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花の百名山99

时间: 2020-06-26    进入日语论坛
核心提示:久住山  ツクシフウロ(フウロソウ科) 久住か九重か、その漢字のあて方で昔から争いが絶えなかったという。久住という文字を
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久住山  ツクシフウロ(フウロソウ科)   
 
 久住か九重か、その漢字のあて方で昔から争いが絶えなかったという。
久住という文字を支持するのは、平安初期の伝教大師が創建したとつたえられている久住山猪鹿狼寺。久住とは、法華経の中の久住の言葉から来ているという。
九重という名を大事にするのは、九重山法華院、共に修験道場として、多くの信徒を得ていたという。
昭和三十八年一月の元旦に、久住の北千里浜というところで、七名の遭難死者が出たという新聞記事を見た。
九州の最高峰とは聞いていたけれど、地図で見ると、山腹には、かなりの|聚落《しゆうらく》がある。里が近いのに、七人も死ぬというのは、どんな状況であったのだろうか。キリシマツツジで、全山が紅に染まる頃は観光客で賑わうと言われているけれど、そんなにこわい山なのか。
数年前の秋に、小倉のカトリック教会に用があり、終ってから、パリ外国宣教会のガイアール神父、ベルトラン神父に案内してもらうことになった。
東京から電話して、どんな靴をはいていったらよいかと聞いた。私の頭の中の久住は観光地であり、踵の低い普通の靴でもゆけそうな気がした。ガイアール神父は、浅い靴ではなく、深い靴がよいと言い、私は長靴でいった。
九州の山はこれがはじめてで、道の様子が全然わからない。
山靴姿の神父たちは、わたくしの長靴におどろいたようであった。久住は、雨が降っても、長靴などいらない山であるという。
長者原からしばらく背の低い潅木地帯を過ぎ、硫黄製錬所のあたりにさしかかってわかった。久住は、徳川時代にしばしば噴火し、一九四六年(昭和二十一年)にも火山活動を示した活火山なのであった。ただ、加賀白山や伯耆大山や三瓶山、青野山などと同じ白山(大山)火山帯に属していて、すぐ隣りに連なる阿蘇山を中心にした霧島山や桜島などをふくむ阿蘇火山帯よりも、老い衰えたものが多いだけである。溶岩円頂丘型の特徴を示すように、三俣山、硫黄山、|星生《ほつしよう》山などの、いかにもむっくりと大地の底から盛り上ったように見える峰々を見仰ぐ道は、砂礫や岩礫の|堆積《たいせき》から成っていて、底のゴムのうすい長靴では歩きにくいことおびただしい。
草紅葉とも言いたいように、岩礫地の間が、カヤやスゲなどの、|禾本《かほん》科植物の朱赤にいろどられているのを見ながら、ひた登りにゆくと、北千里浜と名づけられた盆地状の地形を横切ることになった。かつての火口のあとであろうか。水が常時たまれば、火口原湖ともなり得るところなのであろう。
浜とよばれるように、一面の砂地の南側に、爆裂火口のあととも思われる、|峨々《がが》たる岩壁が連なっている。西は星生山の山腹にさえぎられたこの地帯こそ、霧にかこまれたら、方角を見失うのにちがいないと思った。吹雪ともなれば、強風に渦巻く雪が、なお、行手の視界をうばって、登山者を疲労から凍死へと誘いこむのであろう。九州は南国とばかり思っていたが、いつかの早春、長崎へいった時、福岡から佐賀にかけて雪が降っていたのにおどろいたことがある。北九州は日本海気候なのであった。久住の標高は一七八七メートル。九州第一の山である。冬は吹雪もすさまじいことであろう。
千里という名は、昔風に一里を六丁と数えても広すぎる形容で、高原というべくは、狭い、鍋底のように周囲をかこまれた地形だけに、出口を求めての吹雪の中の|彷徨《ほうこう》はおそろしさが思われ、地獄浜ともよびたいような、陰惨な感じがした。
久住と九重の争いは、硫黄の採取権をめぐってのことがもとだとも聞き、五月から六月にかけて全山の地表を埋めるというツツジの美しさよりも、その話の方に興味が持たれた。
今なお、地図に、くじゅうと読ませて、九重町と久住町が山々の南北にわかれて存在し、山の方は、総括して九重山群。そのうちの最高峰が久住山ということだけれど、これも近ごろは、東方にある大船山の方がわずかに高いことがわかって、久住びいきのひとびとは困っているとか。
同じような地形の西千里浜を右に見下して、岩礫地の坂道を登りつめて久住山の頂きに立つ。ケルンの形に高く高く石がつみあげられている。三メートル位ありそうである。これで、最高峰の名誉が保たれたかもしれないと思い、何となくおかしかった。
頂きからはすぐ真南に、阿蘇の雄大な姿が連なりわたっていて圧巻である。人間の小さな領分争いなど、空に噴きあげられる煙と共に放ちとばしたくなるような、大自然の偉容を示していた。
二人の神父は昼食のべんとうに、フランスパンとサラミソーセージを出し、サラミをナイフで切りながら、さかんに、いつ見てもすばらしい眺めだとほめていた。自然は人間のためにあると考えるこのひとたちにとって、自然は争いの材料にすべきではなく、いかに素直に享受するかが、その生き方の一つのテーマになっているのであろう。
牧ノ戸峠への下り道で、ツクシフウロの残り花をたくさん見た。
その薄紅のかわいい花がまだ蕾を持っているのを、やっぱり南国の秋らしいと思った。
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