亡くなられた佐藤達夫さんは、人事院総裁などという、いかめしい肩書を持つ役人であったのに、青年の頃から、私も入っていた牧野植物同好会に加わり、高円寺のお庭を訪れると、エンレイソウ、アズマイチゲ、イチリンソウ、クマガイソウ、カタクリ、コバイモ、ネコノメソウ、ツリフネソウなどがじつによく咲いていて、うらやましかった。とりわけ、見とれるばかり素敵だと思ったのはユキモチソウである。ザゼンソウやミズバショウを同じ仲間に持つこのサトイモ科のテンナンショウ属は、私の大好きな花の一つで、葉の形、花の形が、まことに優雅であり、且つ妖気をはらんでいる。
ユキモチソウは、暗紫色の苞がすらりと空にむかって片手をささげたように立ち、白い肉穂がふっくらとゆたかな丸味を持っている。佐藤さんは繊細極まるその写生図に「貴婦人のドレスを思わせる」と書かれたが、しきりにその前でうらやましがる私に「四国の山中にあるそうですよ」とヒントをくれた。その夏、高知県の東津野という村をたずね、すぐにさがそうと思った。
東津野は高知県も北西の山間にあり、平家の落人伝説を秘め、その周辺に日本一と言われる赤松の自然林をめぐらした村である。
人口は少いが、藩政時代から良材の産地として知られた村は豊かで、土佐文化の発祥地として知られ、室町時代に将軍義満の信頼を受け、五山文学の中心となった天台の僧義堂や絶海はこの村の出身である。維新の前夜、天誅組の総裁として活躍した吉村寅太郎も、この東津野の庄屋の息子であった。
花の好きな私にとって、一番興味があったのは、この村に秋吉台、平尾台と並んで日本三大カルストの一つと言われる天狗高原があること。その標高は平均して千四百メートルを超え、他よりずっと高く距離も一番長い。カルストならば石灰岩地帯特有の植物もあろう。何よりも四国の山中ならばユキモチソウも——。
しかし残念にもその日は用をすませて、すぐに高知市にもどらなければならなかった。
一月たって、今度は高知市の文化振興室に用が出来、どうしても帰途は天狗高原にと訴えたところ、松木正一さんが自分の車で送って下さり、その夜、村営でなかなか快適な天狗荘に泊った。
すでにその宿が千四百メートル。前方に太平洋を、後方に石鎚山系を見わたす眺望が絶佳である。
あくる朝八時に出発して、十月も半ばなので、もう花はだめかもしれないと案じながら、ハシドイ、チドリノキ、トチノキ、ハクウンボク、イタヤカエデ、シロモジ、ニシキギ、ヤマヤナギ、タンナサワフタギなどの紅葉、黄葉の美しい稜線を歩く。三百六十度の眺めはいよいよ美しく、牧野博士が早くから植物調査に歩いて固有種を発見された鳥形山、黒滝山を脚下に、太平洋はその山なみの果てに金いろにかがやいていた。
石鎚山系もよく見えて、石墨・笠取・堂ヶ森などの千五、六百メートルの峰々が雄大な線を連ねている。この稜線の風景展望の素晴しさから、スカイラインなどをと考える向きもあるらしいが、歩いてこそ思う存分にたのしめるのである。ゆめゆめ、まさに天然の仙境とも秘境ともよべるようなこの尾根道を、排気ガスで汚してもらいたくない。
道はなだらかで一つも苦しくない。そして花のゆたかさ。やっぱり四国はあたたかい。リンドウは今をさかりに、ヤマトリカブト、シオガマギク、コゴメグサ、テンニンソウ、ミヤマホタルブクロ、ハガクレツリフネソウ、アキノキリンソウなどが、ミヤマザサの密集するやぶかげに、またススキの間に残りの花を咲かせていた。
尾根を東に、二時間ばかりして黒滝山に入り、シナノキ、イヌシデ、ダケカンバ、ヒメシャラ、ヒメウチワカエデ、アセビなどの明るい原生林の中をゆくと、まことに珍らしい地形にであった。大引割とよばれ、幅十メートル、深さ三十メートルのチャートの層が百メートルにわたって引き割かれている。その中には草も見えず、暗黒の底に吸いこまれるように不気味であった。附近に小引割もあるとか。
