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花の百名山86

时间: 2020-06-26    进入日语论坛
核心提示:二上山雄岳  テイショウソウ(キク科) その日の正午、用があって、京都の二条城の庭を歩いていた。午後の時間があくと思った
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二上山雄岳  テイショウソウ(キク科)   
 
 その日の正午、用があって、京都の二条城の庭を歩いていた。
午後の時間があくと思った時、矢も楯もなく|二上山《にじようさん》へいきたくなった。京都の近鉄の駅で聞くと、二上山口下車がよいという。しかし、その日のうちに名古屋で八時すぎとなる新幹線に乗らなければならないのだと言うと首をかしげた。私は着物姿。年も相当と見て、「このひとちょっとおかしい」と思ったのかもしれない。
しかし私は、どうしても登りたかった。前の年の春の同じ頃、葛城を午後から歩いて日が暮れかかり、二上山を眼の前にして、あきらめてしまった。
近くで仰ぐ二上山は、意外に根張りが大きくどっしりしていて、とても一、二時間で登って下りられそうもなかった。
二上山には、葛城と同じように、いつも近鉄の窓から見仰いでは、いつか登って、雄岳の頂きにあるという大津皇子の墓に詣でたいという思いを抱きつづけていた。
うつそみの 人なる我や 明日よりは
二上山を|兄弟《いろせ》とわが見む
天武天皇が崩じられて、一月とたたぬ間に、その皇后であり、自分には叔母に当る持統天皇によって、謀殺された悲運のひと、大津皇子を、その姉君の|大伯《おおく》皇女が|哀傷《かな》しんで詠んだ歌である。
わが背子を 大和へ遣ると さ夜ふけて
|暁 《あかとき》露にわが立ちぬれし
二人行けど 行き過ぎがたき秋山を
いかにか君がひとり越ゆらむ
大津皇子が死の直前に伊勢の斎宮であった姉君をたずねられたとき、すでに弟君の不幸を予感して、姉君はこのように歌っている。
姉弟の母であった大田皇女は、持統天皇と同じように天智天皇の皇女であり、天武天皇の妃であった。もし妹に先だって病死することがなかったら、当然、皇后となり、大津皇子は皇太子の地位を得られたことであろう。持統天皇は、大津皇子の人望が自分が生んだ草壁皇子に比してはるかに高いことを嫉み、大津皇子の存在が草壁皇太子としての将来に邪魔になるとして、|磐余《いわれ》の池のほとりの|訳語田《おさだ》の|舎《いえ》で、死を賜ったのである。皇位をうかがうとした、謀反の罪は斬首であった。
ももづたふ 磐余の池に鳴く鴨を
今日のみ見てや 雲かくりなむ
不当な死に臨んでの皇子の絶唱である。日暮れも近く、池には二上山が紫のかげを落していたであろう。翼があって自由に空を翔けめぐることのできる鳥を羨む皇子は、眼をあげて雄峰と雌峰と並んだ二上山の姿を仰いだことであったろう。その二つの峰の間に沈む夕陽に、ひとびとは、西方浄土を夢見たのである。夕映えに浮ぶ山容に、まだ二十四歳の若い皇子が、仏への救いを求めたかどうか。
二上山口の駅に着いて二時近く。麓からの標高差は五一五メートル。登り下りに三時間と見れば、五時すぎの電車で名古屋にいって、新幹線に間にあうはずであった。
私はそのとき、|紫根《しこん》染めのしぼりの着物を着ていて、汗や泥で汚したくなかった。駅の近くのお好み焼の店に入って、事情を話して脱いだ着物をあずかってもらい、|長襦袢《ながじゆばん》の上に雨コートを着て|衿《えり》元をタオルでまくという姿になり、レンゲやペンペングサの花盛りの田園風景の中を爪先登りに急いだ。登り口には椎や|欅《けやき》の大樹につつまれて春日神社があり、藤原氏の守護神であるこの社は、大津皇子の御霊をおそれての創建であろうと思われた。持統天皇の皇子抹殺の謀議に協力したのは、藤原|不比等《ふひと》であったろうと言われている。
モチツツジやクヌギの明るい雑木林を過ぎると、杉や檜の植林地帯となり、下草に、鮮やかな緑の葉に、濃淡の斑文のある草がまばら|生《お》いしていて、はじめて見るものであった。ギザギザのある長方形の形が端正なので、大津皇子の山にふさわしい気がして記念に一本だけ頂戴した。ウバユリの芽生えもあった。
二上山は、花崗岩や片麻岩の層の上に噴き出した古い火山岩から出来ているのだそうだけれど、意外に悪い山道で、急坂から急坂へと曲りくねり、大きな石がごろごろしている。大津皇子の遺骸は、はじめ、馬来田というところに葬られたのだが、|祟《たた》りがあるとのことで、持統天皇が、二上山上に移されたのである。と言っても、この急坂ではどうしようもない。当麻寺から、あるいは竹内峠からの道があるが、そちらをゆかれたのだろうか。多分、実際の墓は山麓の別のところではないか。
草履の鼻緒が切れないように、足の力の入れかたを工夫しながら、コナラの多い雑木林の中をひた登りにゆくと、樹肌の赤いアカマツ林となって、眼の下に大和盆地がかすみ、大和三山が海の中の島のように浮んで見えた。林の下草にはうすむらさきのタチツボスミレが花盛りで、ふと、いつか登った近江の琶琵湖の奥の小谷城址で、城将浅井長政の切腹したあとが、一面のタチツボスミレの花盛りで、非業の死をとげたものへの鎮魂にふさわしかったのを思い出した。
皇子の墓と伝えられる盛塚の上にはカナメやアシビやヒサカキ、イヌモチなどが密生していて、多分、小鳥がその実を運んで来てのものであろうと思われた。どれも小さい木で、つい何十年か前に塚ができたように見え、皇子の不幸が一つも風化されてないことを思った。予定通り下山して帰京。すぐに図鑑と引き合せて、テイショウソウと知ったその草はその年の初夏、アザミに似た小さい赤紫の花をつけた。飯泉優氏にうかがうと、これも関東の南から東海道、近畿地方や四国の南を通って九州に至る土地にだけある植物だという。
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