竹生島、沖の島の浮ぶ琵琶湖、深くきざまれた谷々などが、ある時は夕陽をあびて朱に映え、また山かげになって紫に沈んでいた。広葉樹の多い山腹に、カエデの類であろうか、鮮緑色の木々が点在し、コブシの花の白もまじって、まだ、雪のとけたばかりの霊仙は、人生の青年期にあるようなみずみずしさに満ちている。足許にカタクリが、ショウジョウバカマが咲きさかり、だれがさげた札であろう、「カタクリに注意」と書かれたその心づかいがうれしかった。
轻松学日语,快乐背单词(免费在线日语单词学习)---点击进入
顶一下
(0)
0%
踩一下
(0)
0%