そしてユキモチソウは遂に発見できずに案内の宮崎守さんの矢筈百草園で一本いただくことになったが、やっぱり私を待っていてくれた。車で高知にむかう山間の崖のほとりですでに赤くなった実をたくさんつけて。
ユキモチソウは、暗紫色の苞がすらりと空にむかって片手をささげたように立ち、白い肉穂がふっくらとゆたかな丸味を持っている。佐藤さんは繊細極まるその写生図に「貴婦人のドレスを思わせる」と書かれたが、しきりにその前でうらやましがる私に「四国の山中にあるそうですよ」とヒントをくれた。その夏、高知県の東津野という村をたずね、すぐにさがそうと思った。
東津野は高知県も北西の山間にあり、平家の落人伝説を秘め、その周辺に日本一と言われる赤松の自然林をめぐらした村である。
人口は少いが、藩政時代から良材の産地として知られた村は豊かで、土佐文化の発祥地として知られ、室町時代に将軍義満の信頼を受け、五山文学の中心となった天台の僧義堂や絶海はこの村の出身である。維新の前夜、天誅組の総裁として活躍した吉村寅太郎も、この東津野の庄屋の息子であった。
花の好きな私にとって、一番興味があったのは、この村に秋吉台、平尾台と並んで日本三大カルストの一つと言われる天狗高原があること。その標高は平均して千四百メートルを超え、他よりずっと高く距離も一番長い。カルストならば石灰岩地帯特有の植物もあろう。何よりも四国の山中ならばユキモチソウも——。
しかし残念にもその日は用をすませて、すぐに高知市にもどらなければならなかった。
一月たって、今度は高知市の文化振興室に用が出来、どうしても帰途は天狗高原にと訴えたところ、松木正一さんが自分の車で送って下さり、その夜、村営でなかなか快適な天狗荘に泊った。
すでにその宿が千四百メートル。前方に太平洋を、後方に石鎚山系を見わたす眺望が絶佳である。
あくる朝八時に出発して、十月も半ばなので、もう花はだめかもしれないと案じながら、ハシドイ、チドリノキ、トチノキ、ハクウンボク、イタヤカエデ、シロモジ、ニシキギ、ヤマヤナギ、タンナサワフタギなどの紅葉、黄葉の美しい稜線を歩く。三百六十度の眺めはいよいよ美しく、牧野博士が早くから植物調査に歩いて固有種を発見された鳥形山、黒滝山を脚下に、太平洋はその山なみの果てに金いろにかがやいていた。
石鎚山系もよく見えて、石墨・笠取・堂ヶ森などの千五、六百メートルの峰々が雄大な線を連ねている。この稜線の風景展望の素晴しさから、スカイラインなどをと考える向きもあるらしいが、歩いてこそ思う存分にたのしめるのである。ゆめゆめ、まさに天然の仙境とも秘境ともよべるようなこの尾根道を、排気ガスで汚してもらいたくない。
道はなだらかで一つも苦しくない。そして花のゆたかさ。やっぱり四国はあたたかい。リンドウは今をさかりに、ヤマトリカブト、シオガマギク、コゴメグサ、テンニンソウ、ミヤマホタルブクロ、ハガクレツリフネソウ、アキノキリンソウなどが、ミヤマザサの密集するやぶかげに、またススキの間に残りの花を咲かせていた。
尾根を東に、二時間ばかりして黒滝山に入り、シナノキ、イヌシデ、ダケカンバ、ヒメシャラ、ヒメウチワカエデ、アセビなどの明るい原生林の中をゆくと、まことに珍らしい地形にであった。大引割とよばれ、幅十メートル、深さ三十メートルのチャートの層が百メートルにわたって引き割かれている。その中には草も見えず、暗黒の底に吸いこまれるように不気味であった。附近に小引割もあるとか。
そしてユキモチソウは遂に発見できずに案内の宮崎守さんの矢筈百草園で一本いただくことになったが、やっぱり私を待っていてくれた。車で高知にむかう山間の崖のほとりですでに赤くなった実をたくさんつけて。