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花の百名山91

时间: 2020-06-26    进入日语论坛
核心提示:大山  ダイセンクワガタ(ゴマノハグサ科) 新婚旅行で、夫の郷里の長崎から、夫の両親の郷里の鳥取にいった時、車窓からいつ
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大山  ダイセンクワガタ(ゴマノハグサ科)   
 
 新婚旅行で、夫の郷里の長崎から、夫の両親の郷里の鳥取にいった時、車窓からいつ|大山《だいせん》が見えるかと山の方ばかりに気をとられていた。もともと新婚旅行には上高地あたりへいきたいと思っていたのに、夫は山は苦手だという。できれば夫に麓で待っていてもらい、一人で大山にと思ったが、それも駄目らしく、機嫌の悪くなった私は、新婚夫婦の誰もがお参りするという出雲大社は素通りしてしまった。大山に登れない位なら、他のどこへいってもつまらない、などと憎たらしいことを言って。その|伯耆《ほうき》大山の姿を、いつも遠く近くに見るようになったのは戦争中に、鳥取に疎開してからである。
鳥取城址、久松山の頂きから西に望む雪の大山の美しさ。倉吉市の打吹公園で近々と仰ぐ大山のすばらしさ。そして登ることができたのは、戦後三十年もたってからであった。
大山については、登山回数五百を越える鳥取の植物学者故生駒義博さんから、その植物の豊富なこと、特有種の多いことを、鳥取の先祖の墓参にゆく度にうかがっていた。山麓の大草原地帯から、落葉喬木の密林になり、潅木草本帯から、頂上の崩潰地の岩間の絶壁植物に至るまでの変化ある景観は植物地理学的に価値が高く、イチイ科に属するダイセンキャラボクを第一として、ダイセンヒョウタンボク、ダイセンカラマツなど、カムチャツカ・ベーリング系の北方要素を多くふくんで、北方のオオバヤナギなど、世界の最南限であるという。
大山は|蒜《ひる》山や三瓶山、また、津和野の青野山などと同じく、白山火山帯に属する古い火山で裾野がひろい。『出雲国風土記』の中には大山を杭にして、よりによった太い綱をかけ、松江附近の土地を引っぱって来たという伝説が書かれ、早くから大山が、出雲文化の中心にあったことを示している。縄文や弥生の遺跡もその裾野に多く発掘され、歴史時代に入ってからの古墳も多い。八世紀には金蓮上人が開山、慈覚大師が大山寺を創建し、元弘三年、隠岐から脱出した後醍醐天皇を船上山に迎えたとき、名和長年に協力して、大山寺の僧兵がその威力を発揮して天下にその名を轟かせた。かつては四十二の坊を持っていたが、明治の排仏毀釈で大山寺の外は、南光河原の附近にその跡をとどめるばかりである。
その秋のはじめ、米子に用があっての帰り、『大山の花』の著者伊田弘実さんや県信連のひとたちと一緒に蓮浄院のうしろから夏道を登っていった。しばらくは明るいブナの原生林がつづき、花はヒヨドリソウ、キセルアザミ位でさびしく、ヒメモチ、イヌツゲ、ヒメアオキ、ヒメユズリハなどの低木が、ブナ林の樹間を鮮やかな緑に染めていた。千三百メートルあたりからノリウツギ、ナナカマド、ミヤマホツツジ、ムシカリなどの潅木地帯になって花の盛りを思わせ、千五百メートル附近からレンゲツツジ、コメバツガザクラ、シラタマノキなどがあらわれたが、勿論花は終っている。登山道の左側には山くずれのあとを見せて急峻な崖がつづき、その斜面には濃緑のダイセンキャラボクが這松のように密生している。
数年前の夏、大山西麓の湿原、桝水原で、ノハナショウブやシモツケソウの美しい群落を見たが、登山道は砂礫地で秋のリンドウもキキョウも見当らず、やっぱり、山の花は八月中かなあ、などと思っていると、頂上近くなって、うすい空いろをしたダイセンクワガタの花が、夏の名残りに咲きさかっていた。ミヤマクワガタより背も高く花も大きくメシベやオシベが長い。
頂上附近の草地にはシオガマギクの赤い花も、キバナノアキギリやダイセンオトギリの黄の花も咲き、一七二九メートルの剣ヶ峰にむかう片足の靴の幅位に狭い尾根道の岩かげには、ダイセンコゴメグサの小さく白い花も見られて、大山の九月はまだ頂きだけに、夏が立ちさらないでいるのだとうれしかった。
剣ヶ峰の頂きに立って、両面を鋭く浸蝕された急崖に次ぐ急崖の山容を見ると、あと何年、現状が維持されるであろうかと思う。遠望する大山はどっしりと根を張って、いかにも大地に安定した姿だけれど、登ってくると、今にも崩壊寸前のもろさを露呈しているようである。白々とした岩肌のあやうさが目立ち、この花々の華麗さもいつまでのいのちかとあやぶまれた。
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